愛妻弁当ではありません
「今日はヘンリーのお弁当のお世話にならないわ!」
宮廷学校のお昼の時間、中庭に到着するなり、イリスは得意気に宣言した。
「どうしたんだ?」
のんきに問い返すヘンリーは、既に敗北していることに気付いていない。
イリスは意気揚々と包みを取り出した。
「今日は自分で持って来たわ!」
「へえ。何を?」
ベンチに置いたスカーフを、ヘンリーがするりと解く。
中から出てきた包みを開けると、厚切りハムのサンドイッチが顔を出した。
「これ、イリスが作ったのか?」
「そうよ。隠し味は、マスタードマヨよ!」
「隠せていないぞ」
余計な指摘をしたと思うや否や、ヘンリーはサンドイッチにかじりついた。
「うん。美味しい」
「ち、ちょっと? 何するのよ、私のお弁当よ!」
イリスが驚いている間に、厚切りハムのサンドイッチはヘンリーのお腹に消える。
「こっちは?」
「ドライいちじくとチーズとハム……って、何で食べるのよ!」
どうにか取り返そうとするのだが、腕の長さが違いすぎてまったく届かない。
じたばたともがいているうちに、あっという間に二つ目のサンドイッチも食べられてしまった。
「うん、美味しかった。ごちそうさま」
悪びれる様子もなく満足げなヘンリーの横で、イリスは空になってしまった包みを見てうなだれた。
「……私の、お弁当……」
実際のところ二つも食べられたかと言えば、怪しい。
だが、さすがにお昼ご飯抜きは切なかった。
「……何か、買ってくる」
立ち上がろうとするイリスの手が引かれ、再びベンチに腰を下ろすと、隣に立派な弁当が登場した。
「何よ、あるなら自分のを食べなさいよ!」
てっきり弁当を忘れてきてイリスのサンドイッチを襲ったのかと思えば、どういうことだ。
「うん? だって、愛妻弁当を食べたいだろう?」
アイサイというのが何だかわからず、しばし考え。
それに思い至ったイリスの顔が一気に赤く染まった。
「あ、愛妻じゃない! 仮!」
「そうだな。愛しい未来の奥さん」
ヘンリーはイリスの手を取るとそっと唇を落とし、にこりと微笑んだ。
「――ヘンリーの馬鹿ぁ!」
見事に限界を突破したイリスは、叫びながらその場を駆け出した。
必死に走って、走って。
疲れて立ち止まると、見慣れない建物が目の前にあった。
奥の方から人の声がするが、何だろう。
気になって中に入ってみると、どうやら騎士科の訓練中のようだった。
目立つ赤髪の美少年の姿があるところをみると、新入生なのだろう。
皆で剣を振ったり、模擬試合のようなものをしているが、さすがは騎士を目指すだけあって動きがいい。
「……私だって、もうちょっと筋肉さえあれば……」
少しの嫉妬を抱えつつも、訓練の様子を見守る。
レイナルドが騎士科に入ったのは、オリビアに認めてもらうためだという。
騎士科だって入学するのには苦労があっただろうし、レイナルドは次席という成績だ。
相当頑張ったのだろう。
それもすべて、オリビアへの恋心。
「やだ。応援したくなっちゃう」
もはや姉か母の心境だ。
思い込みは激しめだが、基本スペックは高いし、悪い人間ではない。
次にオリビアに会ったら、それとなくアピールしてしまいそうだ。
柱の陰に隠れつつ微笑んでいると、背後に人の気配がした。
「……そこで何をしているんだ?」
肩を震わせて振り返ると、そこには騎士科の学生と思しき男性が数人立っていた。
「あの。ちょっと見学を」
我ながら、かなり怪しい。
建物の入り口に立ち入り禁止と書かれてはいなかったが、違う科の人間が勝手に覗くのは良くなかっただろうか。
上背があって体つきがしっかりした男性に囲まれると、圧迫感が凄い。
何となく怖くて一歩下がると、男性達は二歩近付いてきた。
男性達の表情は先程と違ってかなり緩んでいるが、それでも大きな人に囲まれれば逃げたくなる。
だが出口の方には男性達が立っているから、通れない。
くるりと踵を返すと、唯一知っている存在を急いで目で探した。
「――レイナルド」
それほど大きな声ではなかったはずなのに、赤髪の美少年はすぐにこちらに気が付いたようだ。
果たして来てくれるかわからないし、一か八かの呼びかけだったが、レイナルドはもの凄い勢いで駆け寄ってきた。
「――イリス! 何でこんなところにいるんだ。あいつはどうした!」
「ちょっと、見学してたの。ごめんなさい」
知り合いが来てくれたというだけで、かなり心強い。
安心するイリスに対して、レイナルドは何故だか焦っている様子だ。
「見学はどうでもいい。あいつは? イリスがここにいるのを、知っているんだよな?」
挙動不審を絵に描いたような動きで辺りを見回すレイナルドに、イリスばかりか男性達も少し引いている。
「ええと。走って来たから、知らないと思うわ」
「知らない? じゃあ、イリスひとりでここにいて、男共に囲まれているのか? それで俺を呼ぶとか、殺す気か?」
イリスを助けに来たのかと思えば、イリスが殺す側にいるらしいが……どういうことだ。
「とにかく、ここを出るんだ。……ああ、でも出てもひとりじゃ状況は同じか。だが俺が送れば、やられるのは俺だ。こいつらに送らせても、結局やられる。どうしたら……」
何やらひとりで深い悩みに入ってしまったレイナルドは、頭を抱えている。
「……よくわからないが、この可愛いお嬢さんはおまえの知り合いか? ベネガス」
男性のひとりが話しかけると、レイナルドが勢いよく顔を上げた。
「学園の同級生なんだよぅ!」
「……そ、そうか」
だいぶ投げやりに叫ぶレイナルドに困惑しつつ、男達はイリスをジロジロと眺め始める。
「それにしても、可愛いな。騎士科じゃない以上、魔法科か。新入生かな?」
「学園の同級生ということは、貴族のお嬢様だろう? たまらないな」
「見学なら、俺達が案内してやるよ」
だらしなく頬を緩める男性がイリスに手を伸ばした瞬間、横から伸びた手がそれを遮る。
「――怖がっているじゃないか、やめておけ。おまえ達も一応、騎士見習いだろう」
男性の手を払いのけたのは、藍色の髪に水色の瞳の少年――ウリセスだった。
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