まさかの残念推しでした
夜会の会場ではヘンリーもまた、人に囲まれていた。
イリスは男女半々だったが、ヘンリーはほとんどが女性だ。
これが、一年前に言っていた『女性のアピールに辟易している』の現場なのだろう。
この大人数の中でアピールというのは、どんなものだろう。
アイドルのコンサートで、団扇を振っている感じだろうか。
魚市場の競りのごとく、声をあげるものなのだろうか。
飲み物をとるためにヘンリーから離れた一瞬のうちに現れた人垣に、イリスはわくわくして近付いた。
低めの身長を活かして、人垣の後ろにぴったりとくっついてみる。
「……イリス、何をしているんだ?」
早々に競り人に見つかった。
競り人の掛け声に、買い手である女性達が一斉にイリスの方を向く。
競り落とされる魚介類は、こんなにも激しい視線を浴びているのか。
気まずくて、このままでは食卓にたどり着く前に、カルシウムが枯渇してしまう。
「何、と言われても」
アピール合戦を見学しようとしていましたとは、さすがに言えない。
かといって、他に適当な理由も思い浮かばない。
どうしたものかと考えているイリスに、ヘンリーが手を差し伸べる。
「――おいで」
「……私?」
「他に誰がいるんだ」
ヘンリーが差し出した手の指先をちょいちょいと曲げて、来るように促してくる。
仕方ないので、人垣の間を通ってヘンリーの前まで歩く。
視線が痛くて、顔を上げるのが怖い。
「……来たわよ」
「うん。そのまま俺のそばにいてくれ」
「え……」
周囲の女性たちがざわめく。
何と言っているのかまでは聞こえないが、イリスを見る表情は険しい。
「はい、これ」
「え?」
ヘンリーは素知らぬ顔で、イリスに骨付き肉を手渡してくる。
わけもわからないまま、イリスは左手に骨付き肉を握りしめる。
今日は普通の令嬢ドレスだというのに、どういうことだろう。
武器を渡すと言う事は、戦えということだろうか。
でも、何と戦うというのだろう。
イリスが肉を傾げている間に、女性達はバラバラと散り始める。
あっという間に、ヘンリーを囲んでいた人垣は消えてしまった。
「……何なの?」
事態が飲み込めないイリスは、とりあえず一口、肉をかじる。
「いや、効果覿面だな。男よりも女の方が、現実を見るからな」
ヘンリーは満足そうに笑っている。
「……もしかして、私を人避けに使ったの?」
「ああ。さすがに気付くか」
「そんな。私、今日は普通のドレスだったのに」
「ごめんごめん」
ヘンリーは笑っているが、まったく笑い事ではない。
「――こんなに攻撃力があるなんて」
「……は?」
「今まで、『化粧とボリューム調整』『ドレス』『肉』で効果は三等分くらいかと思っていたのに。化粧もドレスもなしで、これよ。私の残念の大半は、武器が占めているということかしら。侮っていたわ」
「……どういう意味だ?」
「だから、私の残念さで女の子たちを引かせたんでしょう? ……さすがに一年も頑張ったから、私の残念に恐れをなしたのね」
『碧眼の乙女』との戦いを認められたようで、何だかちょっと誇らしい。
目を輝かせてもう一口肉をかじるイリスを見て、ヘンリーはゆっくりと頭を振った。
だが、武器を装備しているのにもかかわらず、イリスは再び数人の男性に囲まれそうになる。
さっきはあんなに高かった攻撃力が、一気に低下したようだ。
何故だろう。
もしかすると、武器はかじると攻撃力が下がるのかもしれない。
盲点だった。
これからは気を付けよう。
イリスが武器の扱いについて考えている間に、ヘンリーが男性達を散らしている。
立ち去る男性の後ろ姿を見て、ヘンリーはため息をついた。
「まったく。イリスのこの格好は……駄目だな」
ヘンリーがぽつりと呟いた言葉に、イリスは衝撃を受けた。
「イリス? どうしたんだ?」
動かなくなったイリスに、ヘンリーが心配そうに問いかけてくる。
「ちょっと、お肉とってくる……」
「あ? ああ。あんまり遠くに行くなよ」
衝撃と混乱で、上手く考えられない。
ヘンリーから離れながら、イリスは深呼吸をした。
『この格好は駄目』ということは、普通のドレスが似合っていないということだろうか。
夜会の前には似合っていると言っていたが、あれは普通のドレスによるお世辞効果だろうから除外するとして。
そう言えば、やり直し開催の舞踏会の時も、じっと見ているだけで何も言わなかったし、馬車の中では視線を逸らされた。
イリスの中で、黙っているのは残念の褒め言葉と同義。
つまり、ヘンリーはイリスの普通のドレス姿が好きじゃないのかもしれない。
混乱しながらも骨付き肉を取り、ヘンリーの所に戻ろうとすると、何やら声が聞こえる。
見ると、ヘンリーが一人の女性と何か話をしていた。
「……あの時、周囲の男性は剣を持った乱入者に右往左往して、我先にと逃げ回っていましたわ。そんな中、一人落ち着いて暴漢に立ち向かうお姿に、心を打たれましたの。わたくし、ヘンリー様をお慕いしております」
上品な青いドレスの女性が頬を染めている姿は、女のイリスから見ても可愛らしかった。
「そりゃ、どうも。……用が終わったなら、俺は行くよ」
「そんな、お待ちください。どうか、わたくしと」
「断る」
女性の言葉が終わる前に、ヘンリーはきっぱりと言い放つ。
「な、何故ですの? あの時一緒にいた、あの、頭がおかしいとしか思えないドレスの」
「ああ。それが良いんだ」
女性の言葉を遮って面倒くさそうに返事をすると、そのままヘンリーは女性から離れた。
「イリス! ……どうした? ぼうっとして」
イリスに気付いたヘンリーが、駆け寄ってくる。
「……ヘンリー、今のは、本当?」
恐る恐る尋ねてみるが、ヘンリーは涼しい顔で答える。
「ああ、聞こえたのか。……本当だよ」
「――そっか。……わかった」
イリスは両手に肉を持ちながら、深いため息をついた。
――まさか、頭がおかしいドレス……残念なドレスの方が良いとは。
そう言えば、以前に残念な状態が好きだと言っていた気もする。
普通にドレスアップするよりも残念な方が良いなんて、イリスはなんて残念な存在なのだろうか。
一応、悪役令嬢に相応しく、多少なりは美少女だったと思ったのだが。
やはり、一年間も残念に染まれば、そんなものは消え失せてしまったのかもしれない。
朱に交われば赤くなるというのだから、残念に浸ったイリスは芯から残念な存在になったのだろう。
残念な状態が魅力的なのか、普通のイリスに魅力がないのか。
どちらかはわからないが、どちらにしても何だか情けない。
だが、こうなったら仕方がない。
残念令嬢を目指した者として、立派に残念な姿をヘンリーに見せつけてやろうではないか。