番外編 シーロの祈り
「シーロ殿下、お話があります」
硬い表情でそう言ってシーロを呼び出したヘンリーは、喧騒から離れた場所でようやく口を開いた。
「陛下には報告済みですが、最近、モレノ侯爵家……というよりは俺個人が狙われているようです。すでに何回か襲撃を受けています」
「それは大変だね。でも、ヘンリーならそれほど問題ないだろう? 話というのは、イリスかい?」
ヘンリーは無言でうなずく。
モレノ侯爵家の次期当主であるヘンリーは、一流と言って問題ない剣の腕前だ。
更に言えば、モレノ侯爵家の家業のために、あれやこれやを仕込まれている。
普通に襲撃したところで、彼が負けるところをシーロは想像できない。
そのヘンリーが硬い表情でシーロに話があると言うのだから、十中八九、イリスのことだろうと察しがついた。
「ルシオ殿下が主犯の可能性が高いです。アベル殿下も動きが怪しい。俺だけを狙っているなら良かったのですが、イリスが狙われる可能性があります」
「ヘンリーを攻撃し続けるよりも、そっちの方が簡単で効果的だからね。前後を考えなければ、そうするだろう。……わかっていて、何故イリスのパートナーとして参加したんだ? この舞踏会には王族が参加すると知っていただろう。ルシオに目を付けられるぞ」
ただでさえヘンリーは、特定の人間を寄せ付けなかったのだ。
狙われるとわかってもなおパートナーになるのなら、それはイリスが特別なのだと宣言しているようなものだ。
「本当は別人に任せた方がイリスが安全なのはわかっています。ただ、今回は、その……」
ヘンリーが言いにくそうに言葉を濁す。
「……まあ、さっきのイリスを見てわかったよ。まさか残念なドレスばかりか、傷の化粧やボリュームの調整もすべてやめるとはね」
イリスはすべての残念装備を外し、普通の伯爵令嬢として参加していた。
もともと綺麗な顔立ちだったが、品の良い普通の化粧でさらに整って見える。
華奢な体は男の庇護欲をそそるし、意志の強そうな金色の瞳も印象的だ。
更に淡い緑と白のドレスに豊かな黒髪が映えて、イリスの美しさを引き立たせていた。
「素顔を知っている俺でさえ、ちょっと驚いた。周りの男共がざわついていたのも無理はないよ。本当に、何で今まであんな残念な格好をしていたのやら。……あれじゃ、他の男にパートナーを譲れないよな」
ヘンリーは気まずそうにうなずいた。
「ルシオ殿下の件で、モレノ侯爵家のしきたりによる行動の凍結が発動しました。俺は、イリスに何の説明もできないし、答えられない。そばにいられないことも多くなると思います」
「どういうことだ?」
ヘンリーから行動の凍結の説明を聞いて、シーロは眉を顰めた。
カロリーナは一年の別離を選んだから知らなかったが、何と面倒なことだろう。
「……だが、先日の舞踏会でプロポーズしたんだろう? まだ先方に挨拶していないから駄目ということかい?」
「いえ。その場で返事をもらっていませんでした。翌日からルシオ殿下の攻撃に遭ったので、行動の凍結が発動しました」
「……間が悪いな」
それでは、モレノの家業についても何も知らない状態なのか。
シーロの言葉に、ヘンリーもうなずく。
「正式な婚約者でない以上、モレノの護衛はつけられません。代わりに、監視だけは許されましたが、抑止力になるかは微妙です。今は、とにかく急いで問題の解決を図るのが優先です」
「あてはあるのかい?」
「行動の凍結を解除するために、ルシオ殿下が関わった証拠を集め始めました。もう少しで陛下に報告できるようになります。それまでの間にイリスと会うことがあれば、どうか守ってあげていただけませんか」
王族のシーロに対して、諜報機関の次期当主が一貴族令嬢を守ってほしいと頼むなど、本来ならありえないことだ。
だが、シーロにとってもヘンリーとイリスは弟妹のような存在だ。
まして、事情が事情だけに同情を禁じ得ない。
「わかった。カロリーナもイリスに会いたいだろうし、こまめに会うよう気を付けてみるよ。ヘンリーは、自分の本分に注力するんだね」
「ありがとうございます」
ヘンリーは深々と礼をした。
王族と臣下ではあるが、シーロにとっては弟分であり友人でもある。
問題が片付いたら、カロリーナとイリスも交えて、ゆっくりお茶でもしよう。
きっと、その頃にはこの騒動も笑い話に変えられるだろう。
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謁見の間に、ヘンリーとイリスが入ってくる。
イリスは顔と首にガーゼを当てており、動きもぎこちない。
ヘンリーに手を引かれて普通に歩いてはいるが、たぶん何か痛みがあるのだろう。
「怪我人は、無理をしない」
シーロが椅子を用意すると、イリスは困惑していた。
国王であるフィデルに会うのは初めてだろうし、ヘンリーが跪くのを見たから、座っていいものなのかわからないのだろう。
椅子に腰かけるイリスに手を貸すが、やはり動きがぎこちない。
「……イリスがこれなら、『毒』は結構なものになったかな」
シーロはそう呟くと、フィデルの隣に戻る。
ヘンリーがフィデルに事の次第を報告する。
ルシオには『モレノの毒』を使ったようだった。
「いや、だから。どの程度盛ったのか、一応報告してくれ」
フィデルが問うと、ヘンリーは不満そうに眉をひそめた。
「……仕方がないので、加減しました。せいぜい、ひと月でしょう」
「うわ」
フィデルが明らかに引いている。
『モレノの毒』の詳細は、王族のシーロですらよくわかっていない。
シーロにわかるのは、精神に作用する魔法の一種ということだけだ。
国王となったフィデルなら何か知っているのかもしれないが、どちらにしても危険なもののはずだ。
今回、王族であるルシオにその使用許可が下りたのは、あくまで特例だ。
王位継承のごたごたを未だに引きずっているのも良くはなかったが、何と言っても『毒の鞘』に手を出したのが問題だった。
国王の直接の配下である諜報機関、モレノ侯爵家。
その次期当主にして『モレノの毒』を継ぐヘンリーの、『毒の鞘』になりうる人間に手を出した。
これを許すのなら、モレノ侯爵家の国王への忠誠が揺らぎかねない。
事実、過去に『毒の鞘』への介入でモレノ侯爵家が離反する寸前までいったことがあるという。
モレノは武勇の家柄というわけではないから、兵を投入すれば抑えることはできるだろう。
だが、そんなことをしている間に、王族は根こそぎ『毒』に侵される。
大人数を相手にするのは得意でないが、対少数であれば無類の強さを誇るのだ。
「まあ、それくらいで済んで、ありがたいんじゃない?」
シーロからすれば、ルシオを殺さなかっただけマシだ。
自身もルシオには何度も狙われたので、兄と言えど擁護する気はなかった。
「――わかった。ご苦労だった。もう帰っていい。寧ろ、帰ってくれ」
フィデルが慌てて言うと、ヘンリーは無言で立ち上がる。
「話すことは山ほどあるだろう? 部屋を用意しようか?」
シーロに問われたヘンリーは、首を振る。
「いえ。行くところがあります」
問題は解決したのに、どこに行くのか。
思案すればすぐに結論がでた。
「……ああ、そうか。そうだな。また邪魔が入るといけないからな」
今度こそは、イリスにプロポーズの返事をもらうだろう。
そして、彼女を他に渡さないために、アラーナ伯爵に挨拶をするだろう。
次に会う時には、二人の笑顔が見られることを祈って、シーロは手を振った。









