パワハラを謝罪します
体を清めて着替えたヘンリーの胸には、イリスのドレスとお揃いの花飾りがつけられている。
顔にはガーゼを当てていたが、それ以外はいつもと変わらない様子だった。
イリスなら節々が痛くてぎこちない動きになりそうなものだが、これは我慢しているのか、平気なだけなのかよくわからない。
ファティマに「お疲れ様」と声をかけられたので、たぶん近しい人達はもう事情を知っているのだろう。
ヘンリーに関しては、転んだということで統一されていた。
「ビクトル、ありがとう。おかげで悪寒戦慄の危機から逃れられたわ」
コンラドとヘンリーが話している間に、イリスはビクトルを探していた。
お世話になった上着を、たたんだ状態でビクトルに差し出す。
「本当は洗って帰すべきだけど、それじゃ結婚式に間に合わないから。……ごめんなさい」
「いいえ、謝っていただくには及びません。お役に立てたのなら、何よりです」
ビクトルはそう言って上着を受け取ると、自身の腕にかけた。
「……着ないの?」
上着なしでも寒くはないだろうが、皆が正装の中で一人上着を着ないのは結構目立つ。
「いえ、着ますが。少しほとぼりが冷めてからにしようかと」
「ほとぼり?」
それは、イリスの熱が残っているのが気持ち悪いということだろうか。
そう言えば、ビクトルはイリスと一緒にいるのが嫌だったはず。
そんな相手に上着を剥ぎ取られ、着られていたのだから、その苦痛は計り知れない。
しかもヘンリーの侍従であるビクトルは、その婚約者であるイリスに対して、立場的には文句を言えないのだ。
――これがいわゆる、パワーハラスメント。
イリスは自身の鬼のような所業に愕然とした。
「……ごめんなさい、ビクトル。私、あなたに酷いことばかりしているのね」
しゅんとうなだれたイリスが謝ると、ビクトルはきょとんとしている。
「はい? 何の話でしょうか?」
「嫌いな相手に上着を取られたんだもの。着たくないのは当然よね」
「は?」
「ごめんなさい。もうしないわ。上着も弁償するし、できるだけビクトルには近付かないように気を付ける」
「イリス様?」
「――何の話だ?」
いつの間にか隣にやって来たヘンリーが、不思議そうにしている。
「パワハラの謝罪よ」
「パワ……? よくわからないが、ビクトルに上着を返したなら、これを」
俯くイリスの肩に、ふわりと何かがかけられる。
見てみれば、艶やかな生地のストールだ。
全体に細やかな刺繍が施されているが、何となく見たことのある柄だ。
「これ、カロリーナのベールと同じ模様?」
「そう。カロリーナが作らせたものらしい。今は必要ないから、イリスが使っていいって」
面倒見の鬼は、ついに花嫁のストールまで持ち出して来た。
唖然とするイリスに構わず、ヘンリーはストールの端を持って結び始める。
軽くひねるのならわかるが、何故かストールは花のように美しく結ばれている。
手際が良すぎるし、仕組みがまったくわからない。
これも『大抵のことは一通りできる』の範囲なのだろうか。
本当に、モレノが怖すぎる。
「寒くないか?」
「大丈夫」
元々肌寒い程度だし、ストールのおかげでかなり温かくなった。
「それで、ビクトルに何を謝ったって?」
どうやらパワハラ問題を受け流してはくれないらしい。
「嫌いな相手に上着を奪われて着られるなんて、つらいことでしょう? だから」
「待て。嫌いって何だ?」
そうか。
ヘンリーは知らないのか。
確かに、わざわざ主人の婚約者が嫌いですなんて報告をするはずもない。
では、内緒にしておいた方が良かったのか。
重ね重ねビクトルには申し訳ないことをした。
だが、ここからヘンリーに隠し通せる技量など、イリスは持ち合わせていなかった。
「……ビクトルは私と一緒にいるのが、嫌みたいだったから」
「何?」
「――イリス様? それは何かの勘違いでは?」
ヘンリーの眉間に皺が寄るのとビクトルが声を上げるのは、ほぼ同時だった。
「でも、うちに呼んだ時、ダリアも一緒にいてくれって。私と一緒にならないように、必死だったじゃない」
「あ、あれは、そういう意味ではありません!」
「じゃあ、ダリアと一緒にいたかっただけ?」
「そういう意味でもありません。単に、イリス様と私の二人きりにならないようにと」
「……やっぱり、私と一緒が嫌なんじゃない」
「ですから、そういうことではなく。主人の婚約者と部屋に二人きりになるのを喜ぶ従者が、どこにいますか」
ビクトルが何やら必死に訴えている。
「それは、私が嫌なわけじゃないということ?」
「もちろんです」
「ビクトルは私のこと、好き?」
「は――うえっ? ほわっ! ご、誤解です! 普通です!」
ビクトルはイリスの隣を見ると、顔色を変えて妙な声を上げ始めた。
「普通。……普通に嫌じゃないのね?」
「も、もちろんです! だから、お許しください!」
何を許すのかよくわからないが、嫌われているわけではないというのなら安心だ。
「そう。良かった」
「――それで。何でビクトルを家に呼んで、部屋に二人きりなんてことになるんだ?」
「それは、ビクトルに聞きたいことが……」
答えながら、何故か不穏な気配を感じて隣を見上げると、ヘンリーが顔だけは微笑んでいた。
「何を聞きたいんだ?」
「え? いや、その」
「言えないこと?」
「――ヘンリー様の好きなものを聞かれましたっ!」
妙な圧に耐えかねたらしいビクトルが、あっさりとイリスの秘密を売り飛ばした。
「俺の好きなもの?」
「他にも、気に入っているもの、愛着のあるもの、大切なものを聞かれましたっ!」
「……それで?」
「すべてイリス様ですとお答えしましたっ!」
「ちょっと、ビクトル!」
どこまでも無制限に情報が漏れていくので、イリスが慌てて窘めるが、すでに遅い。
「それだけ?」
「ヘンリー様の弱点も聞かれましたので、それもイリス様だとお答えしましたっ!」
「ビクトル!」
あれはヘンリー除け製作のための、内緒の情報収集だったのに、何てことをばらしてくれるのだ。
既にヘンリー除けはその存在がばれている。
となれば、イリスが何故そんなことを聞いたのかなど、すぐにわかるはず。
恐る恐るヘンリーを見上げると、笑顔がイリスに向けられていた。
「あの。ええと」
「――イリス。俺の好きなものが知りたいのなら、じっくりと教えてやる。だから、内緒で他の男と二人きりなんて、駄目だぞ?」
じっくりって何だと聞きたいが、笑顔の圧が凄くて何も言えない。
とりあえずうなずくと、ヘンリーからの謎の圧が弱まった。
「……本当に勘弁してくださいよ。もう式が始まりますから、移動してください」
ぐったりと疲れ切った様子のビクトルに従い、イリスも控室を出た。
活動報告で少しずつ今後の予定をお伝えしています。
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