共に、残念です
「いや、もう。ヘンリー君には、感謝しかないよ」
父であるアラーナ伯爵はご機嫌だ。
「イリスはね。父親が言うのもなんだけど、元は良いんだよ。元は。……なのに、急に変な化粧やら格好やらし始めて。確かに流行りだったみたいだけど、それにしたってねえ」
残念令嬢作戦を始めた頃は、ただただ残念だったイリスの格好も、最近では残念ブームに乗って市民権を得つつある。
皆が認める残念って、もう別の何かのような気がするが、余計なことは言わずに黙っておく。
今日は婚約に向けた挨拶に来ているのだから、父の機嫌をあえて損ねる必要はない。
「顔に傷の化粧なんて、いくら何でも酷いだろう? ヘンリー君もよく受け入れられたね」
「問題ありません。かえって余計な虫がつかないので、ありがたいですよ」
「そういう見方もあるか。確かに、イリスは可愛いからな」
どこまでも父のツボを心得た返答に、イリスは思わず渋い顔になる。
傷の化粧は『碧眼の乙女』との戦いのための武器だ。
余計な虫どころか、必要な水も陽光さえも避ける逆サバイバルが目的だったのだから、褒めようもないはず。
褒めるとしたら、ダリアの化粧技術や傷の生々しさの表現の方だと思う。
それをよくも上手く言い換えたものだ。
「とはいえ、あの恰好では縁談なんて来るはずもない。それをもらってくれると言うのだから、ありがたい話だ」
なんだか不良品を引き取ってもらったみたいな言い方だ。
ヘンリーは廃品回収の業者か。
イリスは粗大ごみなのか。
娘は可愛いとか言っていたのは何だったのだろう。
「しかも、ヘンリー君と婚約を考えて、あの恰好をやめたんだから二重の恩人だよ」
どうやら、父の中でヘンリーは救世主か何かのようだ。
イリスの格好を受け入れる。
レイナルドとの無理な婚約を阻む。
イリスに婚約を申し込む。
イリスが普通の格好になる。
確かにこうして見てみると、父からの好感度が高いのもうなずける。
母も終始笑顔で話を聞いているところを見ると、父と同様にヘンリーの好感度は高そうだ。
実際はヘンリーと関係ないことも多々あるのだが。
何だか釈然としないイリスは、ふくれっ面で話を聞いていた。
「それで、アラーナ家の跡継ぎはどうするんですか」
「親類のクレト・ムヒカという子を養子にするよ。以前からそういう話をしてあったし、本人も承諾しているから問題ない」
「以前から。……もともとイリスさんを嫁に出すつもりだったんですか?」
「いや? クレトをイリスの婿養子にするという話が、昔あってね。その名残だよ」
婿養子という言葉に、ヘンリーが一瞬眉根を寄せた。
「そうだ、イリス。養子の手続きやら何やらでクレトが来ることも増えるから、お茶でもしてあげて。クレトもイリスに会えるのを楽しみにしてるってさ」
「……はあい」
余計なことを言わないように黙っていたイリスは、そう返事をするとまた口を閉ざした。
「イリス。クレトってどんな奴?」
「どんなって。……そうね、可愛いわね」
「可愛い?」
モレノ侯爵家に向かう馬車の中で、ヘンリーが首を傾げる。
「最近は会っていないけど、よくうちに遊びに来てたし。仲は良かったと思うわ。よく私を嫁にするとか冗談言ってたし。クレトが家を継いでくれるなら、安心だわ」
「……ふうん」
そう言ってヘンリーは窓の外を眺める。
何となく不機嫌そうなのはイリスの気のせいだろうか。
やはり、実家の親に挨拶というのは緊張するのかもしれない。
イリスも、初めて会うモレノ侯爵夫妻に少し緊張していた。
何せ、この一年間残念の限りを尽くしてきたのだ。
王家お抱えの諜報機関だというモレノ侯爵家が、次期当主であるヘンリーの相手を調べないはずがない。
そして、調べれば必ずイリスの残念っぷりに行きつくだろう。
「……ヘンリー。私の残念でお断わりされる気がしてきたんだけど」
モレノの事情は置いておくとしても、いかれたドレスで名を馳せる嫁なんて欲しくないと思う。
「は?」
「ヘンリーだったら、もっと普通の、清楚で淑やかな美人だってよりどりみどりで選び放題でしょう?」
「……俺のこと、何だと思ってるんだ」
呆れたと言わんばかりにため息をつくと、ヘンリーはイリスの隣に移動してきた。
「前に女性にアピールされて辟易してるって言ってたから」
イリスの言葉を遮るように、両手でイリスの頬を左右から挟み込む。
「――いいか。俺がプロポーズしたのは、イリスなの。他はどうでもいいわけ」
至近距離で紫色の瞳がイリスを捉える。
「でも、残念な嫁なんて普通は嫌だと思うんだけど」
「うちは普通じゃないから問題ない。普通じゃないんだから、イリスくらいでちょうど良い」
「……それ、褒めてるの?」
「さあな」
「あと、顔が痛い」
「え?」
イリスの訴えにヘンリーがすぐに手を離す。
「少し赤くなってる。ごめん、力が強かった?」
「大丈夫よ。大体、鉄壁の厚化粧でも荒れないくせに、妙なところだけか弱いのよね、私の皮膚。残念で仕方ないわ」
これも令嬢ボディの呪いだろうか。
『碧眼の乙女』との戦いは終わっても、令嬢ボディとの戦いは続いていくのだろう。
「いや、もう。イリスちゃんには、感謝しかないよ」
どこかで聞いたようなセリフを口にしながら、モレノ侯爵はご機嫌だ。
「ヘンリーはなあ。父親が言うのもなんだけど、優秀は優秀なんだよ。……なのに、良くも悪くも淡白というか。確かにうちの家業にはちょうど良いんだが、それにしたってなあ」
王家お抱えの諜報機関の当主と聞いて緊張していたのだが、思っていた以上に砕けた様子だ。
圧迫面接を予想していたイリスは、面食らっていた。
「それがイリスちゃんのことなら必死なわけだ。親としても面白……いや、安心したよ。ありがとう」
今、面白いと言った気がしたが、突っ込むわけにもいかない。
「いえ。私こそ、カロリーナさんの友人だというだけで、ヘンリーさんに大変お世話になりましたから」
「ああ、それはヘンリーがやりたくてやってるんだろうから、気にすることはない」
侯爵はにこりと笑ってイリスを見る。
「覚えておくといい。ヘンリーはね、身内には甘いんだよ」
「そうなんですか」
確かに、カロリーナのしりぬぐいをしていたと聞いたし、家族に甘いところがあるのかもしれない。
「そう。その中に、イリスちゃんも入ってるわけだ」
「え?」
「寧ろ、今一番甘いのはイリスちゃんに対してだろう」
「はい?」
「だから、ヘンリーを頼って、いっぱいお願いをして、いっぱい困らせてやってくれ。……喜ぶから」
ヘンリーが侯爵を睨みつけているところを見ると、どうやら真実らしい。
「……そういう趣味だったのね」
面倒見の鬼をこじらせて、ついにそこまで行き着いていたのか。
イリスとは別の方向で、だいぶ残念な気がする。
「――違うぞ。何を考えているか何となくわかるが、違うからな」
「でも、面倒見の鬼だったし、そういうことなんじゃ」
「だから、違う」
イリスと喋るヘンリーを見て、侯爵夫妻は楽しそうに微笑んでいた。