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番外編 ヘンリーの徹夜

 片付けを終えて部屋に戻ると、イリスは本棚の前に立っていた。

 読書して待っていろという言葉通り、本を見ていたのだろう。

 余程集中しているのか、ヘンリーが戻ったことにも気付いていない。

 そんなに面白い本があったのだろうか。


「イリス?」

 何気なく声をかけると、細い肩がびくりと大きく震えた。

 まるで錆び付いた蝶番の様にゆっくりと動いて振り返る様子もおかしいし、その顔色も悪い。


「……どうした?」

 詳細はわからないが、何かあったことだけは確実だ。

 イリスの顔を曇らせる何かが。

 眉根を寄せながら急いでそばに行くと、イリスは手にしていた本を慌てて閉じて本棚に押し込んだ。


「何でもない」

 どう見ても、何かあったとしか思えない。

 白磁の肌は血の気が引いて青白いし、ヘンリーと視線を合わせない。

 イリスは首元のネックレスを握りしめているが、その手も微かに震えている。


 ――怯えているのだ。

 でも、一体何に。



「……本を読んでいたのか?」

「うん」

 短い返答は、それでも声が震えているのだとわかった。

 眉間の皺が更に深くなるのが自分でもわかる。


「……数代前の当主が、教会や歴史や神話を調べるのが好きだったらしいんだ。そこにあるのは、じいさんのもので、それなりに古い本らしい」

「そう、なの」


「ナリス王国は多神教ではあるが、主神は女神だ。王家の始祖に女神の恵みが与えられ、その力で不毛な大地は豊饒の土地となり、ナリスが建国された。……一般的にもよく知られている神話だな」


「うん。……知ってる」

 会話をして少し落ち着いたのか、頬に血の気が戻り始めた。

 それでも何かに怯えるような、不安そうな様子に、ヘンリーの胸も苦しくなる。


「……それで、どうしたんだ?」

 金の瞳を覗き込んで問いかけると、一瞬ヘンリーに縋るような眼差しを向けたが、すぐに目を伏せる。

「何でもないの。立ち眩んだみたい」


 ――嘘だ。


 何かあったのだ。

 イリスを怯えさせる、不安にさせる何かが。

 だが、イリスは無理矢理笑顔を浮かべると、椅子に座って紅茶に口をつけている。

 この話には、触れてほしくないということだ。


「……そうか」

 ぽつりと呟くと、イリスの正面に座る。


 問い詰めるのは簡単だ。

 話すよう誘導することだって容易い。

 だが、怯えるイリスを追い詰めるような真似はしたくなかった。



「もう遅いし、疲れただろう。イリスは寝室のベッドで寝てくれ」

「椅子を並べて寝るの? だったら、身長的に私がここで寝た方がいいから、代わるわ」

 あんなに怯えていたくせに、ヘンリーの寝場所を考えてくれるのは、嬉しい。


「いいよ、大丈夫。イリスは疲れただろうから、しっかり休んだ方がいい。それに、どちらにしても今夜は寝ないから」

「どうして?」


「万が一にも襲撃されたら厄介だからな」

 不思議そうに問いかけられて思わず苦笑してしまう。

 普通に育って生活してきたイリスにとっては、思いもよらないことなのだろう。


「でも、ヘンリーも疲れているのに」

「俺は大丈夫。二、三日なら徹夜しても問題ない」

 事実を伝えるが、それでも納得しきれない様子だ。

 体力のないイリスにとって睡眠は必須であり、それを必要としないというのがピンとこないのだろう。


「明日には迎えも来るだろうし、イリスはしっかり休んで。それとも……添い寝してほしい?」

「――ひ、ひとりで寝る!」

 慌てて椅子から立ち上がったイリスは、そのまま寝室に駆け込む。


 これでイリスはベッドでしっかりと休めるだろう。

 それに、添い寝という言葉に反応してくれたのは、少し嬉しい。

 ちゃんとヘンリーを男として見ているということだろう。


「……おやすみ」

 扉の向こうに消えた愛しい婚約者に呟くと、ヘンリーは椅子から立ち上がった。




 イリスが慌てて押し込んだ本を、ヘンリーはちゃんと覚えている。

 それは何の変哲もない紺色の表紙の本だった。

 同じような色の背表紙がいくつも並んでいる中で、それを手に取った理由はわからない。


 本には『神話と王国の歴史』と書いてある。

 歴史好きでもない限りは、とりたてて興味を引くタイトルではないはずだ。

 ヘンリーはパラパラとページをめくっていく。


 王家の始祖が女神の加護を得て建国したという、ナリス王国の人間なら誰でも知っている話だ。

 より詳しく遺跡や当時の考察まで交えているが、特に面白いものでもない。

 当時の衣装や教会の絵図などもあるが、それだって夢中になって見るものだとは思えない。


「……本は関係ない、のか?」

 だが、イリスの様子が変わった時に手にしていたのだから、何かしら関係があるはずだ。

 イリスを脅かすものがあるのだとしたら、把握しておきたい。


「……俺を頼れって、言っているのに」


 どうにも伝わらない困った婚約者だが、それでもヘンリーにとって大切な存在だ。

 羞恥心を取り戻したとしても、残念でも、鈍感でも、何でもいい。

 イリスがイリスらしく笑えるならば、それでいい。

 だから、ヘンリーはヘンリーのできることをするのだ。


 ヘンリーは本を持ったまま椅子に座ると、初めからじっくりと目を通し始めた。

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