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『毒の鞘』がやって来た

「イリス、ちょっといいか?」


 ある日、ヘンリーはアラーナ邸に来るなり、そう言って人払いをした。

 ダリアがお茶の用意を置いて部屋を出ると、自ら紅茶を淹れ始める。



 ヘンリーはモレノ侯爵家の次期当主として、毎日忙しいはずだ。

 決して、イリスのために紅茶を淹れに来たわけではないだろう。

 面倒見の鬼として名高いヘンリーとはいえ、いくら何でもそれはない。

 しかも、ダリアにわざわざ離れてもらったということは、モレノ絡みの話があるということだ。


「何かあったの?」


 イリスが尋ねると、紅茶のカップが目の前のテーブルに置かれる。

 手に取れば、相変わらず良い香りだ。


 ヘンリーがあまりにも軽々とおいしい紅茶を淹れるので、イリスは一度自分で淹れてみたことがある。

 出来上がったのは、可もなく不可もないただの紅茶だった。

 ヘンリーが淹れた紅茶は色も綺麗だし、香りも良い。

 この茶葉だって同じものなのに、違いは歴然だ。


 何だか悔しい。

 イリスは渋い顔で紅茶を飲む。


「何だ? 苦かったのか?」

「悔しいことに、おいしいわ」

 ふくれっ面のイリスを不思議そうに見ながら、ヘンリーはソファーに腰を下ろした。



「婚約披露パーティーのために、領地から祖母が出てくる」

「祖母って……『毒の鞘』の?」

「ああ。祖父の方は仕事があって今回は来れないが、婚儀には来るって」


 では、現在唯一という『毒の鞘』に会えるということか。

 ちょっと興奮するが、同時に現実に気付く。


「ファティマ様は残念ドレスの愛好家だったから良かったけれど。普通に考えて、孫の嫁が残念なんて嫌よね? 反対されるんじゃないの?」


 というか、反対するのが普通の反応のような気がする。

 だが、ヘンリーは特に気にする様子もなく、紅茶に口をつける。


「いや。ばあさんは早く『鞘』となるべき伴侶を見つけなさいが口癖だったから、大丈夫だと思う」

「でも、残念な『鞘』だとは思っていないでしょう? 普通の『鞘』でしょう? ……普通の『鞘』って、何?」

 自分で言っていて、何だかよくわからなくなってきた。



「そもそも、何で鞘なの? 毒を収めるのなら、瓶で良いと思うんだけど」

 何となく液体を想像したが、よく考えれば液体というわけでもない。

 だが、それならやはり、鞘である必要がない気がする。


「箱でも瓶でも袋でもなく、鞘なのは何故なのかしら?」

「『毒の鞘』は継承者の伴侶。包み込んで癒すという比喩から『鞘』と呼ばれていると聞いたが、俺も詳しくは知らない。ばあさんが唯一の『毒の鞘』だから、聞いてみよう」


「『毒の鞘』には、何かしきたりとかあるの? 行動の凍結みたいな」

「……簡単な適性試験のようなものがあると聞いたが」

「適性試験?」


 性格や能力を検査するということだろうか。

 でも、どうするのだろう。

 この世界でも心理テストのようなものがあるのだろうか。


「しきたりは、よくわからないな。何せ、ばあさん以外に『毒の鞘』がいないから、話題にならない。だが、ないとは限らない。もしも何かあれば、その時は俺を頼れ」

「何かを試しているのなら、ヘンリーに頼ったら駄目じゃない」

 それは、試験中に堂々とカンニングするようなものだろう。


「駄目ならそう言ってくるだろうから、気にするな」

「えー」

 次期当主の割に言っていることが緩いが、これで良いのだろうか。


 そう言えば、モレノ侯爵もいっぱいお願いして、いっぱい頼って困らせろと言っていた。

 やはり面倒見の鬼は、隙あらば面倒を見たいのか。


 面倒見がこじれているな、と思っているイリスを、ヘンリーが凝視する。

「何を考えているか何となくわかるが、違うからな。……ちゃんと、俺を呼べよ」




「久しぶりだね、ヘンリー」

 モレノ邸に現れたその人は、老女というよりも老舗旅館の大女将とでもいうような、凛とした雰囲気の女性だった。


「お祖母さんも元気そうですね」

「ああ。ロベルトのお守りから解放されたから、今は特に元気だよ」

 にやりと笑う姿は、いたずらっ子のようだ。


「お祖父さんは仕事だとか」

「色々あってね。……まあ、それは追々話すよ。ところで……」


 ヘンリーの祖母はそう言うと、イリスに視線を移す。


「はい。俺の『毒の鞘』になる予定の、イリスです」

 ヘンリーに促され、イリスは一歩前に出た。


「はじめまして。イリス・アラーナと申します」

 伯爵令嬢のスキルを存分に使って、にこやかに挨拶と礼をする。

 どうせ、すぐに残念が席巻することはわかっているが、第一印象くらいは普通の女の子として見られたい。


「私はドロレス・モレノ。ヘンリーの祖母だよ。よろしくね、イリス」

「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 ドロレスはイリスを見てうなずき、ヘンリーを見てにやりと笑った。



「縁談を片っ端から断っていると聞いたから、まだ結婚に興味がないのかと思っていたら。……なるほど。わかりやすい面食いだねえ、おまえも」

「そ、そういうわけでは……」


「いいよいいよ。私としては、おまえが『毒の鞘』を持つこと自体が重要だからね。おまえが惚れているなら、どんな子でも良いよ」


 面食い。

 惚れている。


 ……どうやら、ドロレスにはまだイリスの残念さが伝わっていないようだ。


 だが、それも時間の問題だろう。

 じきに、「面食い、惚れている」から「残念、呆れている」にイリスの形容詞は変化するだろう。


 大変に申し訳ない。

 イリスは心の中でドロレスに謝罪した。



 ヘンリーとドロレスのやりとりを見ているのは、イリスだけではない。

 ドロレスの後ろに、少女が一人立っていた。

 金髪に薄紫色の瞳の、可愛らしい女の子だ。


 その子がずっとイリスを凝視しているのだが、彼女はイリスの残念ぶりを知っているということなのかもしれない。

 目が合ったので会釈するが、少女はイリスを睨むばかりだ。

 これは、相当残念がばれていると思った方が良いのだろう。

 気分としては、いたずらが見つかった子供だ。


 ごめんなさい。

 残念でごめんなさい。


 イリスは心の中でお経のように謝罪を繰り返した。

 もう残念にはなりませんと言えないところがまた、残念だ。



「まあ、それはそれとして。オリビア、おまえも挨拶しなさい」

「……オリビア・モレノです。よろしく」

 お世辞にも愛想のない挨拶だが、睨まれているよりはずっと良いので気にならない。


「オリビアまで来たのか」

「ヘンリー兄様!」

 ヘンリーに声をかけられ、オリビアの表情が一瞬で華やぐ。


「ヘンリーの従妹のオリビアだ。『モレノの毒』の継承者の一人だよ」

 ドロレスの紹介に、イリスは驚きを隠せない。


 女の子の継承者もいたのか。

 ヘンリーは若いが『モレノの毒』を使った時は別人のようだったし、何となく大人の男性の陰のあるイメージだった。


「今いる継承者の中では、断トツだよ」

「断トツですか」


 ドロレスの言葉を繰り返す。

 可愛らしい女の子なのに、そんなに凄いのか。


「そう。断トツで、力が弱い」

「え?」

「だから、連れてきたんだよ」

 何のことかわからず首を傾げるイリスに構わず、オリビアはヘンリーに話しかけている。



「全然会えないから、寂しかったです。ヘンリー兄様はお変わりないですか?」

「今は婚約披露パーティーの準備もあるが、特に変わりはないよ」


「婚約、するんですか」

「だから婚約披露パーティーをするんだよ。オリビアも参加するために来たんだろう?」

 オリビアは眉を顰めると、小さなため息をつく。


「随分色々と()()みたいですが。モレノ侯爵家に相応しいなら良いのですけれど」

 そう言いながら、イリスの胸元から顔を舐めるように見上げる。


「……オリビア、口に気を付けろ」


 ヘンリーの声に、一瞬冷たい響きが混じる。

 オリビアの肩がびくりと震えた。


 確かにイリスは残念なので、そう言われても仕方がない。

 どちらかというと、残念ドレス愛好家のファティマや、詳細を気にしないドロレスの方が珍しいのではないか。


「ヘンリー、やめて。……確かに、私は色々相応しくないと思うわ。正直に言ってくれてありがとう」


 陰で文句を言うのではなく、正直にイリスに伝えてくれるのだから、ありがたい。

 まあ、「この残念女」とでも言われたら、その時には「その通りです」と頭を下げるしかない。

 残念というのは、実に肩身が狭いものだ。



「……明日、『毒の鞘』の適性試験をするよ。今日はゆっくりと休みなさい、イリス」

 ドロレスはそう言って、鷹揚に微笑んだ。

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