鋼の筋肉と貧弱な腕力
「残念令嬢」6/30コミックス1巻発売記念!
本編第8章の後を書いた、第8.5章をお届けします。
コミックスは描き下ろしマンガ&書き下ろしSSもついて盛りだくさん!
8種類の購入特典もあるので、そちらも是非手に入れてくださいね。
「……いつまで、そうしているつもりだ」
ヘンリーの声が聞こえるけれど、イリスは答えない。
馬車という狭い空間の中でできる限りの距離を取るべく、蛙のように壁にへばりついていた。
とにかくヘンリーから離れなければ危険だと必死なイリスに、小さなため息が届く。
「怒っているのか? 薬を飲ませるついでにキスしたことか? それとも、額にキスする約束を利用してイリスから唇にキスさせたことか?」
「――どっちもよ!」
思わず振り返って叫ぶと、ヘンリーは何だか楽しそうにこちらを見ている。
「わかっているなら善処しなさいよ。それから、いちいちキ……キスしたとか、言わないで!」
「何故?」
「何故も何も、恥ずかしいからに決まっているじゃない!」
普通にキスされた時点で、十分に恥ずかしい。
それを騙し討ちでイリスからキスさせた上に、キスキス言われたら恥ずかしすぎて涙が出そうだ。
馬車から飛び降りないだけ、褒めてほしいくらいである。
「うーん。でもなあ」
訴えが届いているのかいないのか、ヘンリーは何やら思案しながらイリスの隣に腰を下ろした。
「キスしたのは事実だし。そうやって恥ずかしがるイリスも悪くないし。……もっと、したいかな」
そう言ってイリスの頬を撫でるヘンリーの微笑みに、イリスの中の何かが限界を超えた。
「ぎゃー!」
魂の叫びと共に、どうにか離れてもらおうとヘンリーの胸を全力で押す。
イリスとしては突き飛ばして馬車の壁に激突させる勢いなのだが、実際のところヘンリーは微動だにしない。
これはヘンリーの体が鋼の筋肉でできているからなのか、あるいはイリスの腕力が貧弱すぎるからなのか。
結果としてはヘンリーの胸に手を当てているだけなので、ある意味で事態は悪化しているとも言えた。
これ以上筋力勝負を挑んでも、時間の無駄だ。
とにかく確実に距離を取るべく立ち上がると、その手をヘンリーがつかんだ。
「……そんなに、俺に触れられるのが嫌か?」
寂しそうな声に、イリスの胸がちくりと痛む。
キスキス言われるのは困るが、ヘンリーを傷つけたかったわけではない。
「そういうわけじゃ」
心配になって少し近付くと、それ以上の力で引き寄せられてヘンリーの腕の中に閉じ込められた。
ぎゅっと抱きしめられると、頭上から微かに笑い声が聞こえる。
「――う、嘘つき! 卑怯者!」
イリスの言葉で寂しそうにしたのも、演技だったのか。
悔しいやら恥ずかしいやらでどうにもならなくてもがくが、決してきつくない抱きしめ方なのに、腕はまったく緩まない。
「キスが駄目なら、せめてこのくらいはさせて。……これでも、俺は相当忍耐力がある方だと思うぞ?」
「何よ、それ!」
まるで褒めろと言わんばかりの言葉に、納得がいかない。
イリスが頬を膨らませながら顔を上げると、これ以上ないほど幸せそうにヘンリーが微笑んでいた。
「結婚式が、楽しみだな」
そう言うなり、ヘンリーの唇がイリスの額に触れる。
先程までの唇同士のキスに比べればまだまし……のはずだ。
それなのに、ぎゅっと抱きしめられて、とろけるような笑みを向けられて。
まるで全身から溢れたイリスへの好意に包み込まれているようで、鼓動が落ち着かない。
いや、落ち着くどころかどんどん加速している気がする。
「わ、私、死んじゃうかもしれない……」
羞恥と混乱で涙ぐむイリスを見たヘンリーは笑い、もう一度額に唇を落とした。
※コミカライズの青井先生がキュートなイラストを描いてくださった、発売カウントダウンシールは今夜まで!
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※「残念令嬢」がラジオで生朗読され、youtube配信されています。
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