最初の敵は、令嬢ボディでした
「一番問題の『謎の死』を防ぐには、武力があって損はないわよね」
悪役令嬢のハイスペックのおかげか、魔法の習得は比較的スムーズだった。
独学でも拳大の氷の塊を飛ばせるようになったので、とりあえずは良しとする。
こんなことでもなければ、飲み物に氷を入れて楽しむくらいしか使い道はなさそうだ。
問題は剣だ。
体力作りからと思って庭を走り始めてみたのだが、そこでイリスは重大なことに気付いてしまった。
「何なの、この体は。絶望的に可憐で儚げな令嬢ボディじゃないの」
つまり、とことん体力がなかった。
何せ、伯爵令嬢だ。
今までナイフやフォークよりも重いものは持ったことがないと言っても、過言ではない。
ちょっと走っただけでも息は切れるし、足が痛む。
イリスは思わず「嘘でしょ」と呟いたが、か弱いものは仕方ない。
これでは剣など、夢のまた夢だ。
大体、独学で何をしたらいいのか、さっぱり見当もつかない。
勿論、魔法と同じく指南本を読んでみたが、理解が追い付かない。
それ以上に、令嬢ボディが動かない。
どうやら、悪役令嬢のハイスペックも、剣術はお手上げらしい。
悩んだ結果、イリスはカロリーナに剣の手ほどきをしてくれる人を紹介してほしいとお願いした。
ベアトリスは公爵令嬢でイリス以上にか弱いし、ダニエラは応援作戦の真っただ中で忙しかった。
カロリーナなら弟もいるし、心当たりがあるのではないかと思ったからだ。
そのカロリーナから紹介された先生が、今日ついにやってくる。
連日の走り込みで当初よりはマシになったとはいえ、幼児にも劣る体力なので不安は大きい。
親には剣を使った美容体操の講師が来ると言ってある。
そんなわけのわからない美容法があってたまるかと思ったが、意外とあっさり受け入れられた。
美容の方へ興味が向いてくれれば、ボリューム調整した姿をやめるかもしれないと思っているのだろう。
やめるどころかレベルアップしようとしていることを、両親は知らない。
「お嬢様、お疲れのご様子です。先生に来ていただくのは後日にしてはいかがですか?」
イリスのため息を見ていた侍女のダリアが、心配そうに聞いてきた。
「駄目よ。ようやくちゃんと習えるんだから。時間がないのよ、私には」
「それに、このような姿を男性に晒すというのは」
ダリアの視線がイリスの体に向かう。
ドレスやワンピースが基本で、女性がズボンをはくこと自体が稀な世界だ。
当然、運動用のジャージなどない。
仕方ないので、イリスは乗馬用のピッタリとしたズボンと、襟を広げたシャツで運動をしていた。
本当はティーシャツ短パンになりたかったのだが、そもそも存在しない。
形状の説明をするとダリアが烈火のごとく怒ったので、仕方なく諦めた。
あまり怒らせて、傷の化粧を断られても困る。
だが、妥協案のこの姿も、ダリアは納得できていないらしい。
「別に肌を出しているわけじゃないんだし、いいじゃない。動きにくい方が問題だわ」
「貴族のお嬢様の戯れかと思ったら、やる気はあるみたいだね」
突然かけられた声に見てみれば、黒髪の美しい青年が立っていた。
「あなたが、カロリーナの紹介してくれた剣の先生?」
「そう。シルビオ・トレドだ。よろしく」
思ったよりもずっと若い。
黒髪は艶やかで、緑の瞳も無駄に美しい。
首元の青い石のついた高級そうなネックレスといい、上流階級の人間であろうことは察しが付く。
筋肉ムキムキの熱血壮年男性を勝手に想像していたイリスは、肩透かしをくらった。
だが、剣を教えてくれるのなら容姿などどうでも良い。
「イリス・アラーナよ。こちらこそ、よろしくお願いします」
「……イリス、こんなこと言うのはあれだけど。どうしても剣を習わないと駄目なの?」
稽古を始めて早々に、シルビオがため息をついた。
初歩の初歩として、木製の剣を握って素振りをしたのだが、それすらも保持できずによろよろと揺れてしまう。
剣のセンス云々以前に、体力と筋力が絶望的に不足していた。
「剣を習う段階じゃないのは、承知してるわ。でも、時間がないの。体力がつくまで待ってはいられないのよ」
何せ、命がかかっている。
令嬢ボディが十分な筋力をつける頃には、断罪イベントがやってきかねない。
それでは、遅いのだ。
「人並みに剣を使えるようになんて、贅沢は望んでいないわ。せめて少しでも身を守れればいいの。剣を向けられることに慣れるだけでもいい。……あなたには苦痛だろうけれど、お願いします」
イリスは頭を下げる。
ここでシルビオに見捨てられれば、他につてはない。
独学で剣を学べるセンスも体力もない以上、諦めざるを得なくなる。
シルビオが再びため息をついた。
「……顔を上げて。君が真剣なのはわかった。俺も依頼された以上、投げ出すわけにはいかない。とことん、付き合うよ」
シルビオの教え方は丁寧で、わかりやすかった。
ただただ、イリスの体力と筋力の無さが足を引っ張る形だった。
木製の剣で素振りをすれば、手の皮がむけて血だらけになった。
そのままで生活すると両親が止めかねないので、手袋をして隠した。
握力がないので何度も剣を落とし、手足には無数の皮下出血ができた。
ドレスのおかげで見えないので気にはならなかったが、痛いものは痛かった。
筋肉痛も、関節が伸ばせなくなるほどのものが襲って来た。
ダリアが文句を言いつつも毎日マッサージをしてくれたので、何とか生活できた。
ぽっちゃりに向けて食事も増やしてみたが、それ以上に動いているので望むほどの肉は得られなかった。
元がどんなドレスも着こなせる華奢な令嬢ボディだったせいで、どちらかというと健康的なグラマラスボディになってしまった。
「違うのよ、逆なの。出るところは引っ込んで、引っ込むところは出てもらわないと困るのに」
叫ぶイリスを見て、ダリアは頭を抱えている。
理想は、ボンキュッボンならぬ、キュッボンボーンである。
このままでは、本当に剣を使った美容体操だ。
何のためにシルビオと稽古をしているのか、わからなくなってしまう。
イリスはため息をついた。
食事と体型は、より慎重に調整しなければいけない。
だが、そこはドレスの良いところ。
詰め物でボリュームアップし、胸には布を巻いてボリュームダウン。
「今のお嬢様は本気でぽっちゃりを極めかねませんから」
ダリアがそう言ってボリューム調整に協力してくれたおかげで、詰め物の質も上がった。
格段に残念なボディに近付いている。
苦しい上に暑いけれど、ここは忍耐だ。
次は、一年間残念なイリスに好きと言われ続ける苦行を承諾してくれた、ヘンリーに挨拶に行こう。