残念に恵まれて
適性試験の翌日のうちに、イリスはアラーナ邸に戻った。
両親に心配されたが、モレノの事情が絡む以上、詳細を説明するわけにもいかない。
結局は「広い庭に浮かれて氷の魔法を使いすぎた結果、風邪を引いた」と伝えた。
それであっさり納得してくれるのだから、イリスならありえると思っているのだろう。
どうやら、両親から見てもイリスは十分に残念らしい。
ちょっと情けないが、今回は詮索されないのがありがたかった。
だが、熱が下がっても体力が戻るかは別の話だ。
そもそも令嬢ボディの体力など、底辺の代物。
その上、隙間の凍結で魔力を使った疲労も重なり、完全回復には至らぬまま婚約披露パーティーの前日になった。
「パーティーは延期しよう」
アラーナ邸に見舞いに来たヘンリーは、未だにふらつきの残るイリスを見ると、そう切り出した。
「どうして?」
「どうもこうもないだろう。まだふらついているし、無理をして体調を崩したらどうするんだ」
面倒見の鬼らしく、体を気遣っての提案のようだ。
だが、イリスは首を振った。
「別に走り回るわけじゃないんだから、大丈夫よ」
「駄目だ」
「大体、延期したところで、いつ体力が戻るかわからないじゃない」
「イリス」
「沢山の人が予定を割いてくれているのよ? ……それとも、中止するの?」
「イリスの体調が思わしくないなら、中止で良い」
イリスはため息をついた
本当に、この面倒見の鬼は面倒見をこじらせている。
「だから、大丈夫だって言ってるでしょ。ここで話し合っているよりも、頑張った方が早いわ」
高熱にうなされているというのならともかく、もう熱もないのだ。
イリスからすれば、過剰な心配だと思う。
暫し睨みあうと、ヘンリーはため息をついた。
「……イリスは残念な上に、頑固だよな」
「何よそれ。褒めてるの?」
イリスが眉を顰めると、ヘンリーは苦笑する。
「ああ。俺の『毒の鞘』は、実に強固だ。困ったことにな」
そう言うと、イリスの頭をくしゃくしゃと撫でまわす。
「ばあさんとオリビアが話をしたいって。今まではイリスの体調があったから、断っている。パーティーの後に、時間をとっていいか?」
「ええ、いいわ」
イリスに指示と違う暗示をかけたことがことの始まりだ。
何故そんなことをしたのか知りたかったので、ちょうど良い。
「……無理はするなよ」
「うん」
そして、婚約披露パーティー当日。
イリスは残念なドレスに袖を通していた。
ファティマの要望は、視力を奪う攻撃性を兼ね備えたドレス。
だが、同時に婚約披露なのだから、おめでたい感じも欲しいところだ。
そこで、古今東西めでたそうな金と銀の生地を使うことにした。
ツヤツヤでキラキラの金と銀の生地は、見ているだけで疲労感を楽しめる素晴らしい攻撃性だ。
やはりこれもラウルが仕入れたらしい。
どういう基準で、こんなアルミホイルを彷彿とさせる生地を仕入れたのだろう。
少し気になり、注文時にラウルに聞いてみた。
すると、彼は満面の笑みを浮かべて堂々と胸を張った。
「肉の女神に似合うかどうかが、仕入れの基準です」
……聞かなければ良かった。
どうやらラウルの中で、残念の基本にして基準となるのはイリスらしい。
最高に貶められているが、つまり残念的には手放しで褒められている。
喜べば良いのか、怒れば良いのかわからない。
残念は、情緒を不安定にする。
イリスはまた新しい残念を学んだ。
まずは金と銀の眩しい生地を、床屋の前でくるくるしていることでおなじみのサインポールのように、縞々に縫ってもらった。
めでたさの表現のために更にきらめきが欲しいが、金銀に負けないスパンコールが難しかったので、小さな鏡を縫い付けた。
胸元に光源があるとイリスも目を開けられなくなると過去に学んだので、胸元は黒い生地にする。
光と影の演出だ。
もちろんただの黒ではつまらないので、粘性の高い液体が垂れたようなデザインを深紅の糸で刺繍してもらう。
イリスはすっかり、光と影の歩く血塗れミラーボールになっていた。
結論から言うと、全身がミラーボールの場合、胸元の光源をなくしたくらいでは攻撃力は変わらない。
つまり、イリスは自らの放つ輝きによってパーティー開始前からふらつき始めていた。
元々ふらついていたのに、残念ドレスに追い打ちをかけられた状態である。
残念との付き合いは短くないが、思うようにいかないのもまた、残念というものだ。
「イリス、大丈夫?」
ダニエラは心配そうに声をかけると、近くの椅子にイリスを座らせる。
「また、そんな残念なドレスなんて着るから。眩暈を起こして倒れるわよ? そもそも、婚約披露パーティーなのに、よく残念の許可が下りたわね」
一度イリスの残念ドレスの攻撃を間近で受けたダニエラは、その威力と疲労度を理解しているようだった。
「許可というか。……ファティマ様の希望なのよ」
「はあ? 義理のお母様でしょ? 何よそれ、嫁いびりってこと?」
考えてもみなかった視点に、イリスはぽかんと口を開けた。
「違うの?」
「違うというか。……ファティマ様、残念ドレスのファンらしいの」
「ええ?」
「残念ドレスはいらない、っていうヘンリーと、ずっと揉めていたくらいで。……好きみたい」
ダニエラは渋い表情でイリスと血塗れミラーボールドレスを交互に見る。
「……ヘンリー君は、つくづく残念に恵まれているのね」
「え、それ、私も含まれているの?」
「安心なさい。残念ドレスなら間違いなくイリスが一番なんだから。――ねえ?」
ダニエラの声に振り向くと、ヘンリーがちょうどやってくるところだった。
「何の話だ?」
「ヘンリー君にとって、残念でも、イリスが一番ってこと」
「ダニエラ、ドレスが抜けてるわよ」
「いいのよ。同じことだから」
ダニエラは手をひらひらと振ると、「ねえ?」とヘンリーに同意を求めている。
ドレスという言葉が抜けると、だいぶ意味合いが違う気がする。
片やドレスが残念で、片や人として残念ということだ。
「ああ」
ヘンリーの肯定に、イリスは眉を顰める。
「……そりゃあ、私は残念だけど。何も人として一番残念だなんて言わなくても」
さすがのイリスもちょっと傷付く。
せめて三番くらいにしておいてほしい。
「何でそうなるんだ」
ヘンリーはため息をつくと、イリスとダニエラに飲み物を手渡す。
「あら、ありがとう。あらためて、婚約おめでとう。良かったわね、ヘンリー君」
「……ああ。ありがとう」
どうやら二人は初対面ではないらしい。
何やら含みのある会話をしているのを見ながら、飲み物を口にする。
「そうだ。ベアトリスは来られないらしいわよ。おめでとうだって」
そう言って可愛らしいカードを取り出すと、イリスに手渡す。
ベアトリスと言えば、『バルレート公爵家に近付くな』『手紙を出すな』と言う伝言をもらい、連絡も取れていない。
久しぶりに会えるかと思っていたのだが、残念だ。
「……ベアトリス、忙しいのかしら」
「一昨日、雨が降ったからでしょう? この間会ったけど、元気そうだったわよ」
「そう。なら、良かったわ」
ラウルの妙な伝言があったので少し気になっていたが、安心した。
公爵家の改装が終わったら、ベアトリスに会いに行こう。
お茶を飲みながら、他愛もない話をして過ごす。
『碧眼の乙女』に関わる前に戻ったみたいだ。
それを想像するだけで、イリスの心は躍った。