番外編 ダリアの安心
「ダリア! 謀ったわね!」
ダリアを見つけるなりそう叫んだイリスは、怒るのかと思いきや何か考え込んでいる。
「……今、凄く悪役令嬢っぽかったわ。断罪されて悪あがきする時にぴったりの台詞ね」
「台詞はどうでもいいですが、今後も弁当は作りませんよ」
ダリアの主人は見た目ならば比肩する者のいないほどの一級品なのだが、どうも言動と行動がおかしいことが多い。
もったいないとは思うが今更だし、慣れてしまうと珍妙なイリスもまた味わいがあって悪くなかった。
「何でよ。大体、お父様のぶんは作っているんでしょう? 少し多めに用意すればいいだけよ?」
「お嬢様の幸せと、未来の主人の意向を鑑みた結果です。厨房の料理人にも言い含めてありますので、直談判しても無駄ですよ」
確かにプラシドの弁当は用意されている。
一声かければ、たいして量を食べられないイリスの分などあっという間に準備できるだろう。
だからこそ、ダリアは厨房にしっかりと釘を刺しておいた。
「私の幸せを思うなら、美味しいお弁当を用意するんじゃないの?」
「僭越ながら申し上げますと、どうせ同じことでございます。ならば、一戦ぶんお嬢様の負担が減る案を採用したまでです」
丁寧に事情を説明したが、どうやらわかっていないらしいイリスは頬を膨らませている。
「全然、わからない!」
「左様ですか。何にしても、作りません」
宮廷学校にはヘンリーと共に通っており、つまりは共に昼食を摂る。
となれば、ヘンリーはイリスのために弁当を用意するだろう。
ヘンリーの侍従であるビクトルから話をされるまでもなく、予測はついていた。
イリスが弁当を持参したところで、どうせヘンリーのものを食べることになる。
ならば最初からもっていかない方が話が早いではないか。
「――もう、いいわよ! 自分で持っていくから!」
翌日、宣言通りにイリスは厨房に立ったらしい。
出来上がった二つのサンドイッチを紙でくるみ、大きめのスカーフで包んで部屋に戻ったイリスは御機嫌だ。
「これで、お弁当持参だもの。ヘンリーのお弁当を食べなくてもいいわね!」
やり遂げたと言わんばかりに楽しそうに準備をするイリスに、ダリアは何だか愛しくもかわいそうな気持ちになってきた。
「……墓穴を掘っていることに、気が付いていませんね」
イリスが手作りの弁当を持参すれば、確実にヘンリーが食べるだろう。
その上で、ヘンリーが用意する弁当を食べることになる。
はたから見れば、互いの弁当を用意する、ただのラブラブな婚約者同士だ。
一方的にヘンリーの弁当を食べさせられるよりも親密度が上がるのだが……わかっているのだろうか。
「――え? 何?」
やはりわかっていないらしいイリスに、ダリアは笑みを返す。
「いいえ。お嬢様は、そのままでいてくださいませ。……楽しいので」
恐らく今日の昼食では恥ずかしいいちゃつきが展開されることだろう。
イリスは疲弊するだろうが、どうせもうすぐ結婚するのだ。
スキンシップに慣れることは必要だし、仲睦まじいのはいいことだ。
ダリアはご機嫌のイリスを笑顔で送り出した。
********
「……それにしても、大きいわね」
カフェを訪れたイリスは、試作品だという巨大どんぐりケーキを渡された。
箱に入れられているので今は姿が見えないが、中に入っているケーキはイリスの頭よりも大きい。
ケーキというよりもどんぐりのお化けという感じだが、イリスは楽しそうだ。
せっかくなので誰かと一緒に食べたいらしいが、オルティス公爵家は新婚だからと止められたのだという。
バルレート公爵家は謎だが、とにかく駄目らしく、残るはコルテス伯爵家のみ。
だがコルテス邸を訪ねてみると、お目当てのコルテス伯爵令嬢は留守だった。
「……つまんない」
馬車に戻ってぽつりとこぼれた不満に、ダリアは苦笑した。
「では、モレノ邸を訪問してはいかがですか? ヘンリー様なら、喜んでくださいますよ」
「……どうせ、いないもの」
どうやら御機嫌斜め……というよりも拗ねているらしい。
「行ってみなければ、わかりませんよ」
笑顔のダリアに諭され、馬車はモレノ侯爵邸に進路を変更した。
「――申し訳ありません。ただいま、ヘンリー様は所用で出ております」
ヘンリーの侍従であるビクトルに丁寧に頭を下げられたイリスは、小さく息を吐く。
「そうよね。じゃあ、いいわ」
そのまま踵を返すと、ビクトルが慌てて前に出てきた。
「もうじきお戻りになると思います。というか、戻します。よろしければ、少しお待ちになっては」
戻すということはそれができる程度の予定なのだろうから、待ってもいいはずだ。
だが、イリスはゆっくりと首を振った。
「邪魔するつもりはないから、いいの。……そうだ。ビクトルは甘いもの好きなんでしょう?」
「ええ、まあ」
「じゃあ、これあげる」
「え? これは? ――イリス様?」
ダリアが持っていたケーキの箱を取り上げてビクトルに手渡すと、イリスはそのままモレノ侯爵邸を後にした。
……これは、だいぶ拗ねている。
本来ならば友人である御令嬢の家でおしゃべりを楽しみながらケーキを食べたのだろうが、今日は運がなかった。
その上、ヘンリーまでも留守だったので、寂しくなったのだろう。
だったらモレノ邸で待てばいいのに、そういう甘え方ができないのがイリスだ。
アラーナ邸に戻ると、イリスは早速庭に出た。
恐らく気分転換に魔法の練習でもするのだろう。
今のうちにモレノ邸に使いを出して、事情をヘンリーに伝えなければ。
ビクトルが戻すと言ったのだから、ヘンリーの帰宅はそう遅くはないはず。
上手くいけば一緒にお茶くらいは飲めるだろう。
急いでしたためた手紙を持ってアラーナ邸の玄関に向かうと、そこにはビクトルを従えた茶色の髪の美少年の姿があった。
「イリスは戻っているか?」
「はい。ちょうどヘンリー様にご連絡をと思っておりました」
慌てて近付いて礼をするダリアにヘンリーがうなずく。
その後ろで、ビクトルがケーキの箱を持っているのが視界に入った。
「ケーキを置いて行ったと聞いたが。……何かあったのか? 体調が悪いとか?」
「いえ。恐らくはどなたかと一緒に食べたかったのだと思います」
「……そうか」
体調不良ではないと聞いて安心した様子のヘンリーは、困ったように笑った。
「だったら、うちで待てば良かったのに。……本当に、いつになったら俺を頼るんだ」
それは文句のようで、とても優しい響きで。
――この人ならば、イリスを任せられる。
そう思ったダリアの口元は、知らず綻んでいた。
ケーキと紅茶を用意して庭に向かえば、そこは氷柱だらけだった。
予想通りとはいえ、さすがに冷気が酷い。
イリスはヘンリーの上着にくるまれているが、それだけではとても冷えを防げないだろう。
小柄で華奢なイリスは体力も貧弱で、冷えればすぐに熱を出すのだ。
「……まったく。どれだけ氷を出すつもりですか。氷漬けになりたいのですか。さっさと紅茶で体を温めてください」
そう言って差し出した紅茶は、イリスの好きな柑橘の香りだ。
「……うん」
イリスはうなずくと、紅茶を口にする。
温かいものを口にしたおかげか、少し表情が明るくなるのがわかった。
「……美味しいわ」
「そうか」
ケーキを食べたイリスがそう呟くのを見て、ヘンリーが微笑んでいる。
イリスが愛しいのだとその表情が物語っていて、見ているこちらが恥ずかしい。
「面倒見の鬼……」
「何だ?」
「ううん。……ありがとう」
甘え方が下手なイリスにとって、それは感謝であると同時に、信頼の表現だ。
来てくれてありがとう。
気付いてくれてありがとう。
――とても嬉しい。
言葉にならないそれはきちんと伝わったらしく、ヘンリーは紫の瞳を細めている。
「どういたしまして。愛しい未来の奥さん」
笑みを交わす二人を見て、いつの間にかダリアの頬も緩んでいた。
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