色々したいから
三次元で動くウリセスに感動していると、その視線がこちらに向いていることに気付く。
騎士科のレイナルドを見ているのかと思ったが、どうもヘンリーの方を見ているらしい。
「……じゃあな」
声こそしっかりと聞き取れなかったが、確かにウリセスの唇はそう動いた気がする。
慌てて戻るレイナルドや騎士科の男性達を見ていると、あっという間に広場は無人になった。
「……ヘンリーは、ウリセス様と知り合いなの?」
「ああ、まあ――何でイリスが名前を知っているんだ?」
「え? あ、ええと」
突然の返しに、上手く言葉が出ない。
イリスにとってはよく知る推しキャラだが、現実では一度も会ったことのない男性だ。
名前を知っているだけなら社交云々という逃げ道もあるが、そもそもイリスはろくに夜会にも出ていなかった。
知り合いでもないのに名前と顔を知っている理由としては、少し弱い。
「ここじゃなんだから、座ってゆっくり話そうか」
手を引かれてにこりと微笑まれ、イリスはもう誤魔化しようがないのだとようやく悟った。
宮廷学校は九割が騎士科で、かなりの数の平民も通っている。
そして魔法科は各自バラバラに行動している。
その特性のせいか学園のような食堂はない。
一応軽食は売っているらしいが、基本は弁当持参だ。
イリスとヘンリーも弁当を食べるべく、中庭のベンチに腰を下ろしていた。
だが、当然のようにウリセスのことを訊ねられたイリスは、観念して唯一周回した推しキャラなのだと説明をすることになった。
「周回って、何度もそいつの話を繰り返したってことだろう? ……つまり、イリスの好みなのか?」
少し眉間に皺を寄せたヘンリーが、紫色の瞳でじっと見つめてくる。
「まあ、そうね。『碧眼の乙女』四作目の攻略キャラの中では一番良かったから、周回までしたわけだし」
メイン攻略対象のレイナルドは何となく好みではなかったし、他のキャラも容姿は嫌いではないが、特に惹かれもしなかった。
そんな中ウリセスルートだけは楽しくて周回したのを憶えている。
「……あれの、どこがいいんだ?」
文句と言うよりは純粋な質問という感じの声音に、イリスは目を瞬かせる。
これはもしかして、もしかしなくても、少し嫉妬しているのだろうか。
「ゲームの中の話よ? 実際にウリセス様の顔を見たのは初めてだし。何ていうのかしら。……有名人を見て心躍る、みたいな」
「ウリセスの顔を見ると、心が躍るのか」
「ヘンリーだって、読んでいた本の登場人物が目の前にいたら興奮するでしょう?」
「まあ、そうかもしれないが」
怒るでもなく、否定するでもなく、だが肯定する感じでもなく。
何となく不機嫌そうなヘンリーは小さくため息をつくと、イリスの頬に触れて自分の方に向けた。
「……俺の顔を見ても、心躍るか?」
「――へ?」
紫色の瞳に真剣に見つめられ、イリスは暫し固まる。
何を言われているのか、何をされているのかようやく理解すると、今度はあっという間に顔が熱くなっていった。
「な、何言ってるの?」
慌ててヘンリーの手を外そうとするが、力を入れているようには見えないのに、まったく動かない。
「会ったこともない男の顔で心躍るんだろう? じゃあ、俺はどうなんだ?」
「ど、どうって」
心臓はバクバクと鼓動を早めるばかりだし、このままでは口から飛び出すかもしれない。
生き残る唯一の術はヘンリーの手と視線から逃れることなのだが、それがどうにもならず、涙が浮かびそうになってきた。
「……し」
「し?」
「し、心臓が……飛び出そう」
追い詰められたイリスが涙を浮かべながらどうにかそう言うと、ヘンリーは数回瞬き、ゆっくりと手を放す。
ようやく自由になったイリスは、自分の両手で頬を覆って深呼吸をした。
どうにか涙は堪えたが、未だに胸が痛い。
別に悪いことなどしていないのに、何故こんな目に遭わなければいけないのか。
一言文句を言ってやろうと顔を上げると、そこには見たことのないほど紫色の瞳を細めたヘンリーの笑顔があった。
「……え?」
さっきまで何だか不機嫌だったのに、一体どうしたのだろう。
混乱するイリスの頭を、ヘンリーがそっと撫でた。
「やっぱり、早く結婚したいな」
「何で、そんな話になったの?」
脈絡のなさが酷すぎて、まったく理解できない。
「色々したいから」
「色々って何!」
更に混乱を深めるイリスの頭をもう一度撫でると、ヘンリーはにこりと笑った。
「……聞きたい?」
――これ、駄目なやつだ。
一瞬で判断を下したイリスは、その場で立ち上がった。
「わ、私、お昼ごはん買ってくる!」
そのまま走り出そうとしたが、あっさりとヘンリーの腕につかまり、ベンチに戻される。
「何するのよ。私、お弁当持ってきていないから――」
「うん。だから、これを食べよう」
そう言ってヘンリーが出したのは、立派なお弁当だった。
ヨーロッパ風の世界のくせにジャパニーズな弁当文化があるのは、日本製乙女ゲームゆえだとして。
それにしたって、ヘンリーが持って来たお弁当は見事なものだった。
さすがは侯爵家、厨房の料理人も一流のようだ。
「……私も、本当はお弁当持ってくるつもりだったのよ。でも……」
何故か、ダリアがそれを拒否したのだ。
初日だし、軽食の様子を探るという意味なのかと思ってそんなに気にしていなかったが、よく考えればおかしい。
「……ヘンリーが、ダリアに連絡したの?」
イリスが弁当を持ってこなければ、軽食を買うか、ヘンリーの弁当をわけてもらうことになる。
見る限りヘンリーだけが食べるにしては量が多い気がするし、これはわざとなのではないか。
「うちに来る侍女なんだから、連絡はおかしくないだろう?」
「ヘンリーが?」
「いや、ビクトル」
ということは、少なくとも三人でイリスをはめたわけか。
ダリアはイリスの侍女のはずなのだが、何だかおかしい気がする。
「……ダリアとビクトル、仲がいいわね」
先日もヘンリーの誕生日を聞いていたし、業務上近しくなるとはいえ、ヘンリーの攻撃補佐の連携まで取らなくてもいいのに。
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書影が解禁されたら、活動報告でお伝えします。
よろしければお手元に迎えてあげてください。
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「竜の番のキノコ姫」の押しキノコ募集は締め切りました。
結果は13日夜の活動報告をご覧ください。
たくさんのキノコをありがとうございました。