残念な信頼を得ているようです
「――まあ、イリスお嬢様。いらっしゃいませ」
店の奥からやって来たミランダは笑顔で挨拶すると、抱えていたリボンを放り投げてラウルの横に腰かけた。
「イリスお嬢様にあやかった残念ラインも、もう定番商品になっています。これもひとえに残念界をリードするお嬢様のおかげです」
「残念界って何。いつ私がそんな謎の世界を先導したの」
定番の残念という言葉もおかしいが、それ以上に残念界をリードはおかしい。
「まだまだ賑わいを見せていますよ? 定期的にお嬢様が残念なドレスで刺激を与え、普通のドレスでギャップの魅力を伝えてくださるおかげです」
確かに結果から見れば、イリスは定期的に残念なドレスを着ている。
「あれは、別に残念を盛り上げようと努力しているわけじゃないわ。必要だから着ているだけで」
「――わかっています、わかっていますとも。自然な残念からのギャップ、ですね?」
「残念な時点で、不自然よ」
「深い言葉ですね」
ミランダは何やらうなずいて納得している。
今日もやはり、話がいまいち通じない。
この伯母にしてラウルあり、である。
「手軽に残念になれると最近人気の、ボリューム調整コルセット。あれもイリスさんのアイデアなんですよね?」
ラウルの問いに、ミランダが満面の笑みでうなずく。
「あのコルセットのおかげで、今まで体型調整には消極的だった御令嬢が、一歩先の残念に手を出し始めたんですよ」
「何それ、止めてあげてよ。その道の先は崖よ、真っ逆さまに落ちるわよ。もう戻れないわよ」
イリスのせいで、どこかの令嬢が人生を棒に振るかもしれないなんて、恐ろしい。
「確かに、崖から飛び降りるくらいの気概を持たなければ、残念なドレスは着こなせませんね」
「イリスさんほどの残念な心意気となると、なかなか難しいですけどね」
ミランダとラウルは二人で納得している。
どうしてミランダは、イリスの残念を欠片も疑わないのだ。
崖から飛び降りたら、大抵は死ぬ。
彼女らの中でイリスは不死身ということなのか。
それとも、ボロボロの瀕死の姿がちょうど残念ということだろうか。
それでも悪気がないどころか称賛しているらしいことだけは伝わってくるのだから、もうどうしようもない。
「……とりあえず婚約披露パーティー用に、残念と普通の二着作りたいの」
「まあ。さすがはイリスお嬢様。残念と普通の対比で、わかりやすく魅力を伝えるのですね? その手法、きっと流行りますよ!」
何か押されてはいけない太鼓判を押された気がするが、ミランダの笑顔にイリスは何も言えなくなった。
元々は『碧眼の乙女』との戦いに備えて始めた、魔法の鍛錬。
王弟ルシオの一件で魔法の重要性を再認識し、鍛錬に力を入れ始めた。
そこで隙間の凍結にはまったイリスは、家で凍結の鍛錬を続けていた。
最近は、実際に目の前にある隙間だけでなく、陰になって見えない部分の凍結に力を入れている。
見えない部分を想像しつつ集中するので、ちょっと難しい。
「お嬢様、また氷の魔法ですか? 体が冷えますよ。紅茶をどうぞ」
冷気の漂う庭のテーブルに、ダリアがお茶の用意をし始める。
「ありがとうダリア」
椅子に腰かけたイリスは、紅茶を淹れるダリアを見て、ふと思いつく。
ポットの中の茶葉の隙間を凍結させれば、アイスティーが出てくるのではないだろうか。
せっかくなので、さっそくポットの中を想像して集中する。
「お嬢様は昔から、やるとなるととことんやりぬくので、見ていて心配になります。氷も程々にしませんと、風邪をひきますよ?」
そう言ってダリアが注いだものは、ほぼ無色透明の液体だった。
湯気がまったく出ていないところを見ると、少なくとも温かくはなさそうだ。
「……お嬢様、これは何ですか」
「うーん。微妙に失敗かしら」
ポットのふたを開けてみると、茶葉はしっかりと凍結している。
どうやら、茶葉が開く前に凍結してしまったらしい。
「タイミングも大事ね。見えないから、難しいわ」
確認のために湯気一つ出ない透明の液体を飲んでみようと手を伸ばすと、ダリアにカップを下げられる。
「お嬢様。私は体を温めるために、紅茶を用意させていただきたいのですが」
「は、はい。……ごめんなさい」
その迫力に思わず謝ると、ダリアは新しく紅茶を淹れ直し始めた。
本当はアイスティーに再挑戦したかったが、今魔法を使うのは命取りである。
イリスは大人しく温かい紅茶を飲んだ。
当初の目的は、集中力とコントロールを身に着けることだった。
だが、最近のイリスは隙間の凍結ブームの真っただ中で、隙間という隙間を凍らせつつある。
あまりにもはまりすぎて、『隙間とは何ぞや』と考え出した時には、危うく徹夜しそうになった。
何でも、考え過ぎは良くない。
手のひらと空気の隙間を凍結させようとしたら、手に氷塊が出来たので、イリスの認識はそこまで間違ってはいないのだろう。
イリスが『隙間』だと思えば、それは『隙間』なのだ。
「何度も言いますが、程々になさってくださいませ。お嬢様は魔力の資質は高いですが、体力は恐ろしく情けないほど低いのです。冷えだって馬鹿にできないのですよ?」
「恐ろしく情けない、って」
確かに令嬢ボディは絶望的に可憐で儚げな、体力の欠片もない貧弱さだ。
残念なイリスには、これくらいはっきりと言ってくれる方がありがたい。
やっぱり、ダリアも一緒にモレノに来てほしい。
でも、ダリアの人生を邪魔してはいけない。
相反する二つの思考に、イリスは思わず唸りながら紅茶を飲んだ。









