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番外編 ヘンリーの落胆

「――行動の凍結、ですか」


 ヘンリーが繰り返したのは、確認のためではない。

 信じたくなかったからだ。



「そうだ。モレノ侯爵家への攻撃の可能性を考え、行動の凍結を発動する。……わかっていたことだろう」

 モレノ侯爵家当主である父は、そう言ってヘンリーを見る。


 父が言っている意味はわかる。

 だが、タイミングが最悪だ。

 こんなに残念なことが、現実にあっていいのか。

 ヘンリーは知らず、頭を抱えていた。



「何だヘンリー。ちょうどプロポーズして返事待ちというわけでもないだろうに」

 父の無神経な鋭さに、ヘンリーは思わず睨み返す。

 わかっていて、わざと言っているのではないかと勘繰りたくなった。


「……まさか、本当にそうなのか?」

「大変残念ながら、その通りですよ」

 その返答に、父は憐憫の眼差しをヘンリーに送ってきた。


「それは……あれだな。明確な好意にギリギリ入らない言葉として、『会いたい』と『大事』が認められている。どうにか駆使しろ。――頑張れ」

「それだけですか!」

 いい笑顔でうなずく父に、思わず叫び返す。


「だがなあ、どうしようもない。この襲撃が偶然のものであることを祈るんだな。モレノへの攻撃なのだとしたら、行動の凍結はしばらく続くぞ」

「わかってますよ」



 イリスにプロポーズしたのは、昨日の舞踏会だ。

 だいぶ混乱していたようだが、少なくともヘンリーを嫌ってはいないというのはわかった。


 それだけでも嬉しくなって、そのまま屋敷に送った。

 イリスの混乱が落ち着いた頃に、また話せばいいと思っていた。

 端的に言って、浮かれていたのだ。


 ――昨日の自分を、鼻血が出るまで往復ビンタをして投げ飛ばした上で串刺しにしてやりたい。


 ヘンリーは大きなため息をついた。



 ヘンリーはモレノ侯爵家の次期当主だ。

 カロリーナという姉はいるが、男女の別だけでなく、資質の関係で幼少期からヘンリーが継ぐものと決まっていた。

 ありとあらゆるものを仕込まれたし、学んだし、それが当然だった。

 もちろん、モレノのしきたりだって熟知していたはずだ。


 なのに、こんな凡ミスをしてしまうとは。

 イリスと関わって、ヘンリーも残念になってしまったのかもしれない。



「こんなことなら、昨日とりあえずイリスを騙してでも返事をもらっておけば良かった」

「いやいや。それもどうかと思うぞ、息子」

 父の突っ込みに、ヘンリーが睨み返す。


「先代当主の騒動を俺に聞かせていたのは、自分でしょう」

「それはそうだが……」



 祖父である先代当主の若き頃、まさに今のヘンリーと同じような事態になった。


 祖母にプロポーズをした次の日から、行動の凍結が発動したのだが、その時点で返事をもらっていなかった。

 当然、モレノについて説明もできていなかった。


 翌日に祖母が返事をするが、祖父は返答できない。

 最初は照れているのかと思っていた祖母も、何度言ってもはっきりしない祖父に怒りが爆発した。

 ちょうど他の女性にアプローチされていたのを見ていた祖母は、浮気の末の偽装結婚を疑った。

 それでも何も言えなかった祖父は、祖母に渾身の平手打ちを食らって捨てられる寸前になった。


 寝る間どころか呼吸する間も惜しんで問題解決をした時には、祖母は既に祖父のことがどうでも良くなっていた。

 そこからかなりの時間をかけてようやく結婚したのだが、そのせいか祖父は今でも祖母には頭が上がらない。



 当時は半分笑って聞いていたが、今は背筋が凍って笑えやしない。

 ヘンリーもまったく同じ状況だ。

 プロポーズの返事を聞いても答えないなんて、何を言われても疑われても仕方がない。


 ただでさえ、ストレートに好意を伝えても伝わりきらないイリスが相手だ。

 下手に説明しようとすれば、ややこしいことになるのは目に見えている。


 祖父が言うには、話せば話すだけ泥沼だったというし、こうなったらイリスと距離を取ってプロポーズの話が出ないようにするしかない。



 ……何で、プロポーズした愛しい相手を避けなければいけないのか。

 ヘンリーは自分が情けなくなってきた。



 ********



 ヘンリーの願いも空しく襲撃は続き、父はモレノ侯爵家への攻撃と認めて対応に乗り出し始めた。

 当然、行動の凍結は続行される。

 祖父の教訓を受けて、ヘンリーは寝る間も惜しんで調査をし、イリスと話すことのないようそれとなく避けていた。


 ……正直、つらかった。


 この一年、イリスとずっと行動を共にしていたのだ。

 話せないのもつらいが、会えないのもつらい。

 侍従のビクトルが会うべきだと主張していたが、ヘンリー自身だって我慢ができない。



 イリスの様子を探るためという名目で時々そばに行ったが、いつプロポーズの返事をされるかと思うと怖くなり、早々に退散した。


 それでもやはり気になって、こっそりとイリスを見ていた。

 物陰からイリスを見ていると、意外とイリスを気にしている人間が多いことに改めて気付かされる。

 女性としてというよりは妙な見世物を観察という感じだが、それでも注目されていることには変わりない。

 堂々とイリスを見ていられる彼等にすら嫉妬する自分が、情けなくなったりもした。


 イリスは当初不思議そうにヘンリーを見送っていたが、次第に立ち去るヘンリーを見なくなっていた。

 プロポーズの話題を警戒していたヘンリーだが、それもイリスから持ち出すことはなかった。

 イリスの反応に若干の不安を感じ始めた頃、指輪が右手の指に移動していることに気付いた。


 ――血の気が引き、心臓を鷲掴みにされたような衝撃がヘンリーを襲った。



 これはもう、ヘンリーに気持ちがないということか。

 いや、プロポーズの返事は聞いていないので、そもそも気持ちなどなかった可能性もあるが。

 どちらにしても、左手の薬指に指輪をはめたくない程度には、価値が下がっているのだろう。


 もう、それほど猶予はない。

 このままでは祖父の二の舞だ。

 祖父はどうにか祖母を繋ぎ止めたが、ヘンリーがイリスを繋ぎ止められる保証などない。



 いっそ真実を伝えてしまおうか、とヘンリーの中の悪魔が囁いた。

 だが、モレノの人間として、次期当主として、それはできなかった。


 ヘンリーにできることは、問題を早く解決すること。

 その上で、説明をすること。


 わかってはいるが、それと精神的ダメージはまた別の話だ。

 イリスの右手の指輪を思い出し、ヘンリーはがっくりとうなだれた。



 ********



「……イリス、だよな」

 たっぷりとした沈黙の後、ヘンリーが呟く。



 やり直しの舞踏会の当日、ヘンリーはイリスを迎えに行った。

 寝る間を惜しんで調査した結果、今回のモレノへの攻撃は王弟のルシオが主犯のようだった。

 舞踏会には王族も参加するというから、ここでヘンリーがイリスを伴って行けば攻撃対象にされかねない。

 イリスの安全を第一に考えるならば、パートナーは他の人間に譲るべきだった。


 だが、イリスが残念装備を外して参加すると聞いて、ヘンリーはパートナーとして参加することを決めた。

 剣の稽古でイリスの素顔を見ているヘンリーとしては、ドレスアップした美しいイリスを他の男に任せるのが耐えられなかった。


「そうよ」


 何を当たり前のことを言っているのだろう、と言いたげなイリス。

 だが、ヘンリーが思わず確認したくなるのも仕方がなかった。



 イリスは淡い緑と白の上品なドレスを着ていた。

 ボリューム調整をやめた体は華奢でありながら、胸元は豊か。

 傷の化粧をやめた顔は、本来の綺麗な顔立ちと金色の瞳が印象的だ。

 艶やかな黒髪は緩く結い上げられていて、白磁の肌とうなじに目がいってしまう。


 これは、他の男にパートナーなど任せられない。

 ヘンリーが思わず凝視していると、イリスはすっと視線を逸らした。


「早くしないと、遅れるわよ」

「ああ」


 侍女の満面の笑みに見送られ、馬車が走り出す。



 馬車の中でも、ヘンリーはイリスに釘付けだった。

 ろくに会えない状況からのこのイリスの姿は、毒にも似た強さでヘンリーを虜にする。

 イリスがこちらを向きかけたのを見て、ヘンリーは慌てて視線を逸らした。


 いくら何でも、ジロジロと見られたら気分が悪いだろう。

 指輪はまだ右手にあるのだから、ヘンリーを好ましく思っていないのだろう。

 だが、指輪を外していないのだから、まだ望みはあるかもしれない。


 この舞踏会が終わったら、今度は呼吸する間も惜しんで調査をしよう。

 ルシオが関わったという決定的な証拠を国王に提出できれば、道は開ける。


 ヘンリーに残された道は、それしかなかった。


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