夢と希望と妄想が暴走しているそうです
試すって何だろう。
イリスは首を傾げて考える。
……唇に、ソース。
つまり、それを舐めろとでも言うのだろうか。
それに思い至った瞬間、イリスの顔が真っ赤に染まった。
「――何を言い出すのよ、変態! 悪魔!」
離れようとするイリスをヘンリーが抱えるので、身動きが取れない。
「……そうですね。既に悪魔はいるので、イリス様は女神か小悪魔です」
この状況でもまだ悪魔の話を続けていたらしいフラビアにも驚くが、とりあえずヘンリーを止めてほしい。
「既にいるって、誰? どこにいるの?」
まさか悪魔の座を先に奪われるとは思わなかったが、それはそれで面白い。
ヘンリーの手を押しのけながら期待に胸を膨らませていると、フラビアの視線がこちらを向いた。
「……うん? 俺?」
視線の先にいるのが自分だと気付くと、ヘンリーの腕が緩む。
チャンスを逃さずに逃げ出したイリスは、少し距離を取ってベンチに座った。
「美しき黄金の女神に触れるには、その前に立つ紫の悪魔を倒す必要があるそうで。騎士科は今、女神の祝福のために燃えているそうです」
「ねえ。さっきから言っている祝福って、まさか」
「イリス様から贈られるキスでしょうね」
「何でよ、また勝手に! 私、そんな約束していないからね!」
騎士科は何故、本人に承諾もなく毎度そういうことを言いふらすのだろう。
仮にも騎士になろうというのだから、もう少し女性に優しくしてくれたっていいと思うのだが。
イリスが残念だから、女子扱いされていないのだろうか。
「存じております。ただ男所帯のむさくるしい騎士科の、夢と希望と妄想が暴走しておりまして……。先日のイリス様の照れからのキスのくだりで悶絶した連中が、『あれがいい! 照れられた上にキスされたい!』と息巻いております。――野郎の妄想は、誰にも止められません」
何だかちょっと格好良い表現だが、言っていることは最悪だ。
「嫌よ、止める! ……どうしたらいいのかしら。黄金の女神……金色以外ならいいの?」
金というからには瞳の色なのだろうが、この世界にカラーコンタクトレンズはない。
「魔法で色を……変えられる? 凍らせるのはできるけれど」
「危ないから駄目だ」
鋭い声で釘を刺されたが、凍ったところで色は変わらないので素直にうなずく。
「じゃあ、女神の方をどうにかして」
「無理です。可愛いので」
「可愛いから女神なの? 私は残念なのであって、可愛いとは違うわ」
「同じことです。尊いから、女神ですね」
意見を曲げないフラビアに、イリスの頬が膨らんでいく。
「――よし、わかったわ。つまり残念を極めれば、女神を回避して残念ポイントも稼げる。これぞ一石二鳥! やはり残念が最強よ!」
決意を乗せた拳を掲げると、それをみたフラビアが小さく息を吐いた。
「……ヘンリー様もご苦労なさいますね」
「まあな。でも、放っておけないだろう?」
苦笑するヘンリーに、フラビアはもう一度息を吐く。
「惚気をありがとうございます。遠目に見ているぶんには、そうですね。……そういえば、イリス様は男装をなさったとか」
「そうなの。私ね、男の人の姿で女性に声をかけずに骨抜きにしたのよ」
男装という言葉に反応してイリスが説明すると、フラビアは笑みを浮かべたまま首を傾げる。
「目的も方法もさっぱりわかりませんが、イリス様なら出来そうですね」
「うん。頑張ったの。でもね、ヘンリエッタの女子力が高くて……その点は惨敗よ」
「ヘンリエッタ?」
フラビアは一瞬眉を顰めると、ヘンリーに残念なものを見る眼差しを向けた。
「……ヘンリー様に、そんな趣味がおありとは」
「そんなわけがあるか。イリスの付き添いで仕方なくだ」
「巷では容姿の優れた少年が攫われる事件が起きている、と伺いましたが」
急な話題の変化に、ヘンリーの眉がぴくりと動く。
「……耳が早いな」
「使える家族は使います」
「まあ、別に極秘というわけではないからな。その件は騎士団預かりだし」
「イリス様の男装は、さぞや眩い美少年だったのでしょうね」
「……何が言いたい」
ヘンリーが眉を顰めて問うと、フラビアは自身の手を胸に当てた。
「そんなイリス様をお守りするのに便利な人間が、ここに」
日本の料理番組にありがちな『一晩煮込んだものが、こちらです』的な語り口だが、イリスを守るとは何のことだろう。
「……だから。それにはまず、俺以外に話を通せ」
「通るならとっくに通しています。ヘンリー様さえうなずけば、一発なのですが。……一服、盛ってもいいですか」
まさかの告白にイリスの瞬きが止まらない。
「物騒なことを本人に聞くな」
「ですが承諾を得ないと、まともに盛れるとは思えませんので」
「その前に、一服盛ろうとするな」
見つめ合い……もとい、睨み合いのような状況に、イリスは小さく息を吐く。
「……二人は、仲がいいのね」
「そうじゃない。フラビア嬢は……まあ、知り合いとしては長いが。何というか、面倒な親戚の姉のようなものだ」
親戚というと、モレノの血縁なのだろうか。
イリスの視線で何を言いたいのかわかったらしく、フラビアは小さく首を振る。
「血縁ではありませんよ。赤の他人です。イリス様が嫉妬なさるようなことも一切ありません。ご安心を」
「嫉妬? べ、別に、そんな心配はしていないわ」
予想外の方向に慌てて首を振っていると、いつの間にかヘンリーがすぐそばにやって来ていた。
「何だ。それならそうと言えばいいのに」
何故か笑顔でそう言うと、イリスの左手をすくい取り、指輪に唇を落とす。
「な、何するのよ!」
「微調整。感度の加減が難しくてな」
言っていることは意味がわからないが、とにかく人目もあるのだからやめてほしい。
ヘンリーの手を振り払うと、今度はその手がイリスの頬をなぞるように撫でた。
「俺には、イリスだけだよ。愛しい未来の奥さん」
頬を撫でられ、至近距離で紫色の瞳に見つめられ――イリスは限界を突破した。
「――ヘンリーの、馬鹿ぁ!」
叫ぶと同時に立ち上がり、その場から逃げ出すように走り出した。
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