残念な戦い
立派に残念な姿となれば、残念装備は外せない。
イリスの場合は傷の化粧、ボリューム調整、残念なドレス、両手に肉、が主な柱だ。
だが、イリスは既に残念のブランクがある。
『碧眼の乙女』との戦いの時には命がかかっていたので、なりふり構ってはいられなかった。
だが、今からボリューム調整で布を巻きつけるのはつらい。
一度普通のドレスを味わってしまうと、残念ドレスの過酷さが増してくる。
そこで、イリスは考えた。
「ボリューム調整された状態のコルセットを作れば、いちいち布を巻かなくていいし、すぐに外せるんじゃないかしら?」
このアイデアを伝えると、仕立て屋のミランダは満面の笑みを浮かべた。
「なるほど。真の残念は、見えないところから。……新たな残念の方向性ですね、イリスお嬢様」
何だか大袈裟な表現だったが、ミランダは乗り気だ。
すぐにでもボリューム調整コルセットを作ってくれると言うので、イリスは安心した。
ついでに、普段使いの残念なドレスもいくつか作ろうと、店内の生地を見て回る。
「……ねえ、何だか奇抜な生地が増えていない?」
店内の一角が、目に痛いコーナーになっているのは気のせいではないだろう。
「最初の残念ドレスの生地を仕入れた者が、少しずつ仕入れたんですよ」
「最初って視力を下げる赤と緑の生地でしょう? もともとお店にあったんじゃないの?」
「いえ。私の妹の子が、発注していたんです」
「どういうこと?」
「服が好きなので店の手伝いをしてくれているんですけど、あの残念な布の破壊力に魅せられたらしくて。私に内緒で発注していたらしいのです」
服が好きなのは良いが、あの生地を仕入れるとは。
実に、残念なセンスだ。
いや、イリスにとっては、ある意味恩人か。
「イリスお嬢様と同い年なので、もしかしたら学園で会っていたかもしれませんね」
「……そうね」
イリスは学園では残念に専念していたので、普通の女子生徒と接する機会はなかった。
残念な学園生活に後悔はない。
でも、もしも普通の格好で普通の学園生活を送っていたら、どうなっていたのだろう。
それなりに友人ができたかもしれないし、楽しいのかもしれない。
でも、きっとヘンリーとは無関係で終わったのだろう。
人生は、どう転ぶかわからないものだ。
「完成です、お嬢様」
ダリアは誇らしげに鏡の中のイリスに告げる。
イリスの額には痛々しい大きな傷跡ができていた。
一週間ほどで完成したコルセットとドレスが届いたので、それも着用している。
久しぶりの残念フル装備にイリスはもちろん、何故かダリアも興奮していた。
「学園に通っている頃は、お嬢様を醜く飾るなど苦痛でしかありませんでしたが。……こうして久しぶりに化粧をするとなると、何だか楽しいものですね」
「何だか、傷が生々しくなってない? ダリア、腕を上げたわね」
「お嬢様の要望に応えられるように日夜努力しておりますので。……ただ、できれば普通のお化粧で美しく飾りたいのですが」
「それは仕方ないわ。私にはこっちの方が良いみたいだし」
ダリアは首を傾げつつ、ドレスのリボンを結び直す。
このドレスは、一見シンプルな枯草色のドレスだ。
だが、溢れるフリルの隙間からスパンコールが目を狙撃してくるので、侮ってはいけない。
イメージは草陰から狙いを定める狙撃手だ。
油断したところを仕留められるように、かなり光の反射が強いものを選んである。
ちなみに、イリスはうっかり油断して、既に仕留められている。
傷の化粧の間は、目を開けることができなかった。
もう少し角度と配置は考えなければいけない。
こうして残念について検討するのも久しぶりで、何だか楽しくなってきた。
「お嬢様、ちょうどヘンリー様がいらしたようですよ。庭にお茶を用意しますから、そちらにお通ししますね」
「うん」
残念装備の用意をしていたこの一週間、ヘンリーには会っていないし、連絡もしていない。
何となく、残念状態でなければ会ってはいけないような気がしたからだ。
残念な戦をするなら、準備万端で迎え撃ちたい。
ここが勝負所だ。
少し緊張しながら、イリスは庭に向かった。
「イリス、良かった。元気そうで……何だ、その恰好」
ヘンリーは眉間に皺を寄せる。
早速狙撃手の一撃が決まったようで、眩しそうに目を細めた。
イリスの残念な先制攻撃は成功したようだ。
まずは、一安心である。
「久しぶりに残念なんだけど。どうかしら?」
「どう、って……」
ヘンリーはじっとイリスを見つめると、やがて口元を綻ばせる。
「……何だか、懐かしいな」
やはり、ヘンリーはこの姿の方が好ましいようだ。
作戦は成功と言えるが、年頃の女性としては惨敗な気もする。
複雑な気持ちを抱えたイリスの頭を、ヘンリーが優しく撫でる。
「この一週間、何の連絡もなかったから心配したよ。でも、元気なら良かった」
「うん、大丈夫よ。残念な休憩所はちょっと考え直すけど、残念な婚約者になるよう頑張るわ」
「よくわからないが、無理はするなよ」
「うん」
残念の道は長く険しい。
イリスは心の中で自分を鼓舞した。
「……イリスさん、ですよね?」
クレトはしばらく硬直していたが、絞り出すように声を出した。
「そうよ。……ああ、そうか。クレトは残念な恰好を見るのは初めてなのね」
「ざ、残念?」
「そう。学園にはこれで通っていたのよ」
「これで? 何でですか?」
もっともな疑問に、イリスは微笑んだ。
「――生きるための戦いだったの」
そして、今は残念な戦いなのだ。
「いや、よくわかんないですけど。普段のイリスさんの方が良いと思いますよ」
「ありがとう、クレト。お世辞でも、ちょっと救われるわ」
イリスだって年頃の女の子だ。
可愛い恰好が嫌いなわけではない。
ただ、必要なものが残念だったというだけだ。
「お世辞なんかじゃないです。……その恰好で、大丈夫なんですか? あの、ヘンリーとかいう奴は」
「大丈夫よ。こっちの方が良いみたいだから」
「……じゃあ、あいつのためですか」
クレトは苦虫を噛みつぶしたような顔で呟いた。
「……どんな趣味なんですか」