お願い、ヘンリー
王家の始祖に女神の恵みが与えられ、その力で不毛な大地は豊饒の土地となり、ナリスが建国された。
……それが、一般的に知られている、ナリス王国建国の神話。
だが、これは本当のことだったと言われている。
その証拠に、王家には女神の恵みが色濃く残されているのだ。
だが、女神の力は、人には強すぎる。
次第に、王家はその力で命を失うものが増え始めた。
女神の恵みを『毒』と表現するほどに、それは王家を蝕む。
そのままでは王家が滅ぶ寸前となり、色々な対策が練られた。
滋養のつく食べ物を摂ったり、抵抗力を上げるために魔法の訓練をしたりと、当初は王家の人間を強化する方向で努力をする。
だが、その成果もはかばかしくなく、苦肉の策として生贄を用いるようになった。
それでも不安定だったので、更なる方法が考えられる。
王家の人間を守るために、女神の『毒』を分割して負担を減らすという考えが取り入れられ、試行錯誤の末に、ようやくそれが定着した。
「もうわかるかもしれないが、女神の恵みである『毒』が、『モレノの毒』の正体。現在、モレノが王家の肩代わりをしている状態なんだ」
「……そ、そうなの」
あまりに話が突飛で、何を言ったらいいのかわからない。
そもそも建国の神話云々という時点で、まったく実感がない。
その上、女神の恵みが王族を滅ぼしかけて、今はそれをモレノが肩代わりしているなんて。
まるで、おとぎ話か何かのようだ。
「だから、陛下はモレノがいなければ王家は滅ぶと言ったの?」
「完全にモレノだけが請け負っているわけじゃないから、ちょっと大袈裟だけどな。これを正確に知っているのは、王族でも継承権が上の者くらいだし、モレノでも直系の家と継承者と『鞘』、その周囲くらいだな」
それは、結構な機密ではないか。
それも、神話レベルで国家レベルの。
「わ、私に言っていいの?」
「イリスはモレノの次期当主である俺の伴侶で、継承者でもある俺の『毒の鞘』になるんだ。まだ婚約者とはいえ、許可も取ったから問題ない」
恐縮して握りしめた手に、そっとヘンリーの手が重ねられる。
「毒の祭りでの『解放者』の役割は、継承者の身の内に溜まる『毒』を解放すること。そうして、女神の恵みを、大地に返すんだ。人の身では溜まり続ける恵みに蝕まれてしまうからと、考え出された方法だ」
つまり、ガス抜きということか。
イリスとしてはただ地面に短剣を刺しただけだったのだが、あれで良かったのだろうか。
「『解放者』がその魔力を媒介にして、『毒』を返す。その量は『解放者』の魔力次第だ。ばあさんに負担続きだったから隔年で担当していたが、どうしても『鞘』を超える適応者はいない。そのせいで『毒』が溜まっていたんだが、今はイリスのおかげで体が軽い。……ありがとう」
イリスの手を撫でながら、ヘンリーが微笑む。
「儀式で倒れる人がいるって、そのせいなの?」
「そうだ。『毒』を解放するのに相当な魔力を消費するからな。それに、少しとはいえ『毒』に触れることになる。『鞘』はその点、多少の抵抗性を得た状態だから何とかなるんだが、連続すればやはり負担に違いはない」
「それ、ヘンリーはつらいの? 大丈夫なの?」
触れた『解放者』が倒れるほどの『毒』を抱え込んでいるのなら、継承者はどれだけ大変なのだろう。
心配になって思わずヘンリーの手を握り返す。
「物心ついた時からずっとこうだから、平気。それでも、イリスの儀式を経験したら、価値観が変わるよ」
「少しは楽になったということ? いつか『毒』はなくなるの?」
「なくならないよ。常に少しずつ『毒』は流れ込む。でも凄く楽になったから、本当に感謝している」
微笑んでそう言うと、すぐに表情が曇っていく。
「……イリスが正式に『毒の鞘』になれば、俺はもっと負担が減るだろう。でもそれは、イリスに負担をかけるってことだ。今までろくに説明もできていないのに、押し付ける形になってごめん。――でも、俺にはイリスが必要なんだ。『鞘』としてではなくて、俺自身が生きていくために」
ヘンリーはイリスの手を包み込むように握ると、紫色の瞳をまっすぐに向ける。
「だから――これからも、俺のそばにいて」
「じゃあ、学校に行ってもいい?」
すかさず返された言葉に、ヘンリーが一瞬固まる。
「……学校?」
「宮廷学校の魔法科。私、もっと鍛錬したいの。今のままじゃ、ただの保冷剤で足手まといだもの。せめて、有効な保冷材になりたい」
「いや、保冷材にはならなくていいよ。冷えないように頑張ってくれ」
学校に行くこと自体はイリスの自由だろうが、結婚した後も通うとなればヘンリーの許可がなければ厳しいだろう。
学園の様に毎日通うものではないらしいが、裏を返せば長期間通う必要があるはず。
凍結の解除を学ぶためには、おそらく魔法科に行くのが近道だ。
「お願い、ヘンリー」
じっと見つめて訴えると、ヘンリーは困ったように頭を掻き、そしてうなずいた。
「……わかった。でも、俺も行く」
「え?」
「おまえは知らないだろうが、宮廷学校には魔法科と騎士科が併設されていて、人数的には圧倒的に騎士科が多い。当然男が多い。そんなところに、イリスを一人でやれるか」
確かに、プラシドも『野郎の巣窟』と言っていた気がする。
「でも、ヘンリー忙しいじゃない。大体、どっちに入るの? 騎士科?」
「イリスを守るんだから、魔法科じゃないと意味がないだろう」
それはつまり、保護者同伴ではないか。
婚約者というよりも、幼児扱いだと思うのだが。
「でも、試験があって、魔法を使えないと」
「大丈夫」
自信のある様子に、ふと恐ろしい可能性が浮かぶ。
「まさか、『毒』を使うの?」
「心配しなくても、そんな馬鹿なことはしない。魔法を使う方じゃなくて、研究の方で試験を受ければいいだろう」
確かに、魔法科は教育と研究だと言っていたから、自身が魔法を使わなくても構わないのか。
「でも研究って。だって、今までそんなの」
夏休みの自由研究とは規模が違う。
一朝一夕ではどうしようもないではないか。
だが、焦るイリスとは対照的に、ヘンリーは穏やかな笑みを浮かべている。
どうしよう。
本当にどうにかしそうで、怖い。
「言ったろう? 大抵のことは一通りできるように仕込まれているって」
「それ、おかしいからね? 全然、大抵のことじゃないから!」
怖い。
やっぱり、モレノが怖い。
怯えるイリスに構わず、ヘンリーは紫色の瞳を輝かせて微笑んだ。
「――さあ、忙しくなるぞ。頑張ろうな、俺の『毒の鞘』。愛しい未来の奥さん」
これで本編第七章は完結です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
明日からは番外編をお届けします。
その後は新作の予定です。
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