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番外編 ビクトルのため息

 ビクトルがモレノ侯爵令息ヘンリーの侍従になって十数年。

 特殊な家業のモレノ侯爵家跡継ぎとして、ヘンリーは特に非の打ち所がない存在だった。


 侯爵家の生まれで容姿も整っており、剣術は一流の腕前で、モレノでも数人しか使えない『モレノの毒』を継いでいる。

 年頃の少年にありがちな家への反抗も特になく、既に次期当主としてモレノの仕事を任されるようになってきてる。

 ヘンリーの補佐官でもあるビクトルにとっても、自慢の主人だった。



 そのヘンリーが、隣国に匿っていたシーロ王子と何やら口論している。

 モレノの仕事上のことだろうかと、ビクトルはお茶の用意をしながら様子を窺っていた。




「シルビオ、あれはわざとか。わざとなのか」

 ヘンリーの苛立った声が聞こえる。


 シーロは髪を黒く染めて、シルビオ・トレドと名乗っている。

 次の国王は兄のフィデル王子に決定したので、命の危険は既にない。

 だが、正式にシーロが戻る手配ができるまでは、念の為変装をしている。

 その間は、言葉遣いや態度も『遠縁のシルビオ』に統一することになっていた。



「あれって何だい?」

「だから、イリスの稽古だ。あんなにベタベタと、背中やら腰やら手やら触って。年頃の令嬢に失礼だろうが」



 イリスというのは、ヘンリーの姉であるカロリーナの友人のことだろう。

 イリス・アラーナ伯爵令嬢に剣を教えるという名目で、シルビオはこの国に戻っていた。

 剣を教えるだけなら他の者でも良さそうだったが、カロリーナはシルビオに依頼した。

 多分、国と兄の様子を見たいであろう気持ちを汲み取ったのだろう。


 ちなみに、何故伯爵令嬢が剣を教わるのかについては、理由が不明だ。

 シルビオ自身も知らされていないらしく、それについては愚痴をこぼしていたが、実際にイリスの稽古が始まると真面目に師匠役をこなしているようだった。



「俺はただ、イリスの姿勢を直しただけだよ」

「わざとじゃないなら、いつもああなのか」

「どうかなあ。イリスは稽古の時は薄着で素顔だし。触りたくないと言えば、嘘になるなあ」


 笑顔のシルビオに、ヘンリーの顔が露骨に曇る。

「シルビオ、イリスの素顔を知っていて、隠していたな?」

「何のことだい? ……それに、ヘンリーだって薄々は気付いていただろう?」


「確かに、ドレスの腰回りに対して手は細かったし、食事も少ししか食べられないし、不自然ではあった。顔の傷だって、普通はもう少し隠すだろうし。造作自体は、そもそも悪くない」

「よく見ているねえ」

「だが、貴族の令嬢がわざわざ太って見せていると思うか? しかも、顔にでかでかと傷までつけて」



 イリスは先日、シルビオと共にこの屋敷に来ている。

 ビクトルはちらりと見かけただけだが、ドレスのシルエットはぽっちゃり体型で、額に大きな傷があることしか覚えていない。

 それが、偽装だという事だろうか。


 だが、何のためだろう。

 美しさや淑やかさが重要視される御令嬢の中で、何の意味もないどころか、かなりのマイナスになると思うのだが。



「俺は最初に素顔の方を見ていたから、理解不能だったよ。綺麗な顔と華奢な体を丸ごと隠ぺいしようとしているんだからね」

「最初に素顔?――やっぱり、知っていて隠してたのか」


「手足と顔の肉については、イリスも悩んでいたよ。一度口に綿を含んでみたんだけど、気持ち悪くなって吐いたらしいよ。健気な努力だよね。意味がわからないけど」

「話を逸らすな」


「それに、あの薄着はなかなかだよな。カロリーナにはない刺激だ」

「どこを見てるんだ」


 睨むヘンリーと笑顔のシルビオの間に、ティーポットを乗せたワゴンを押して行く。

「失礼致します。紅茶をどうぞ」

「……ああ」



 ビクトルが勧めると、ヘンリーが慣れた手つきで紅茶を淹れ始める。

 毒物対策で紅茶の淹れ方を教えられて以来、何故か自分で淹れるのが気に入ったようだった。


 何でも、えぐみが出る限界ギリギリに挑む感覚が、『モレノの毒』に似ているとか何とか。

 果たして挑む必要があるのか、ビクトルには理解できない。

 だが、今ではヘンリーが自分で淹れるのが普通になっていた。



「うん。ヘンリーの淹れる紅茶は今日もおいしいな」

「話は終わっていないからな、シルビオ」

「モレノの跡継ぎはしつこいなあ。なあ、ビクトル」


 よくわからないが、巻き込まないでほしい。

 だが、シルビオを無視するわけにもいかない。

 ビクトルは小さく息をついた。


「ヘンリー様は、そのイリス様のことが随分と気になっているご様子ですね」

 良くも悪くも淡々とモレノの仕事をこなしている普段のヘンリーからすると、隠しただの何だのに食いついていること自体が珍しかった。


 よほどイリスの行動が面白いのだろうか。

 確かに、顔にあえて傷をつけている御令嬢なんて、面白い。

 というか、意味がわからない。



「気になるって。……別にそういうわけじゃない」

 だが、ビクトルの言葉はヘンリーには別の意味に届いたようだ。

 むっとして押し黙るヘンリーの姿に、シルビオの目が輝く。


 これは面倒なことになるぞ、とビクトルは直感した。


「そうかそうか。なら、やっぱり俺が夜会のパートナーになろうかな。変装すれば少しくらい行けるだろうし」

「はあ? シルビオは学生じゃないし、年齢でばれるだろうが」


「そうだなあ。イリスにも、顔がいいから駄目って言われたしな。残念だな。顔がいいからな」

 チラチラとヘンリーを見ながら、自分の頬を撫でている。

 実際にシルビオの造作は整っているが、たぶん今はそういう事を言っているのではない。



 ヘンリーが眉を顰めるのを、楽しそうにシーロは見ている。


 完全に、遊ばれている。


 ヘンリーも気付いてはいるのだろうが、普段のようにあしらうことができないらしい。

 よほどイリスが気になるのだろう。

 面白いという意味ではもちろん、それ以外でも……たぶん。


 他の貴族令息のように、気ままに恋愛をするわけにはいかない立場のヘンリー。

 少しは色恋の話が出るようになるのかと思うと、ビクトルは感慨深かった。



 ********



 イリスのパートナーとして参加した夏の夜会。

 帰ってきたヘンリーは、瞼が閉じる寸前まで目を細めていた。


「ドレスというものは、本気を出せば視力を奪えるんだな。いい勉強になった」

 意味の分からないことを言いながら、ヘンリーは上機嫌で紅茶を淹れている。

 どうやら、夜会は楽しかったらしい。



「……イリス様は、どうでしたか?」

「残念極まりない、極彩色の塊だった」

「はあ……残念ですか」


「頭に蜂の巣が刺さっていた」

「はあ?」


「そして、両手に肉を持ってうろついていた」

「……そうですか」



 ビクトルには、まったく事態が理解できない。

 蜂の巣って何だ。

 両手に肉って何だ。


 だが、ヘンリーはやはり機嫌が良い。

「ダンスでは一度も足を踏ませなかったぞ」と勝ち誇ったようにビクトルに言ってきたが、それは普通のことではなかろうか。



 イリスと直接話したことはおろか、ちゃんと見たこともないが、だいぶ残念な人物のようだ。


 ヘンリーは変な女につかまったのかもしれない。

 ビクトルはそっとため息をついた。


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