ヘンリーの色
「――まあ! とっても素敵よ、イリスちゃん」
ファティマはイリスを見つけるなり、目を輝かせた。
「何て視力に効く生地なのかしら。二色あるところがまた、目に痛いわ。しかも、ねじれた縫い合わせ方なのね。目が回るわ。それに、その鏡! 良いわね。少しの光も逃さずに攻撃に変えようという意思を感じるわ」
およそドレスの感想とは思えぬ褒め言葉と共に、ファティマはイリスの周りをウロウロして見て回る。
うんうんとうなずくと、満足気な笑みを浮かべてため息をついた。
「大満足よ、ありがとう。それじゃあ――着替えていらっしゃい」
「え?」
ファティマは微笑みながら、イリスの手を取った。
「『毒の鞘』の試験のことは聞いたわ。イリスちゃんに余計な負担をかけてしまったわね。私からもお詫びするわ。オリビアのことはヘンリーに一任するとコンラド様も言っていたから、あなたは自分の体を大切になさい」
当主であるコンラドもまた、事の次第を知っているということか。
当然と言えば当然だが、しなくても良い凍結と『毒』の解除の末に高熱を出したイリスとしては、ちょっと情けない。
「残念なドレスは着ている方も体力を奪われるでしょう? それでも着たのは私がリクエストしたからよね。ごめんなさいね」
「い、いえ。せっかくだから見てほしいのもありましたし。もう体も平気ですし」
「パーティーを中止にするかもしれないとヘンリーは言っていたのに、残念ドレスまで着ているのはどうしてかと思ったら。イリスちゃんの意思なのね。……本当に、あの子は甘いわね」
それは、ヘンリーの見通しが甘いということだろうか。
確かに、イリスは残念ドレスを着ないという選択肢を持っていなかった。
ファティマに見せてあげたいというのもあるが、せっかく作ったドレスを着たいというのは女の子の願望だ。
それがわからないなんて、やはり残念な乙女心を理解せず、見通しが甘いということだろう。
「でも、無理は良くないわ。普通のドレスもあるのでしょう? 着替えていらっしゃい。つらいようなら、無理せずに部屋に下がって休んで良いのよ。後のことはヘンリーがやるから」
そう言って手を引かれたイリスは、そのまま支度部屋までファティマに付き添われた。
元気ならファティマのためにも血塗れミラーボールとして会場を徘徊したいところだが、さすがに今日は無理だ。
パーティーの主役という慣れない事態に加えて、その後にオリビアのことで話まである。
無茶をすれば倒れかねないので、素直に着替えることにした。
「とてもお似合いですよ、お嬢様」
「ありがとう」
残念ドレスの時と違い、心からの笑顔でダリアが褒めてくれる。
やはり、普通のドレスにはお世辞の効果が付随しているようだ。
「きっと、ヘンリー様も喜びますよ」
「うん? ああ、そうね。ヘンリーは残念なドレスよりも、普通のドレスの方が良いのよね」
「大抵はそうだと思いますが……。ですが、今日は特に喜んでくださいますね」
「確かに、元々ヘンリーは婚約披露パーティーに残念ドレスはいらないって言ってたわ」
きっと、早々に普通のドレスに着替えれば喜ぶのだろう。
「いえ、その。……偶然ですか?」
「何が?」
イリスの問いに、ダリアは憐れむような眼差しを送る。
「……いえ、何でもありません。ヘンリー様が不憫なだけでございます」
「え? 何それ?」
「さあ、お化粧を直しましょうね」
ダリアはイリスの言葉を遮ると、早速化粧に取り掛かった。
もう一つのドレスは、残念の正反対である淑女と気品をテーマにした。
侯爵家の嫁が血塗れミラーボールだけでは、さすがにまずいと思って、せめてもの対応である。
焼け石に水な気はするが、やらないよりはマシだろう。
芯から残念な婚約者ではなく、残念な趣味を持った婚約者ということになるはずだ。
……こういうのを、五十歩百歩と言うのだろうが。
わかりやすく高貴なイメージの濃い紫色のドレスは、装飾を控え目にして生地の美しさを存分に見せる作りだ。
白いレースは、花を模した柄が紫の生地の上でよく映えている。
胸元の部分だけ金色のレースが使われているのは、残念ドレスとの対比だ。
同じ金色でもこちらは品があり、金と白のレースで作られた薔薇の花も可愛らしい。
何といっても、目が痛くないし、重くない。
残念ドレスを脱ぎ捨てたイリスは、羽が生えたと錯覚するくらいには体が軽くなっていた。
晴れ晴れとした顔で着替えを終え、スキップして部屋を出ると、ヘンリーが待っていた。
「ヘンリー、こんなところで何をしてるの?」
主役が会場のお客様を放置して休憩するのは、どうなのだろう。
それを言ったら、イリスも会場にいないので同じだが。
「体調が悪いなら、イリスはもう下がって良いと思ったんだが。……元気そうだな」
どうやら、解放感からのスキップをしっかりと見られていたらしい。
「残念なドレスを脱いだから、体が軽いのよ。特に今回は鏡を縫い付けたから、重量が凄くて」
「……そうか」
ヘンリーはそれ以上何も言わずに、じっとイリスを見ている。
普通のドレスなのに、お世辞も出ないとは。
このドレスはいまいちということだろうか。
若干心配になってヘンリーの様子を窺うと、何となく顔が赤い気がする。
……何だろう。
ヘンリーの方こそ、体調が悪いのだろうか。
「――ようやく見つけましたよ、ヘンリー様! やっぱりイリス様の様子を見に行ったのですね」
ヘンリーを探していたらしいビクトルが、ため息をついてやって来た。
「旦那様が探していましたよ。……ああ、イリス様。お似合いです。ヘンリー様の瞳の色ですね」
「え?」
「イリス様の瞳の色も入っていますね」
「ええ?」
「婚約披露とはいえ、あまり独占欲を出し過ぎるのもどうかと思いますよ、ヘンリー様」
呆れ気味のビクトルに、口元を押さえたヘンリーが首を振る。
「……いや。俺じゃない」
「は?」
ビクトルが訝し気に聞き返す。
ヘンリーの瞳の色は、紫色だ。
イリスのドレスも、紫色だ。
これは、つまり。
――まるで、ヘンリーのために色を揃えたみたいではないか。
「ち、違うわ! これは、残念からの淑女と気品がテーマで、そういう意味じゃないの!」
慌てるイリスを見て、ビクトルはうなずく。
「はあ、なるほど。ヘンリー様の未来の妻として温良貞淑を表した、と」
「だから、違うわ! もう、何てことなの。レイナルドの時と同じミスをするなんて!」
婚約者なのだから、別にそれでも良いのかもしれない。
だが、狙って色を揃えるのと、うっかり揃ってしまったのとでは気持ちが全然違う。
凡ミスがなくならないのは、残念ゆえだろうか。
イリスに芯まで染みついた残念が恐ろしい。
「……レイナルドって何だ?」
ヘンリーの静かな低い声に、イリスは失言を悟った。
何故か、ヘンリーはご機嫌斜めだ。
ヘンリーとレイナルドは仲が悪かっただろうか。
ほとんど接点もなかったような気がするのだが。
「何でもないわ、気のせいよ」
「何でもなくないだろうが」
「この生地を勧めてくれたのはラウルだし、レイナルドは関係ないの」
「へえ。あいつが勧めた生地なのか」
「……イリス様、逆効果ですよ」
ビクトルの突っ込みを聞くまでもなく、ヘンリーの表情でまたも失言したらしいと気付く。
さすがは残念の先駆者。
残念がとどまるところを知らない。
じっと見てくるヘンリーの視線が重い。
「……へ、ヘンリーの瞳の色です。全身くまなくヘンリーです。ごめんなさい……」
無言の圧力にちょっと泣きそうになってしまう。
何に対しての謝罪なのか、自分でもよくわからない。
イリスがうなだれていると、ヘンリーが優しく肩を叩いた。
微笑むヘンリーを見て、ようやくこの件も終わると喜んだのも束の間。
「――後で、ゆっくり話そうな」
……笑顔が怖い。
「がんばってくださいね、イリス様」
固まるイリスに、ビクトルの応援が空しく響いた。









