正義と恐怖
目を開けると、そこには見たことのない天井があった。
「……あれ?」
自室のベッドではないし、そもそもアラーナ邸ではない。
オルティス邸で居眠りでもしたのだろうか。
ゆっくりと体を起こすと、そもそも横になっていたのはベッドではなくソファーであることに気付いた。
「目が覚めたのか」
急に言葉をかけられて肩を震わせたイリスは、その声の持ち主を見つけると首を傾げた。
「レイナルド? ……ここ、どこ?」
レイナルドがいるということはベネガス邸だろうか。
だが、一度も訪問したことがないのにソファーで寝ていた意味がわからない。
「憶えていないか? カフェの前で、イリスは攫われたんだ」
レイナルドは窓辺に腰かけたまま、ため息をつく。
そう言われれば、どんぐりクッキーを拾おうとしたら意識が遠のいた気がする。
馬車の音も聞こえたが、あれも関係するのだろうか。
「でも、何でレイナルドもいるの?」
レイナルドが攫ったというわけでもないだろうし、一緒にいる理由が不明だ。
もしかして、レイナルドも攫われたのだろうか。
何せ『碧眼の乙女』のメイン攻略対象を務めるだけあって、レイナルドは見事な美少年だ。
攫いたい人がいても、おかしくはない。
「イリスが馬車に乗せられたから、俺は馬車の後ろに飛びついたんだ。この屋敷に到着してから助けようとはしたが、丸腰な上に数で不利で。だが、どうにかイリスと同じ部屋に入れた。……まあ、結局閉じ込められているんだが」
そう言うレイナルドの頬には、血が滲んで見える。
ソファーから立ち上がったイリスがハンカチを差し出すと一瞬怯えたものの、それを受け取って頬に当てた。
「じゃあ、レイナルドが狙われたわけじゃないのね?」
「明らかにイリスを狙っていただろう。俺とあの親類の子から離れて一人になったところに、突っ込んできたんだぞ」
そう言われれば確かに、あの瞬間イリスの周囲に人はいなかった。
これが『毒の鞘』は狙われるというやつで、ヘンリーが『ひとりで出歩くな』と言っていた理由だろうか。
今までも襲撃とやらに出くわしたことはあるが、こういう誘拐は初めての経験だ。
「あれ? それなら、レイナルドは関係ないし、普通に逃げられたんじゃないの?」
「イリスをひとりにしたら危ないだろう」
レイナルドが頬からハンカチを離すが、どうやら血は止まっているらしい。
「汚れたから、洗濯……いや、新しいものを……いや、それじゃあプレゼントみたいになる。どうしたら……」
「別に、いいわよ。気にしないで。捨ててくれればいいわ」
レイナルドは眉間に皺を寄せてしばし考えると「とりあえず、ありがとう」と言ってハンカチをポケットにしまった。
「誘拐なら身代金とかが目的なのよね?」
『毒の鞘』として狙われたにしても、やはり何らかの交渉にでも使うのだろうから、身の危険はないはず。
仮にイリスを殺したいのだとすれば、それこそこんな部屋に寝かせておくとも思えない。
となれば、とりあえず今すぐ何かされるようなことはないだろう。
だが、レイナルドの表情は曇ったままだ。
「そうとは限らない。大体、身代金目的だろうと何だろうと、放置できるか。目の前で知り合いが攫われたんだ。それも、同級生で、一時は婚約の話すら出ていたんだぞ。……見捨てられるか」
見目麗しい少年の言葉に、イリスは感銘を受けた。
「さすがはメイン。……正義」
「何なんだ、それ」
思わず拍手をするイリスを胡散臭そうに見ると、レイナルドは深いため息をついた。
「それに、イリス自身が目的だとしたら。あいつが来る前に何かあったら……。そして、俺が見捨てたと知られたら……」
話しながら、レイナルドの声と体が震える。
「――とにかく、イリスの身は守る! それが俺の命を守る!」
「……ちょっと。感動を返して」
レイナルドの行動理由は正義ではなく恐怖だったらしいが、その原因がヘンリーらしいというのが何とも笑えない。
「大体、何でそんなにヘンリーに怯えているの? 何をされたの? 暴力?」
ヘンリーが無意味に暴力を振るうとも思えなかったが、レイナルドの様子からすると可能性はゼロではない。
だが、赤髪の美少年はゆっくりと首を振る。
「いや。指一本触れられていない」
「じゃあ、何? ……暴言?」
これもあまりイメージが湧かないが、他に思いつかない。
しかし、再びレイナルドは首を振った。
「いや。そういうわけでもない」
「じゃあ、何よ」
困ったイリスが問うと、レイナルドの顔がどんどんと青くなっていく。
「いや。もう……聞くな。頼む……」
「う、うん。わかったわ」
青い顔のままうなだれるレイナルドを見ていると、何だかかわいそうになってしまい、イリスは慌ててうなずく。
それにしても、暴言でもなく指一本触れもしないで、ヘンリーは一体何をしたのだろう。
そろそろ第8章も終盤に入ります!
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