普通の夜会と普通の頃
今回参加するのは、それほど規模が大きくない夜会だ。
もちろん残念な夜会ではなく、普通のものだ。
なんだかんだで、イリスとヘンリーが共に普通の状態で参加する夜会は初めてである。
大体はイリスが残念だったし、この間はヘンリーが行動の凍結のおかげで普通じゃなかった。
普通というのは、案外難しい。
ちなみに今日のドレスも、普通の令嬢仕様だ。
仕立て屋ミランダは残念ドレスが気に入っているようなので、多少渋るかと思ったのだが。
「さすがイリスお嬢様。ずっと濃い味付けでは舌も鈍りますから、たまには薄味で感覚を取り戻すということですね」
そう言って、嬉々として普通のドレスを仕立てていた。
残念な味付けならば、既に味蕾は破壊され尽くしている。
薄味ごときでは、どうやっても回復できないと思うのだが。
イリスに対する絶対の残念な信頼は、揺らぐことがないらしい。
大変に残念な話だ。
そうしてできたドレスは、実に普通の御令嬢ドレスだ。
アイボリーから黄色のグラデーションで生地を重ねていて、余計な装飾は控えている。
唯一の飾りは同じ生地で作った小さな薔薇で、結い上げた髪にも同じものを刺した。
「今日もドレスが軽いわ。普通って、体に優しいわよね」
「そうでございますね。お嬢様のドレスは相当な破壊力でしたから」
化粧をするダリアもうなずいている。
破壊力とか、あまり褒めないでほしい。
イリスは少し、残念が恋しくなった。
「イリスさん、凄く綺麗です……!」
「ありがとう、クレト」
もう一泊するらしいクレトが、イリスのドレス姿に感嘆の声をあげる。
人は、普通のドレスには、普通のお世辞がちゃんと出てくる。
これが残念なドレスだと、そもそも言葉が出てこない。
イリスの中では、黙っているのは残念の誉め言葉と同義だった。
「お待たせ、イリス」
そう言って部屋に入ったヘンリーは、ぴたりと動きを止める。
「……どうしたの?」
「いや。……ドレス、似合ってるよ」
言いにくそうに呟くヘンリーに、イリスは感心した。
「ヘンリーまでお世辞を言うなんて、普通のドレスの効果って凄いのね……」
「何だよ、お世辞って」
「だって、似合うって言ったわ。残念なドレスで、一度も言ってくれなかったのに」
「いや、あれは似合うとか似合わないという次元じゃない。似合ったら駄目なやつだろう」
「えー、酷い。どれも力作だったのに」
「イリスは力の入れ方が、基本的に方向音痴だ。そろそろ自覚してくれ」
何だかだいぶ残念なことを言われている気がする。
イリスがふくれていると、ダリアが小さな箱を持って来た。
「そうだ。このドレスを仕立てた職人さんが、同じ薔薇の飾りを作ってくれたの」
ダリアから箱を受け取り、中身をヘンリーに見せる。
イリスのドレスや髪を飾る薔薇と同じものが、花束のように可愛らしくまとめてある。
「……つける?」
「ああ」
イリスが箱ごとヘンリーに渡そうとすると、ダリアがその手を止めた。
「せっかくですので、お嬢様がつけて差し上げてください」
「えー?」
「じゃあ、頼もうかな」
渋るイリスに飾りを手渡すと、ダリアは箱を下げてしまう。
「つけたことなんてないんだけど、このピンを刺すの?」
安全ピンのようなものだという理屈はわかる。
でも、薔薇が邪魔でピンがよく見えない。
ヘンリーに刺さらないように上着をつまんで頑張っているのだが、なかなか難しい。
令嬢ボディは握力も貧弱で、上着をつまんだままでいるのも一苦労だ。
本当に、何て残念なのだろう。
試行錯誤しているうちに、針がイリスの指に刺さった。
「いた!」
思わず手を引くと、指先に小さな赤い水玉ができていた。
「イリス、大丈夫?」
ヘンリーはイリスの手を取ると、ハンカチを取り出して素早く止血する。
「いいわよ、ハンカチが汚れちゃうわ」
「ハンカチはどうでもいい」
そう言って手際よく止血すると、イリスの手から飾りを取って、胸元にさっとつけてしまう。
「ヘンリーが自分でつけた方が早かったわね。ごめんなさい」
時間を取らせた上に、ハンカチを汚してしまった。
なんだか申し訳なくなる。
「イリスがつけようとしてくれただけで、いいよ」
「……参加することに意義がある、ってやつね?」
ヘンリーは苦笑してイリスの頭を撫でる。
見れば、クレトは表情が死んでいるし、ダリアは生温かい笑顔を向けている。
どうやら、何らかの残念ポイントが発生したようだった。
「……予想以上だ。きりがないな」
ヘンリーが忌々しそうにため息をついた。
夜会会場に着くと、イリスとヘンリーはあっという間に人に囲まれた。
残念ブームはまだ続いているらしく、残念の先駆者であるイリスを一目見ようとやってきているらしい。
今日のイリスは残念ドレスではないので、すぐに立ち去ってくれるのかと思えばそうでもなかった。
女性陣は早々に引いたのに対して、男性陣はイリスのそばから離れようとしなかった。
そう言えば、残念な夜会に行った時もこんな感じだった。
女性はドレスに、男性は残念の心意気に興味があるということだろうか。
イリスを見ていても残念は磨かれない。
己の残念は、己で研鑽してもらいたいものだ。
ヘンリーがあしらってくれたおかげで、ようやく一息ついたイリスは飲み物を手に取る。
橙色の柑橘のジュースは爽やかでおいしいし、今日のドレスにこぼしても目立たない。
つまり、残念力は低めだ。
何を見ても残念換算するようになってしまった自分が、誇らしくも悲しい。
「ねえ、ヘンリー。何て言って離れてもらったの? 前の夜会で、離れてもらうのに凄く苦労したのよ。教えてくれない?」
残念への探求心でイリスのそばを離れない男性は、ちょっとやそっとでは諦めない。
よほど残念な何かをイリスから学び取りたいのだろう。
その情熱があれば、自らで残念を磨けると思うのだが。
「秘密」
「えー。ずるい」
よほど効果的な言葉があるのだろうか。
それは是非とも聞いておきたい。
身を乗り出して待っていると、ヘンリーに頭をぽんぽんと撫でられる。
「これからは俺が一緒にいるから、イリスが知らなくても問題ない」
「だから、いない時のために聞きたいんだけど」
「それよりも、この一年は残念だったとはいえ、その前は普通だったんだろう? 今までもこんな感じだったのか?」
「え? うーん。そもそも、夜会にろくに出ていないのよね」
「そうなのか?」
「カロリーナ達とお茶会している方が楽しかったし。どうせクレトなりどこかから婿養子をとるんだろうから、出会いを求める気もなかったし」
「……そうか」
「あと、カロリーナ達が私は行かなくていいって止めるから。何か、危険なんだって。……学園の夜会では平気だったけど、何かあるのかしら。乱闘騒ぎとか?」
「いや、それはないけど。……確かに、危険かもしれない」
「そうなの? 何があるの? 武器が必要?」
「肉はいらない。……肉で何をするつもりだ」
「とりあえず、手に持ったら何とかなると思うの」
「ならない」
「両手でも?」
「ならない」
「それは確かに、危険ね……」
武器の両手持ちでも通じないとなると、どうしたら良いのだろう。
曲がりなりにも伯爵令嬢なので、口にくわえたまま歩き回るのはどうかと思うのだが。
ここは、一歩先の残念に手を出すべき時なのかもしれない。
唸るイリスの隣で、ヘンリーがため息をついている。
「……カロリーナに感謝だな」
ぽつりとヘンリーは呟いた。