番外編 ヘンリーの計算
顔に二発、腹に三発。
マルセロはヘンリーを殴りつけると、息を乱して距離を取った。
目隠しをされてここに連れてこられたが、あからさまに教会の中だ。
シーロの結婚式に合わせてクララを連れてきたマルセロが、そのまま無関係の場所に潜むとも考えられない。
となれば、ここは結婚式を挙げる教会の近くだろう。
シーロとカロリーナは王都で一番大きい教会で結婚式を挙げるが、敷地内にはいくつか小さな教会があったはずだ。
結婚式の会場は警備されているが、敷地の他の建物は通常通りなので人の出入りがある。
潜むのには最適だし、もしかするとここにシーロを連れてくる気なのかもしれない。
この建物を使っている時点で、教会内に協力者がいることは間違いない。
そちらの方もしっかりと調べる必要がありそうだし、いずれヘンリーの結婚式もここで行なうのだから注意しなければいけないだろう。
「余裕だな、ヘンリー・モレノ」
マルセロは床に転がるヘンリーを忌々しそうに睨みつけると、もう一度蹴りつけた。
考え事をしていたせいで演技が疎かになっていたようだ。
気を引き締めて辛そうに顔を顰めてみせると、途端にマルセロは上機嫌になった。
今まで平気だった相手が、蹴り一発でそんなに苦しむはずもないと思うのだが。
そういうことを察せないから、クララを連れ出すような馬鹿な真似ができるのだろう。
クララ・アコスタは、王弟への勝手な懸想で公爵令嬢と王弟の婚約を破談させ、公爵令嬢と侯爵令嬢と伯爵令嬢に汚名を着せ、伯爵令嬢の命を脅かした。
本来ならその場で切り捨てられても文句は言えないところを、養父であるアコスタ侯爵の功績から特別に修道院送りで許されたというのに。
クララのことを想うのならば、修道院で大人しくするよう諭すべきだった。
それをまんまと口車に乗せられて手を貸すのだから、愚かとしか言いようがない。
マルセロがクララに妹以上の感情を抱いているのは、わかっている。
だが、愛しく想う相手を危険に晒すという選択が、ヘンリーには理解できなかった。
「こんなことをすれば、クララ嬢は修道院送りでは済まないぞ」
今更やめたところでそれほど変わりはないが一応そう言ってみると、マルセロは鼻で笑った。
「クララが望むことを助けるのが、兄というものだろう」
その言葉に、ヘンリーの中の興味がすっと引いて行った。
愚かな行為を諫めもせずに、窮地に陥ることがわかっていてもなお、望まれたからと言う通りにする。
それはつまり――ただの無責任な自己満足だ。
「そうか」
もう興味も失せたし、後はいかに証拠を押さえるか、だ。
猿轡を噛まされながら、様子を探る。
どうやらクララは修道服から着替えているらしく、口振りからしてシーロをここに連れてくるつもりなのだろう。
王弟で公爵のシーロの前で白状するだけでも十分な証拠になるが、できれば国王の前に出てもらいたい。
断罪されたクララを連れ出しているだけでもかなりの重罪だが、一体何と言い訳するつもりなのだろうと考えると、少しばかり愉快だ。
フィデルには結婚式に乗じて手を出してくる可能性を伝えてあるし、念の為武装して、いつでも動けるようにしてほしいと伝えてある。
シーロの前で墓穴を掘るのを確認したら、後は大きな物音でも立てればフィデルの方からやって来るだろう。
できれば、結婚式の前に終わらせてもらいたいのだが、とヘンリーは小さく息をつく。
今日の結婚式には、イリスも招待されている。
本来なら婚約者は参加できないが、『解放者』を務めたことが大きな後押しとなって許可された。
恐らくカロリーナと共に既にこの敷地内にいるはず。
モレノ関係者はヘンリーのことを大して心配しないだろうが、イリスはまだ事情を十分に理解できない。
……あまり、心配していないといいのだが。
金の瞳が陰ることを想像するだけでも、ヘンリーの胸が痛んだ。
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「――脱いで」
イリスの一言に、その場の全員が固まった。
「さっさと上着を脱いで。私に脱がされたいの?」
「いえ、でも、何故。……今ですか?」
「ビクトルが脱がないのなら、シーロ様を脱がせるわよ」
「え、俺?」
突然ビクトルを脱がせようとするのも謎だが、シーロを脱がせようとするのも意味がわからない。
結婚式を控えた新郎の上着を脱がせるのもどうかと思うし、どうせならヘンリーが脱がされたいが、今はそれどころではない。
イリスが何かしようとしているのは明白だが、それは危険だ。
首を振ってやめるように伝えたが、イリスの意思は固いらしく、下がってはくれなかった。
剣を持って武装した男が十人。
ドレスの安否を問わなければ、カロリーナとビクトルでどうにかなるかもしれない。
だが、どうやらカロリーナは武器を持っていないらしいし、イリスの意思を汲んだシーロがカロリーナを下げてしまった。
イリス以外の面々は、ヘンリーがいつでも参戦できると察しているからだろう。
もう少しマルセロとクララを泳がせて失言を誘いたかったが、仕方がない。
イリスがステンドグラスを割ったので、すぐにでもフィデルが来るだろうし、潮時か。
だが、そっと腕の縄を緩めている間に、イリスの氷柱が男三人を倒してしまった。
男達も、まさか氷柱に殴りあげられ、叩き落とされるとは夢にも思わなかっただろう。
油断していたからとはいえ、見事な魔法だった。
だが、イリスの吐く息は白く、既に体が冷えているのは明白である。
――これ以上は、駄目だ。
ヘンリーが参戦を決意した時、教会の扉が開いた。
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「それにしても、報告以上に妄想が酷い連中だな。あれは、更生は到底見込めないな」
フィデルがマルセロとクララについてそう言ったのを聞いて、ヘンリーは安堵した。
前回の騒ぎでは、アコスタ侯爵の功績を加味して修道院送りで済まされたが、今回はそうはいかない。
唯一の庇護者だったアコスタ侯爵は自身の息子と養女を見限り、彼らを擁護する者はいない。
国王の断罪を無視してクララを連れ出したことに加え、伯爵令嬢への度重なる襲撃、公爵の結婚式を邪魔したこと、侯爵令嬢と伯爵令嬢への殺害未遂、侯爵令息の拉致監禁と暴行。
到底償いきれないほどの罪を抱えた彼らの末路は、先程のフィデルの一言で決定した。
イリスを……ヘンリーの大切な『毒の鞘』を害した者の、当然の結果だった。
モレノと王族の関係を匂わせるフィデルの言葉に、イリスは困惑している。
やはり、そろそろイリスにそのあたりの事情を説明した方がいいだろう。
イリスは『解放者』を務めたことによって、先代夫妻からも相当な信頼を得ている。
ヘンリー自身がイリス以外は眼中にないこともあり、当主と先代当主から説明をする許可ももらえた。
――『モレノの毒』とは女神の恵みであり、受け入れきれない王族の肩代わりをしているのが『モレノの毒』の継承者。
この事実をイリスに知らせれば、たとえ婚約を解消することになっても、生涯監視の目がつくことになる。
だからこそ、本来は婚儀を終えてから説明するのが決まりだ。
それを繰り上げるのは、不安を和らげるためであり、モレノの自覚を促すためであり……囲い込むためでもある。
本人はまだ知らないだろうが、ヘンリーにとってのイリスは、既に生きるために必須の存在だ。
こうしてじわじわと離れられないように画策していることなど、イリスは考えもしていないだろう。
だが、それでいい。
イリスは思うように自由にしてくれれば、それでいい。
たとえどれだけ残念であろうとも、ヘンリーの伴侶はイリスしかありえないのだから。
これで第七章は完結です。
明日からは新作の
「竜の番のキノコ姫 ~運命だと婚約破棄されたら、キノコの変態がやってきました~」
を連載開始します。
活動報告にてあらすじを公開しています。
よろしければご覧ください。