両親公認の残念令嬢を目指します
「まずは、親への対応が問題よね」
机の上に紙を広げると、ペンを片手にイリスは呟く。
残念令嬢となる為に、やるべきことを書き出してみたのだが、どれも一筋縄ではいかない。
特にこれから豹変する予定なので、親への対応を考える必要があった。
「曲がりなりにも伯爵令嬢の娘が、突然わけのわからないことをしだしたら、ショックよねえ。きっと」
なかなかの美少女で、なかなか優秀だったのだから、なおさらだ。
「あとは、シナリオ通りの婚約を阻むのにも、親の協力は不可欠だわ」
貴族社会の結婚は家同士の結びつきの面が強い。
最悪、イリスの意思を無視して婚約という可能性だってある。
だからこそ、両親を味方につけたいのだが。
「とはいえ。乙女ゲームの悪役令嬢に転生したので残念な方向で応戦しますと言っても、理解してもらえないわよね」
頭がおかしくなったと思われて終わりだ。
父と母に子一人なので、無用な心配はかけたくないが、死にたくもない。
「婚約を防ぐには……他に好きな人がいるというのが、わかりやすいかしら」
幸い親子仲は良いので、娘の想いを知っていて、あえて潰しに来ることはないだろう。
「どうせ残念の一環でヘンリーを好きだと言うんだから、両親にも使うべきよね」
メインのレイナルド以外を好きだと言うことで、ヒロインの当て馬を阻止。
カロリーナの弟のヘンリーが好きだからと伝えて、レイナルドとの婚約を阻止。
「これぞ、一石二鳥ね。ヘンリーに感謝だわ」
だが、顔につける予定の傷や体型はどうしたものか。
「お嬢様、紅茶をお持ちしました」
イリスが悩んでいると、侍女のダリアが部屋に入って来た。
「ねえダリア。顔に傷って、どうやったら上手くつけられると思う?」
ナイフでサクッといけばいいのかもしれないが、痛いわりに傷が残らないというのは困る。
初見で引かれる、いい感じの傷が欲しいのだ。
「顔に傷? 何を仰っているんですか?」
思いっきり不審な顔をされた。
まあ、当然と言えば当然の反応だ。
「顔にね、初対面で『うわ……』って思われる傷が欲しいのよ。普通にナイフで切って、いけると思う? 赤い線一本じゃインパクトが弱いのよね」
ダリアはティーカップを置くと、イリスの額に手を当てる。
「……熱はありませんね。何でしょう。食事に悪いものでも入っていたのでしょうか」
真剣なダリアの手を外すと、その手をぎゅっと握る。
「事情は言えないんだけど、どうしても顔に傷がないと困るの。こんな事相談できるの、ダリアしかいないのよ。お願い」
必殺の上目遣いでダリアに懇願すると、百面相の末、ダリアがため息をついた。
「……わかりました」
「要は、顔に難があればよろしいのでしょう? でしたら、実際に傷をつける必要はございません」
「どういうこと?」
気を取り直したダリアは、てきぱきと紅茶を淹れるとイリスに差し出す。
「化粧でございます。本来は難を隠すものですが……その逆にすれば、何とかなると思います」
なるほど、特殊メイクで傷を作るということか。
「それなら、顔にドーンと大きな傷も思いのままね」
「あまり大きいとムラができてばれてしまいます。鼻や口などの周りも、難しいと思います」
「えー。じゃあ、どんな感じなら、いける?」
結局、額に片仮名の『ノ』の字のような傷をつけることになった。
正直インパクトが足りないと思うのだが、実際に毎日化粧をするのはダリアなので仕方がない。
せめて前髪を分けて、よく見えるようにしよう。
イリスも挑戦してみたのだが、どうにも傷の生々しい感じが出せない。
ダリアの技術に脱帽だ。
試行錯誤の末にできた傷の化粧を見て、ダリアは涙ぐんだ。
「せっかくの白磁の肌と美しいお顔が……なんてことでしょう」
ついでに顔色も悪くしてほしかったのだが、言いづらい。
「泣かないでよ。本当に傷をつけたわけじゃないわよ?」
「当然でございます。化粧はしますから、決して本当に傷つけたりなさらないでくださいね? 絶対ですよ?」
必死の顔で念を押され、イリスはうなずくしかなかった。
「それでねダリア。ついでにドーンとぽっちゃりになりたいんだけど」
ダリアは恐ろしいものを見たと言わんばかりに目を見開き、次いでため息をついた。
「……何故かは教えてくださらないんですよね」
「うん。食事を多めにしてもらったんだけど、そんなに食べられないし。いまいち成果が出ないのよね」
「……どちらかと言えば、お胸がふくよかになりましたね」
「言わないで。いらないのよ、今は特に」
巨乳とは言わないが、なかなかの大きさに育った胸が恨めしい。
「こんなところよりも、筋肉がついてほしいんだけど。ムッキムキになるのって、難しいのかしら」
「お嬢様は、ぽっちゃりにもムキムキにも、なりにくいと思うのですが」
「確かに、どっちもすぐには難しいのよね。布とか詰め物で腰回りをボリュームアップして、胸をボリュームダウンしてみたんだけど、どうかしら」
自作のボリューム調整グッズを並べると、ダリアはがっくりと肩を落とした。
「……お嬢様は、いったい何を目指していらっしゃるのですか」
「――残念な令嬢よ」
「……それが、流行、なのかい?」
父であるアラーナ伯爵は、隠しきれない動揺そのままの声でイリスに尋ねる。
「はい、お父様。流行の最先端です。私、とても気に入ってしまったので、しばらくはこの化粧と衣装で過ごそうと思っています」
母は半分白目をむいている。
手塩にかけた美しい娘が、顔に醜い傷の化粧をしている。
更に、太った上に胸を小さく見せるいでたちなのだから、仕方がない。
「でも、化粧も衣装も蒸れてしまうので、家ではやめる予定です」
やめるという言葉に、一瞬安堵の表情を浮かべた父は、再び眉間に皺を寄せた。
「家ではって……それで学園に通うつもりなのかい?」
この春から一年間、貴族の子女が集う学園に通うのだ。
ちなみに、平民のヒロインがいたはずだが、何故通っているのかは忘れた。
なんか、こう、都合よく理由があったのだろう。
「はい。このままで通います」
母がそろそろ倒れそうだ。
ダリアに目配せして、母をソファに横たわらせてもらう。
「だが、それでは。その、良い話も難しくなるだろう」
父が言い淀んでいるのはつまり、『その姿ではレイナルドとの縁談が進まないぞ』ということだ。
寧ろ、願ったりかなったりである。
ここでレイナルドとの婚約が間違っても成立しないように、念を押さなくてはならない。
「私、想う方がいるんです。その方はこの姿を気に入ってくださってるので、大丈夫です」
「ベネガス伯爵の息子だろう?」
「いいえ。違います。レイナルドは全然好みじゃありません」
はっきりきっぱりと、婚約したくない意思を伝えなければ。
「そ、そうなのか。で、想う方というのは誰なんだい」
来た。
ここが大事だ。
娘の純情な恋心を見せつけて、応援する方向に持って行きたい。
「まだ私の片思いですから、恥ずかしくて言えません。もう少ししたら、お伝えします」
頬を染めたかったがそんな器用なことはできないので、とりあえず伏し目がちにする。
恋する乙女感を出したいとダリアに相談したが、「恋してなきゃ出ません」とにべもなかった。
だが、動揺と混乱の中にいた父には上手く伝わったらしく、納得してくれた。
ちなみに、母はソファで意識を失っていた。