残念な嗜好
「ところで。イリスちゃんは、残念の先駆者と呼ばれているらしいわね」
夫人の一言に、イリスは固まった。
ついに来た。
死刑宣告。
一度和やかに話してからの攻撃とは、油断大敵とはこのことか。
さすが、モレノ侯爵夫人だ。
……よく知らないけど。
「……はい。何だかそう呼ばれているみたいです」
今更、隠しようもない。
自らの残念には責任を持たなければ。
残念には残念の道というものがあるのだ。
イリスが死刑宣告を受け入れると、夫人は目を輝かせてイリスの手を握った。
「――残念なドレス、着て見せてくれるかしら!」
「……はい?」
何を言われたのか理解できず、イリスは思わず問い返す。
「だから、残念なドレスよ。私、残念ラインのドレスのファンなのよ。さすがに自分では着れないけれど、見るのは大好きなの」
「そ、そうなんですか」
まさかのカミングアウトに、イリスは上手く返答できない。
「いいわよね、残念ドレス。特に目潰しの効果は侮れないわ。着ているだけで自然に視力を奪うなんて、素晴らしい攻撃性だわ」
どうやら、装飾や色というよりも、攻撃力が気に入っているらしい。
いかれたドレスには、いかれたファンがつくのだろうか。
それを言うと、残念の先駆者であるイリスが、一番いかれているということになる。
だいぶ残念な話だ。
「カロリーナはシンプルで機能的な物しか着てくれないのよね。ぜひ今度、残念なドレスを着て見せてちょうだいね」
「は、はい」
残念なドレスを要求されるとは、なんて残念な嫁姑関係だろう。
これなら、何とかやっていけるかもしれない。
「ヘンリーのお嫁さんは『毒の鞘』になるから、大変よね。私は何もわからないから、教えてあげられないのが申し訳ないんだけど」
「え? 侯爵夫人なのにですか?」
モレノの当主の伴侶のことだと思っていたのだが。
「『毒の鞘』は、『モレノの毒』の継承者の伴侶のことよ。侯爵夫人を指す言葉ではないわ。しかも、現当主は『モレノの毒』を継いでいないから、私はただの侯爵夫人よ」
「そうなんですか」
てっきり、侯爵も継承者なのだとばかり思っていた。
「そう。ちょうど継承者が生まれなかったんだよ。おかげで、私が当主になった。先代……ヘンリーの祖父は『モレノの毒』の継承者だよ。だから、その妻であるヘンリーの祖母は『毒の鞘』だ。現在『毒の鞘』と呼ばれる唯一の人物だね」
侯爵の話ぶりだと、どうやら継承者というのはそれほど数はいないようだ。
「現在『モレノの毒』の継承者は、先代当主とヘンリー、あと二人だね。これでも、世代的にはたぶん多い方じゃないかな」
「その、先代の奥様はどちらにいらっしゃるんですか?」
「今はこの屋敷を離れて、領地の田舎に隠居している。いずれ会うこともあるよ」
「はい」
イリスにとって『毒の鞘』の先輩に当たる人。
いつか、話を聞いてみたいものだ。
「わざわざ送ってくれなくても、歩いて帰れるのに」
モレノ侯爵家からの帰り道。
イリスは問答無用で馬車に乗せられていた。
「――駄目だ。イリスは今、残念な状態じゃない。それに、年頃の令嬢としてはもちろん、モレノの関係者として危険を避けるためにも、一人で歩いたりしないでほしい」
ヘンリーの顔は思いの外、真剣だ。
「ヘンリーも危険な目に遭っているの?」
そんなに言うのなら、何かあるということなのだろう。
ヘンリーは大丈夫なのだろうか。
「俺は慣れているし、それなりに強いよ。大丈夫」
「……遭ってはいるのね」
確かにヘンリーの剣の腕前は凄かったが、それとこれとは別な気がする。
「んー。まあ、軽い襲撃くらいなら、日常茶飯事かな」
「日常……」
それはまた、思った以上の頻度だ。
ここは乙女ゲームの世界のはずなのに、ヘンリーだけバトルゲームの人間なのだろうか。
好感度ではなく、レベルでも上がっているのだろうか。
イリスが若干引いていると、ヘンリーが頭を撫でてきた。
「大丈夫。俺よりもイリスの方が心配だよ。だから、一人で出歩くのはやめてくれ」
「……残念な状態なら、いいの?」
イリスが聞くと、ヘンリーは笑った。
「そうだな。でも、それでも心配だな。俺みたいに、残念でも良いって男がいるかもしれないだろう?」
「……ヘンリー、残念状態が好きだったんだ」
それはまた、残念な嗜好である。
「そうだ。残念と言えば。せっかくだから見せたいものがあるの」
イリスはそう言うと、にこりと微笑んだ。