差し引いたら、マイナスです
「完成です。完璧です。これで会場中の視線は、お嬢様のものです」
ダリアが興奮と共に化粧を終える。
今日のイリスは、ごく普通の御令嬢だ。
ドレスは目に優しい淡い緑と白。
ボリューム調整のせいで不可能だった胸元の開きは、涼しくて快適。
大きな装飾は腰回りのリボンがひとつだけで、動きやすい。
レースも白で、上品な配置と量なので、ドレスが軽い。
イリスは残念なドレスがいかに過酷だったのか、身に染みてよくわかった。
アクセサリーも控えめにして、髪も緩く結い上げた。
頭が軽いのも久しぶりで、なんだか落ち着かない。
いつの間にか、残念が基本になっている自分が怖かった。
「視線なら今まで十分浴びてきたから、いいわよ」
残念なドレスは注目の的だった。
もちろん、負の意味でだが。
「そんな見世物としてではなく、お嬢様本来の美しさで虜にするんです!」
「見世物って……」
「それに、ヘンリー様はお嬢様の普通のドレス姿を見たことがありませんから。ここは気合を入れませんと」
「剣の稽古……じゃなくて、美容体操に付き合って、素顔は見てるわよ?」
イリスが指摘すると、ダリアは大きなため息をついた。
「確かに、あの姿も刺激的で良いかもしれません。ですが、お嬢様本来の魅力は、やはりドレスアップしてこそ伝わると思います!」
稽古姿はただのシャツとズボンなのだが、刺激的って何のことだろう。
残念装備と比較するならともかく、稽古姿と今とでは正直そんなに変わっていない。
残念という果てしないマイナスから、普通になるだけなので、プラスマイナス差し引いてもまだマイナスだと思う。
侍女の贔屓目というものは、時に現実を超えて何かが見えるらしい。
だが、力説するダリアに水を差すのも怖い。
イリスは曖昧にうなずいておいた。
「……イリス、だよな」
たっぷりとした沈黙の後、ヘンリーが呟く。
「そうよ」
じっとイリスを見ているのは、残念よりはマシになっているからなのか、大して変わらないと思っているからなのかわからない。
だが、黙っていても時間の無駄なので、イリスはさっさと馬車に向かう。
「早くしないと、遅れるわよ」
「ああ」
ダリアの満面の笑みに見送られ、馬車が走り出した。
顔を突き合せた状態で無言が続くのは、何となく気まずい。
ちらりとヘンリーを見れば、慌てて視線を逸らされた。
そんなにイリスを見たくないのなら、パートナーになんてならなければよかったのに。
イリスが残念のおかげでパートナーを見つけられないだろうと思って、憐れんでくれたのだろうか。
確かにパートナー探しをしないで済んだし、楽でいいのだが、ヘンリーも無理をする必要はないと思う。
面倒見の鬼は、こういう場面でも威力を発揮してしまうのかもしれない。
つくづく、因果な性質だ。
馬車に乗るときに手を取ったので、イリスが指輪を右手にしているのは気付いただろう。
だがヘンリーはそれについても、特に何も言わない。
やはり、あのプロポーズはなかったことになっているのだろう。
イリスの中でそう結論が出ると、視線を窓の外にそっと移した。
「イリス! 久しぶりね!」
「カロリーナ!」
黒髪に金の瞳の長身の美女が、イリスに勢いよく抱きついてくる。
『碧眼の乙女』二作目の悪役令嬢であるカロリーナ・モレノ侯爵令嬢は、ヘンリーの姉にあたる。
シナリオから逃避するためにずっと隣国で過ごしていたので、イリスも会うのは三年ぶりだった。
「いつ、こっちに戻って来たの?」
「今日よ。着替えのために家に戻って、すぐにここに来たの。早くイリスに会いたかったから」
「……ありがとう」
イリスがシナリオに逆らって生き延びたことを、カロリーナは知っている。
彼女の「会いたかった」は、他の人とは重みが違っていた。
「それにしても、相変わらず可愛いわね。そのドレスも似合ってるわ。……あら、胸がちょっと大きくなってない?」
そう言うと、カロリーナはイリスの胸をポンポンと触る。
こういう女子のノリというのも、久しぶりだ。
何せ残念な令嬢を目指していたので、まともに女生徒と話すことはなかった。
何故か振り返ってヘンリーを見ていたカロリーナは、ふと眉をひそめる。
「どうしたの、カロリーナ」
「……ううん。何でもないわ」
「イリス、俺もいるんだけど」
カロリーナの後ろで、赤髪に緑目の美青年が笑っている。
「シルビ……じゃない、シーロ殿下」
黒髪に染めてシルビオ・トレドとしてイリスの剣の師匠をしていた彼は、『碧眼の乙女』四作目の隠しキャラ。
シーロ・ナリスというこの国の王子だ。
いや、兄王子が王になった今は、王弟か。
「イリスにそう呼ばれると変な感じがするね」
「お世話になったのに、お礼も言えないでいたわ。色々、ありがとうございました」
「いいよ。楽しかったしね」
クララ・アコスタを捕縛した後に国王に引き渡したシーロは、そのまま隣国にカロリーナを迎えに行ったらしい。
婚約も間近だと言っていたし、二人はとても幸せそうで、イリスもつられて笑顔になった。
「シーロ殿下、お話があります」
硬い表情のヘンリーがそう言うと、シーロはうなずき、二人でどこかへ行ってしまった。
結局、イリスはヘンリーとまともに会話をしていない。
舞踏会会場でくらいは話せるかと思ったが、それも無理なようだ。
こうなると、帰りの馬車が今から苦痛だ。
いっそ、早めに一人で帰るのもいいかもしれない。
イリスは小さくため息をついた。









