碧眼の乙女と首飾り
「私の王子……?」
ヘンリーが眉を顰める。
婚約するはずのアベル王子はこの舞踏会には来ないはずなので、ヘンリーが不審に思うのも無理はない。
やはり、クララは隠しキャラの王子を狙っている。
この会場で正確な意味を理解できているのは、たぶん転生者のイリスだけだ。
「本当に必要なのは、断罪イベントそのものじゃないわ。悪役令嬢が牢で死んだ後に出てくる選択肢の方よ」
誰に説明するでもなく、確認するようにクララが呟く。
「断罪イベントはもうできないけれど、まだ、望みはある」
金髪碧眼の乙女は、甘い中に狂気をはらんだ笑みをイリスに向けた。
やはり、千里眼の聖女で転生者なのは、クララ。
その彼女が、イリスの目の前に現れたという事は。
「イリス・アラーナを、牢へ!」
クララが高々と手を掲げる。
それと共にどこからともなく帯剣した男達が現れ、イリスとヘンリーは囲まれた。
クララの息がかかっているのは間違いないのだから、牢へ入れられれば殺される。
掴まるわけにはいかない。
剣を携えた突然の乱入者に、女性の甲高い悲鳴が響いた。
もともとシナリオでもイリスを捕らえて投獄したのだから、同じように騒ぎにはなっただろう。
だが、乱入者が悪役令嬢だけを狙うと分かっているイリスとは違う。
普通に舞踏会に参加した者からすれば、男達こそが異物だ。
状況は理解できなくとも、危険であることは伝わるのだろう。
波が引くように、あっという間に周囲の人間が逃げていく。
余計な怪我人を出したくないので、離れてくれるのはありがたかった。
男達はそれらに一切構わず、イリスだけを見ている。
やはり、狙いはイリス。
正規兵には見えないが、アコスタ侯爵家の私兵だろうか。
イリスは肉をテーブルに置くと、一歩後退った。
虹色パラソルのドレスが揺れる。
それと入れ違うようにして、ヘンリーがイリスの前に立った。
「……イリスの言ってた危険って、これのことか?」
「うん。捕まったら、私は牢で殺される。……それが彼女の目的だから」
「それは、見過ごせない話だな」
ヘンリーは上着から短剣を取り出すと、正面に構えた。
一人の男が剣を向けてイリスに近付く。
突き出された剣をかわしたヘンリーは、短剣で相手の手元を叩く。
金属音と共に転がる剣。
それを拾い上げると、今度は長剣を構える。
美しい構えだった。
シルビオに見せてもらったお手本と遜色ないどころか、動いてもなお崩れることがない分ヘンリーの方が優雅に見えるほどだ。
今まで知らなかったが、どうやらヘンリーはしっかり剣を使えるらしい。
それも、かなりの腕前だとイリスでもわかるほどだ。
流れるようなヘンリーの動きに、男達も距離を取って様子を窺っている。
だが、多勢に無勢。
一気に攻められればどうしようもないだろう。
あちらもそう思ったらしく、十人ほどの男達が同時に動き出す。
イリスの剣が効く相手だとも思えない。
魔法で足止めだけでもできれば、ヘンリーの助けになるかもしれない。
いつか学園で出したような氷の塊をばらまけば、足元が悪くなって動きが鈍るはず。
イリスは氷を頭の中に描くと、それを出現させるために集中する。
左手の指輪が熱くなった気がした。
その瞬間、荒波のような冷気が一気に広がり、男達の足元は完全に氷に覆われていた。
「……え?」
おかしい。
ちょっと氷の塊をばらまくはずだったのに。
何で、氷漬けの世界になっているのか。
しかも、ちゃんとヘンリーは避けて氷が張り巡らされている。
恐る恐る左手を見れば、まだ指輪が熱を持っている。
この指輪、制御と増幅の効果があると言っていたが、ありすぎではないのか。
どんな加工をすればこうなるのか。
短剣といい、モレノ侯爵家の加工品が怖くなってきた。
値段のことを考えると、もっと怖い。
後で絶対にヘンリーに返そう。
「どいつもこいつも役に立たないわね!」
動けなくなった男達に業を煮やしたクララは、周囲を見渡すとテーブルにあったナイフを手に取り、直進する。
食事用のナイフではなく、骨付き肉を切り分けられるものだ。
刺されれば無事では済まないだろう。
「イリス!」
男達を相手にしていたヘンリーは少し離れていて、クララの動きに間に合わない。
懐の短剣を出そうとするが、ナイフを振りかぶるクララの方が早い。
その瞬間、イリスの首元のネックレスが眩い輝きを放った。
何か固いものが当たった音と共に、クララの手元からナイフが弾き飛ばされる。
「な、何……?」
事態を飲み込めず混乱するイリスは、クララが震えているのに気付く。
怒りと驚きの表情で、クララは叫んだ。
「何故、あなたがそれを持っているの!」
「――俺が貸したからだよ」
聞き覚えのある声に振り向くと、そこには一人の青年の姿があった。
「……シルビオ?」
それは確かにシルビオなのだが、いつもの簡素な恰好ではなく、髪も見慣れた黒髪ではない。
赤い髪に、緑の瞳の美青年。
この色合いは、見覚えがある。
『碧眼の乙女』の、メイン攻略対象の色合いだ。
「シーロ様!」
クララがシルビオに駆け寄る。
「シルビオは、この国の第三王子。シーロ・ナリス殿下だ。先の王位継承争いを逃れて、隣国でモレノ侯爵家が匿っていた」
混乱するイリスのそばに、ヘンリーがやって来る。
「そうなの?」
ヘンリーは知っていたのか。
侯爵家の嫡男なのだから、当然と言えば当然か。
「殿下の命に関わるから、教えるわけにはいかなかったんだ。ごめん」
そんな機密事項、イリスに教えられるはずもないので、当然だ。
「別に、それは構わないけど。でも、何でここにいるの?」
「そうよ! だから、シナリオ通りに進めて、イベントを起こさなければ会えないレアキャラだったのよ!」
つまり、シルビオことシーロ王子が、四作目の隠しキャラということか。
クララは興奮しているが、シナリオとかレアキャラと言っても、誰も意味がわからないだろう。
周囲がクララを不審の目で見ているのに、彼女は気付いていないようだ。
シーロはうっとりとした眼差しを送るクララに一切構わず、イリスとヘンリーのそばにやってくる。
「そのネックレス、貸しておいて良かったよ。イリスを騙した形になるけど、悪かったね」
馴染みのある声に、少し安心する。
「事情があったんだから、私に謝る必要はないわ。シルビオは剣を教えてくれたし、お守りも貸してくれた。私がお礼を言わなきゃいけないくらいよ」
感謝こそすれ、責めることなど一つもありはしない。
「そう言ってくれると、助かる」
微笑むシーロを見て、呆然としていたクララが声をあげた。
「――何で、そんな女にネックレスを渡しているの。それは、シーロ王子を攻略したときに貰える、『碧眼の首飾り』なのよ!」
それはつまり、攻略の証のレアアイテムということだろうか。
「大切な物だったのね。すぐに返すわ」
慌ててネックレスを外そうとするイリスを、シーロは笑顔で制する。
「いいんだ。未来の妹のために使うんだから、それも本望だろうよ」
どういう意味だろう。
この上、隠し妹キャラが登場するのだろうか。
首を傾げるイリスを見て、シーロは優しく微笑んだ。