肉は残念の戦友です
今回のドレスは、残念ゆえの攻撃力に重点を置いた。
久しぶりに、視力を奪う方向性だ。
イメージは、テレビの深夜放送などで見かける、カラーバー。
白、黄、水色、緑、ピンク、赤、青のビビッドなストライプが、網膜に焼き付いて離れない。
オフショルダーのドレスの上から下まで完全にカラーバーにしたので、イリスは歩くカラーバーと化している。
ダニエラが懐かしいわと大笑いしてくれたので、何だか嬉しい。
だが、テレビもカラーバーもないこの世界では、ただの目が痛いストライプだろう。
ただのストライプでは、イリスも満足できない体になっている。
残念には中毒性があるのだ。
そこで、上半身には黒、下半身には白の羽を、大胆に散りばめた。
それだけではまだ寂しかったので、鎖状の銀色のレースと赤いリンゴのパーツも付けてみた。
遠目では鎖につながれた黒と白の鳥がもがき苦しんで血塗れのようなありさまだったが、今更どうにもならない。
残念には、諦めも必要だ。
ダニエラは残念初心者なので、普通のドレスにイリスとお揃いの生地でミニカラーバーリボンを付けた。
胸元につけた結果、目が痛いという理由でダニエラは下を向けなくなった。
何だか勢いで作ってしまったが、一番近くでダメージを受けるのは、当然イリスだ。
馬車の中でダニエラの目を攻撃し続け、ダニエラはしばらく目が開けられなくなった。
会場に着く頃には、イリス自身もストライプ酔いですっかり目が回っていた。
ドレスは残念だが、今回は傷の化粧とボリューム調整をしていない。
『碧眼の乙女』との戦いは終わったし、既に舞踏会で素顔を出しているので隠す意味もないからだ。
それが影響したのか、やたらとイリスは話しかけられていた。
「今日のドレスも、とても残念ですね」なんて、普通はなかなか聞けない言葉だ。
果たして、褒めているのだろうか、けなしているのだろうか。
面白いには面白いのだが、残念令嬢として一年を過ごしたので、人に囲まれるのに慣れていない。
そもそも、夜会の参加自体に慣れていないというのもある。
学園に入るまでは友人とのお茶会ばかりで、ろくに夜会に参加したことはなかった。
残念の先駆者でも、夜会は初心者と言っても良い。
あっという間にイリスの体力は削られていった。
ストライプ酔いも相まってフラフラのイリスに、男性が飲み物を持ってきてくれたり、椅子を勧めてくれる。
椅子への移動に手を貸してくれた人は、しばらくイリスのそばで扇いでくれた。
よほどふらついて歩いていたらしく、馬車で送ろうかと親切に申し出てくれた人さえいた。
以前は残念な目でチラチラと見てくるだけだったのに、大した変化だ。
これがブームの恩恵なのか、と残念の成り上がりぶりにイリスは感心する。
イリスが椅子に座って休んでいる間、ダニエラもまた沢山の人に囲まれていた。
伯爵令嬢に戻ったものの、修道院にも足繁く通っているダニエラ。
そのため、平民の間で人気になっていた。
修道院生活をした伯爵令嬢なんて、そうそういるものではない。
話を聞こうと沢山の人が集まっていた。
ダニエラを囲んだ人達の邪魔をするつもりはないので、イリスは少し離れて待っている。
世話を焼いてくれる男性が何人かイリスのそばにいたが、正直、邪魔だ。
ずっとイリスに話しかけてくるので、まったく休憩にならない。
しかたがないので、ゆっくり休みたいから、と何とか説得して離れてもらった。
ふらついている時に手間をかけさせないでほしい。
残念の先駆者に近付いても、残念になれるわけではない。
己の残念は己で極めてほしかった。
「でも、暇ね」
座って休んだことで、ふらつきはだいぶ落ち着いてきた。
そうなると、何もせずにただ座っているのは暇だ。
残念な夜会という割には、皆、残念要素は控えめだ。
少なくとも、イリスを超える残念なドレスはいない。
嬉しいような、悲しいような、複雑な気持ちだ。
結局のところ、流行りに乗ってみただけの、にわか残念が多いのだろう。
他人のドレスを見るのも飽きてしまって、暇だ。
イリスはため息をついた。
「残念全開の頃は肉を持っていたから、それに必死だったのよね」
それに、いつもヘンリーがいたので、退屈することはなかった。
「ここは、久しぶりに武器を持ってみようかしら」
思い立って、両手に肉を握りしめてみる。
ずっしりと重みがあって、腕は疲れてくるが、何だかちょっと心強い。
一年間苦楽を共にした、まさに戦友だ。
そうしていると、何だか少し元気が出てきた。
「お嬢さん。少し、いいかな」
肉を掲げて嬉し気なイリスに、青年が声をかけてきた。
赤茶色の髪に緑色の瞳の美青年だ。
どこかで見たことがあるような、ないような。
「失礼。素敵な女性がいたので、つい声をかけてしまった」
青年はそう言って微笑む。
……何を言っているんだ、この男。
イリスは残念なドレスを着て、両手に肉の状態。
傷の化粧こそしていないが、残念であることに間違いはない。
そんなイリスに声をかけるとは、この美青年、何か裏があるのか。
それとも、よっぽど残念なイケメンなのだろうか。
そう思うと、何だか可哀そうになってきた。
「人違いだと思いますよ」
努めて丁寧にあなたは残念ですよと指摘すると、青年は笑う。
「イリス・アラーナ伯爵令嬢だろう? 舞踏会で目が合った時から、気になっていたんだ」
「舞踏会?」
「まだ名乗っていなかったね。ルシオ・ナリスだ」
ナリスは国の名前。
それを名乗るのは、王族の証。
という事は、シーロの兄弟か。
先日のやり直し舞踏会で見かけたから、何だか見たことがある気がしたのだ。
「王弟殿下でしたか。失礼致しました」
「いいよ。それより、庭に出て話さないか」
深々と礼をするイリスの手を、ルシオが握る。
イリスは肉を持っているので、手首を、だが。
「――お待ちください」
突然かけられた声に振り返れば、そこにはヘンリーの姿があった。
何故ここにいるのだろう。
残念な夜会なんて、興味ないだろうに。
「やあ、モレノ侯爵家のヘンリーじゃないか。何か用かい?」
顔見知りらしく、ルシオが気さくに話しかけるが、ヘンリーの表情は硬い。
「彼女は私のパートナーです。申し訳ないが、ご遠慮いただきたい」
「……それは、残念」
そう言うと、ルシオはイリスの手を離した。
すかさずヘンリーはイリスの手を引き、自分のそばに引き寄せる。
急な動きについて行けなかった肉の香りが、少し遅れてイリスの鼻をくすぐった。
「だが見たところ、まだ『毒の鞘』というわけではなさそうだ。俺にもチャンスはあるかな」
ルシオはイリスの左手を見つめてそう言うと、笑顔で去って行く。
毒の鞘とは何のことだろう。
確かに、今日のイリスのドレスはいつにも増して毒々しいが、関係あるのだろうか。
「……ヘンリー、どうしたの?」
ヘンリーはイリスの手を握り続けたまま、黙っている。
イリスもどうしたらいいのかわからない。
大体、何故ここにいるのだろう。
服装からしても、残念な夜会を楽しみに来たようには見えないが。
「……夜会に出掛けるなら、俺に声をかけてくれ」
そう言って、イリスの手を離す。
「でも、会うこともないし。忙しそうだし」
わざわざヘンリーに言う理由が見当たらない。
イリスが事実を告げると、ヘンリーは言葉に詰まり、息を吐いた。
「……ここじゃ、人目があって話せない。ダニエラ嬢には声をかけておいたから、馬車に乗ろう。家まで送るよ」