残念なお披露目
「婚約披露パーティー?」
イリスが繰り返すと、ヘンリーはうなずいた。
「わざわざ、いいのに。別に必ずしなくちゃいけないわけでもないでしょう?」
そういうものがあることは知っているが、必須ではない。
イリスの中では、よほど身分の高い家同士か、ラブラブアピールしたい浮かれたカップルが開催するイメージだった。
モレノ侯爵家は確かに身分が高いが、アラーナ家は普通の伯爵家だ。
それに、ヘンリーはそういう浮かれたことが好きなようには見えない。
もしかすると、イリスが浮かれていると思っているのだろうか。
イリスは残念ではあるが、浮かれてはいない。
そのあたりをきちんと伝える必要がありそうだ。
「私は、必要ないと思うけど」
「俺は、開催するつもりだよ」
……まさかの、ヘンリーが乗り気だった。
意外過ぎて、思わず凝視してしまう。
「……何だよ」
「いや、ヘンリーそういうの好きだと思ってなかったから」
「別に、好きなわけじゃない」
「じゃあ、やらなくて良いんじゃないの?」
「やる」
まったく噛み合わない話に、首を傾げる。
好きでもないのに、やらなくても良いことをわざわざやるということは。
「……面倒見を超えて、自虐の方向に進んで行くの?」
「何の話だ」
残念な眼差しのイリスを見て、ヘンリーがため息をついた。
「モレノは侯爵家というのもあるが、家業のせいで婚儀までに手続きやら準備に時間がかかるんだ。それまでの間、イリスに変な虫がつかないように、見せつけておきたい」
「虫って……」
それはもしかして、男性ということだろうか。
「私は残念な令嬢からの、残念の先駆者として名を馳せてしまっているのよ。そんな心配いらないと思うけど」
どちらかというと、残念な婚約者を見せつけたらヘンリーがやばいと思うのだが。
世間体とか、世間体とか、あと世間体とか。
「イリスが知らないだけで、色々あるんだ」
「色々って、何?」
「色々だ」
答えになっていない返答に、イリスは納得がいかない。
「ともかく、イリスには俺がいると知らしめておきたい。そうすれば、面倒も減る」
「杞憂だと思うけど。それを言ったら、ヘンリーの方が女の子が寄ってくるんじゃないの?」
「それは、大丈夫」
「何が?」
寄ってくるところは否定しないのかと思いつつ、問い返す。
「最近はイリスも普通の格好で夜会に参加しているだろう? おかげでだいぶ絡まれなくなった」
「……何の関係があるの?」
「素のイリスは、攻撃力が高いってこと」
ヘンリーの言葉に、イリスは衝撃を受けた。
「そんな。……ついに、何の装備もなしで、残念な攻撃力を使えるまでになったのね、私」
ドレスや化粧、武器にも頼ることなく、残念とは。
一人前の残念だ。
つまり、女性としては底辺なのではなかろうか。
それを婚約を控えた相手に言われるのも、どうなのだろう。
残念力が上がって嬉しいような、悲しいような、複雑な気持ちだ。
「……そういうのも含めて心配だから、お披露目しておきたいんだよ。わかるか?」
「残念な嫁で申し訳ない、と先に謝っておくのね。わかったわ」
「うん。わかってないな」
ヘンリーは苦笑すると、イリスの頭を撫でた。
「――わからない子ね、本当に」
モレノ侯爵夫人ファティマ・モレノはそう言ってため息をつくと、息子を睨んだ。
「婚約披露パーティーは、イリスちゃんに残念なドレスを着てもらいたいのよ!」
「全然わかりませんね。必要ありません」
さっきから、この繰り返しだ。
婚約披露パーティーのイリスの衣装は残念ドレスが良い、とファティマが希望したのが始まりだ。
イリスとしては、正直どちらでも良い。
既にイリスは何の装備もない状態で、十二分に残念な攻撃力があると知ってしまった。
今更、慌てて残念なドレスを着る必要もないし、忌避する理由もないのだ。
だから、どっちでも良いのだが、この親子は互いに一歩も譲らない。
「何なら『毒』を盛ってあげましょうか」
「なら、こっちは一服盛ってやるわよ」
どういう意味だろうとイリスは首を傾げる。
ヘンリーが言っているのは、『モレノの毒』のことだろう。
実際にファティマに使うとは到底思えないが。
しかし、「一服盛る」がよくわからない。
「奥様は、薬と毒に精通していらっしゃいます」
控えていたヘンリーの侍従ビクトルが、そっと教えてくれる。
「薬と毒?」
「継承者ではない旦那様が『モレノの毒』じゃない、と散々揶揄されたことに腹を立てて、毒を学んだそうです。今ではそれが知られて、『モレノの毒』は毒物だと思われることも多いです」
そう言えば、王弟のルシオもそんなことを言っていた気がする。
「旦那様も目くらましにちょうど良いから、と噂は放っておいていますから。そのせいもあります」
「そうなのね。教えてくれてありがとう、ビクトル」
イリスが礼を言うと、ビクトルは頭を下げる。
「婚約披露なんですよ? 残念なドレスを選ぶ理由がないでしょう」
「だからこそ、残念なドレスの晴れ舞台じゃないの。さすがに結婚式は無理だから、せめて今回はいいじゃないの」
まだ睨みあっていたらしい二人に、イリスも疲れてきた。
「……ヘンリーは、残念なドレスが嫌い?」
イリスが尋ねてみると、ヘンリーはため息をついた。
「好きとか嫌いとかいうものじゃないだろう、あれは」
「……そう」
ついこの間まで、残念状態のイリスの方が良いのだと思っていたが、それは結局勘違いだった。
ヘンリーは、残念なドレスが好きではないのだ。
イリスならどっちでも良いと言ってはいたが、残念なドレスの姿は本当は好ましくないのだろう。
まあ、当然と言えば当然だ。
そもそもは、それを狙っての残念ドレスだったのだ。
そういう意味では、ヘンリーの趣味は残念ではない。
良かったではないか。
ただ、残念が体に染み付いてしまっている身からすると、残念も決して悪いものではない。
そんな風に考えてしまう自分の残念さに、思わずため息が出た。
「――ああ、もう、わかったよ。残念なドレスでも良いよ。イリスがいるなら何でも良いよ」
ヘンリーが何故だか、かなり投げやりに降参している。
「え? いいの?」
婚約披露に残念なドレスは必要ない、とあれだけファティマに言っていたのに。
どういう心境の変化なのだろう。
「甘いわねえ」
ファティマは微笑むと、イリスの手を握る。
「それじゃあ、残念なドレス楽しみにしているわね、イリスちゃん。……仕方ないから、普通のドレスも着てあげてちょうだい」
「は、はい。わかりました」
『毒』と毒をかけていた親子の衝突は、呆気なく終わりを迎えた。