番外編 ヘンリーの思惑
「遅いぞ、ウリセス」
扉を開けてやってきた藍色の髪の少年は、ヘンリーの一言に表情を曇らせた。
「急な呼び出しに、書状まで用意して馬で駆け付けたんだ。文句を言われる筋合いはない」
「さすがに騎士団からの派遣は、間に合わなかったか」
「あいにく、手が空いているのは俺だったよ」
不満そうにウリセスが差し出した書状に、さっと目を通す。
少年の誘拐や誘拐未遂でロメリ子爵の事情を聴くと書いてあるが、実際のところ捕縛要請だ。
既に証拠もそれなりに揃っているらしいから、処罰は免れないだろう。
仮に誘拐の方で確たる証拠を用意できなかったとしても、ロメリ子爵には禁止薬物使用の罪がある。
こちらはヘンリーが調べて既に国王に報告してあるし、万が一に備えて『モレノの毒』の使用許可まで貰っている。
イリスを攫うという愚行を犯した男を、逃すつもりはなかった。
「それにしても、俺……というか、騎士団の書状を待つとは意外だな。イリス嬢を心配して屋敷半壊くらいはしていると思ったが」
「それじゃあ、イリスが怪我をするし、気に病むだろうが」
ウリセスに書状を返しながら返答すると、嫌そうに眉を顰められた。
「……半壊は否定しないのかよ」
「全壊でも足りないだろう」
イリスを攫った時点で、完全な有罪だ。
心のままに振舞ってもいいというのなら、喜んで屋敷のひとつくらい潰してみせる。
「その割には、ここで待っていたのか?」
ここというのは、ロメリ子爵の屋敷の玄関だ。
この場に立っているのはヘンリーの他にビクトルとウリセスだけである。
「イリスが攫われた時にレイナルドが近くにいたらしくてな。馬車にしがみついてここまで来たらしい」
「はあ? ……何というか、タイミングがいいというか、悪いというか」
「イリスを連れて脱出は無理だったらしいが、今は一緒の部屋に閉じ込められているそうだ」
馬車にしがみついた時点でなかなかの行動だが、屋敷までついて行ったのも凄いし、その後もイリスのそばにいるというのはありがたい。
何の懸念もないと言えば嘘になるが、レイナルドには一度釘を刺してあるし、そこまで馬鹿なことはしないだろう。
「やけに詳しいな」
「話を聞いた」
ロメリ子爵邸についてすぐに、主立った使用人の行動は封じて一部屋にまとめてある。
残りは二階のロメリ子爵とその子飼いの剣士、それからイリスとレイナルドだ。
「だったら、さっさとイリス嬢を助ければいいだろう」
「助けるだけならな。レイナルドがついているし、動きは把握している。ただ叩きのめすだけじゃぬるい。――正当に潰してやらないと気が済まない」
仮にヘンリーが先行してロメリ子爵を殴ったとすると、それは婚約者を攫われた侯爵令息の報復でしかない。
一応、モレノ侯爵家として禁止薬物の調査を請け負っているが、それだけの罪にされては困る。
騎士団が動いている誘拐の件と禁止薬物の両方の罪を明らかにし、その上でイリス誘拐の罪を加え、正当な裁きによってロメリ子爵を完全に潰す。
それが、ヘンリーの狙いだ。
「それに見張りはつけているし、イリスの指輪が無反応だから大丈夫だろう。書状は来たし、すぐに行くぞ」
「指輪? そう言えば、前に点滅していたな。何が起こる……いや、いい。聞きたくない」
心底嫌そうに首を振るところを見ると、おおよそ理解しているのだろう。
何なら過大評価している気もするが、まあいい。
イリスの指輪の透明の石は、何かあれば点滅してヘンリーの指輪の石も光るようになっている。
今はまだそれだけだが、魔道具専攻で得た知識でもう少し改良するつもりだ。
現在のイリスはヘンリーの婚約者であり、モレノの一員として当主が保護する段階ではない。
特例として監視をつけることは許されていたが、あくまでも監視だし、ひとりだけなので今回のような場合には報告と監視が両立しきれない場合がある。
指輪の点滅とウリセスの報告からロメリ子爵の存在を調べてはいたが、クレトの決定的な情報がなければ動きづらかっただろう。
……まあ、その場合には正攻法を取らないというだけで、イリス奪還自体はむしろ早かったかもしれない。
だが、正式に結婚すれば、この手間もかなり省けるようになる。
イリスが知ったら衝撃を受けそうな事実なのだが、これはさすがに結婚後でなければ教えられない。
どんどんヘンリーから逃げられなくなっているということを、本人はきっと気付いていないのだろう。
まあ、気付いたところで逃がすつもりなど毛頭ないのだが。
「……子爵も、手を出した相手が悪かったな」
ため息をつくウリセスに、ヘンリーはにやりと笑った。
********
「――な、何でこれがあるの⁉」
『イリス・アラーナ命令権』と書かれた紙を見たイリスは、驚きの表情で目を見開いた。
ヘンリーの誕生日にイリスが作ってくれたこれは、本人の意志に反してヘンリーに有利な内容になっている。
慌てて取り返そうとする手を避けると、イリスは眉間に皺を寄せた。
「使わないって言ったじゃない! 捨てるって!」
「今は使わないとは言ったな。でも、もうすぐアラーナじゃなくなるから、今のうちに使わないと」
「何でよ! 紅茶でいいって言ったでしょう? 返してよ、捨ててよ、その破廉恥許可証!」
破廉恥許可証とは、言い得て妙だ。
確かにそういう説明をしたのはヘンリーだし、実際そういう使い方をしようとしているのだが。
ぴょんぴょん跳び跳ねるイリスを椅子に座らせると、ヘンリーはにこりと微笑む。
「さて、もう一度言うぞ。愛しい未来の奥さん、未来の夫にキスして癒してくれ」
「何それ、酷い!」
イリスは文句を言うが、基本的にはまじめな性格なので『イリス・アラーナ命令権』の存在を無視できないらしい。
あるいは、本当にヘンリーが『モレノの毒』を使って疲弊していると思っているのかもしれない。
多少の罪悪感はあるが、それ以上に愛しい婚約者に構いたい欲求が強かった。
「……目、つぶって」
「うん」
どうやら覚悟が決まったらしい。
ヘンリーはイリスの指示に従って目を閉じる。
暫しの沈黙が続くが、恐らくは色々と葛藤しているのだろう。
その姿を見たい気もするが、ここでへそを曲げられても困るので大人しく待つ。
すると、ようやくイリスは動き出し、ヘンリーの肩に手を置いた。
そうして近付く気配に合わせて、少しだけ顔の向きを変える。
ヘンリーの唇に、柔らかいイリスのそれが重なった。
事態を飲み込めず目を見開いて固まるイリスを見て、ヘンリーは満足してうなずく。
「イリスからのキス、確かに受け取った。……うん。癒されるな。元気になる」
微笑みながらイリスの頬を撫でるが、固まったまま動かない。
やがて、どんどんとイリスの顔が赤くなっていく。
これから結婚するというのに、キスひとつでこれでは、先が思いやられる。
こんなものでは、済まないというのに……困ったものだ。
「――ヘ、ヘンリーの馬鹿ぁ!」
魂を絞り出すような叫びに、ヘンリーは紫色の瞳を細めた。
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