番外編 ラウルの肉
食堂で肉の皿を並べている少女に気が付いたのは、偶然だった。
女生徒は大抵、あっさりとした料理か菓子を注文する。
優雅に、上品に、美しく。
その立ち居振る舞いを見るのが、ラウルは好きだった。
伯母の仕立て屋の手伝いを始めたのも、綺麗な布やドレスに興味があったからだ。
自分が着たいとは思わないが、美しい女性の身を飾るのは心が躍る。
だが、先日伯母と喧嘩したせいで、しばらくは店に行きづらい。
腹いせに何にも使えないような、ギラギラしたヤバい生地を発注したので、更に行きづらいというのもあった。
空いてしまった時間を潰すため、食堂で過ごしていたラウル。
そこで、一人でせっせと何かをしている女生徒に気付いた。
なかなかぽっちゃりとしたシルエットだが、その割に手や首は細い。
かなりアンバランスな体型の女性のようだ。
何となく好奇心で見てみると、遠くからでもわかるほど大きな傷跡が額にある。
思わずラウルも眉を顰めるほどだ。
学園にいるということは、貴族の御令嬢だろうに。
何故あんなに大きな傷を負ったのだろう。
更に見ていると、彼女は皿をテーブルに並べているようだった。
どれもこれも肉が乗っていて、かなりの量になる。
なるほど、あのぽっちゃりはこうして維持されているのか。
感心して見ていたのだが、彼女は一向に食べようとしない。
皿を並べるだけ並べて、何やら思案している。
しまいには頭を抱えだした。
何をしたいのか、ラウルにはさっぱりわからない。
そこに茶色の髪の美少年がやってきて、隣に座ると肉を食べ始めた。
彼のための肉だったのだろうか。
その割には、何やら少年に注意されているが、何なのだろう。
何ひとつ理解できない光景に、ラウルは興味を引かれた。
それからは、毎日彼女を食堂で観察するようになっていた。
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肉の彼女はイリス・アラーナという伯爵令嬢らしい。
伯母の店でドレスを仕立てているらしく、しかもラウルが腹いせに発注したヤバい生地を使うという。
学園での振舞いもおかしかったが、ドレスまでおかしいのか。
イリスのとどまるところを知らない謎の行動に、ラウルは更に興味を引かれた。
話をしてみたいという気持ちもあったが、彼女のそばにはいつでもあの茶色の髪の美少年がいた。
ヘンリー・モレノという名前の彼は侯爵令息で、女生徒に人気があった。
あれだけイリスのそばにいるのだから、女生徒が嫉妬するかと思いきや、そうでもない。
実際には嫉妬はしているのかもしれないが、あまりにおかしなイリスの行動に、近付くのがためらわれるようだった。
ラウルも同じだ。
話をしてはみたいのだが、何だか気後れしてしまっていた。
イリスは顔の傷やアンバランスなぽっちゃり体型の時点で、そこそこ目立っていた。
その上、ドレスは毎度おかしいし、夜会では肉を持って歩き回っているらしい。
授業では明らかにわかっている内容をわからないふりをしていたり、教室中の蝋燭を氷塊で包み込んでおきながら他人のふりをしたり。
イリスはやることなすこと意味がわからない、ともっぱらの噂だった。
あまりのわけのわからなさに、次は何をするか賭けている生徒もいるくらいだった。
特に、夜会のドレスのいかれ具合は学園中の話題だった。
ヘンリー以外は誰も近付けないけれど、誰もが気にする存在。
それが、イリス・アラーナだった。
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春の舞踏会が騒ぎで中断され、やり直しの舞踏会が開催される前日のことだった。
いつものように食堂に来たラウルは、食堂全体がざわついているのを感じた。
皆の視線の先を見てみると、イリスが紅茶を飲みつつケーキを食べている。
イリスが肉を並べていないのは初めてだし、ケーキを食べているのも初めて見た。
まさかの事態に「イリスが肉を並べていないから、明日は雪が降る」という囁きさえ聞こえてくる。
もう既に、学生にとってイリスの肉並べは一つの定番行事なのだ。
当たり前の光景が見られないと、人は寂しさを感じる。
料理を提供する係の人間も、何だか元気がなかった。
何故今日はいつもと違うのだろうと見ていて、ラウルは気が付いた。
今日は、ヘンリーがいない。
これは、最後のチャンスなのかもしれない。
明日の舞踏会が終われば、すぐに卒業だ。
イリスと話す機会はなくなるだろう。
すぐさま肉を三皿注文すると、イリスの元に急いだ。
「あの。これ良かったら、どうぞ」
「え?」
皿を置くラウルを、イリスが見上げた。
普段は遠目に見かけるだけの、イリスの顔。
それを初めて間近に見たラウルは、息を呑んだ。
額の傷は、遠目で見るよりも生々しく痛々しい。
だが、瞳は輝く金色で、造作は整っている。
傷を見なければ、美少女と言っていい美しさだ。
意外すぎる事態に、ラウルは固まった。
「お肉、私に?」
イリスの質問に、ラウルは慌てた。
「あ、明日は舞踏会なので、雪は勘弁してください」
思わず出た言葉に激しく後悔したが、もう遅い。
だが、イリスはしばし瞬くと、困ったように微笑んだ。
その笑顔に、ラウルは胸が苦しくなった。
こんなに肉の皿が似合う女性がいていいのか。
きっと、イリスは肉に選ばれた女性なのだ。
肉の神、いや、女神なのだ。
肉の女神に心奪われたラウルは、礼をしてそのまま食堂を出ていく。
明日の舞踏会、肉の女神に会いに行こう。
きっと残念で珍妙なドレスを着ているはずだから、すぐに見つかるはず。
そこで、ラウルの想いを伝えるのだ。
そうして挑んだ舞踏会で、美しい姿のイリスを見たラウルは、肉の女神に完全に調伏されたのだった。