上着に嫉妬したそうです
当然のように話している二人を見て、ふと疑問が湧いてきた。
「あの。……何故、陛下が助けに来てくださったのですか?」
王家直属の諜報機関であるモレノ侯爵家の次期当主で、仕事上近しいとはいえ、フィデルとヘンリーは国王と臣下だ。
今日この場にいるのはシーロの結婚式に参列するためだとしても、わざわざ危険な目に遭ってまでヘンリーを助ける必要はないはずだ。
だが、フィデルは目を丸くしてイリスを見ている。
「……そうか。まだ婚儀を終えていないから、君は知らないのか」
よくわからないが、この口振りではフィデルがヘンリーを助けに来るのにはちゃんとした理由があるようだ。
「私が来たのは、モレノがただの臣下ではないからだ」
「忠臣、ということですか?」
重要な役割だから、いなくては困るのだろうか。
それにしたって、国王が自ら来る必要はない気がする。
大体、ヘンリーと一緒だったから何となく受け流していたが、国王なのに剣を振るうってどういうことだろう。
しかも、余裕のある態度からして、結構強い気がするのだが。
「まあ、それもあるが、ある意味それ以上だ。モレノがいなければ、王家は滅びると言っていいからね」
不穏な上に意味がわからない言葉に、イリスの困惑は深まるばかりだ。
「それは、どういうことでしょうか」
その様子を見たフィデルが、口元を綻ばせる。
「モレノの次期当主で『モレノの毒』の継承者であるヘンリーと、その伴侶であり『毒の鞘』となるべき君を害する者を、許すわけにはいかない。かつてルシオに『毒』の使用を許可したのは、それが理由だ。……何にしても、詳しくはヘンリーに聞くんだね」
結局は、ヘンリーに聞くしかないらしい。
だが、果たして聞いたからといって教えてもらえるのかは、謎である。
モレノにはモレノの色々な事情があって、イリスには言えないことが多そうだし、別に無理に聞く気もない。
モレノは王家と凄く縁があるらしい、というのがイリスの感想だ。
「それにしても、酷い格好だな。着替えはあるのか?」
フィデルの言葉にヘンリーが視線を向けると、ビクトルが礼を返す。
「ヘンリー様の衣装は用意してあります。湯浴みできるよう準備もしてありますので、あとは湯を張るだけです」
さらっと答えているが、ここは教会なのだが。
どこに湯を用意するのだろう。
「では、君は先に行って用意してくれ」
「かしこまりました」
フィデルに礼をすると、ビクトルの姿は扉の外に消えて行った。
「私も一休みするとしよう。それじゃ、ヘンリー、イリス嬢、また式で会おう」
爽やかに手を振ると、フィデルもまた扉の外に消えて行く。
教会の中に残っているのは、イリスとヘンリーと靴二足だ。
溶けた水で床を濡らしている氷柱をぼうっと見ていると、ヘンリーがイリスの手を取った。
「……心配、かけた?」
もちろん心配だったので、うなずく。
すると、それを見たヘンリーはイリスをそっと抱きしめた。
「ごめん。シーロ様とイリスに執着しているのはわかっていたから、婚儀までに片付けたかったんだ。証拠はかなり集まっていたけど、誤魔化すのが尋常じゃない腕前で、てこずった」
ヘンリーがてこずるなんて、マルセロとクララには才能があるのかもしれない。
まあ、誤魔化す才能なんて、あまり褒められたものではないが。
「ちょうどちょっかいを出されたから、手っ取り早く捕まってみたんだが……心配だったよな。ごめん」
「……痛い?」
イリスが頬の傷に触れると、ヘンリーは何故か笑った。
「無痛とはいかないけれど、大したことはない。稽古でもっと怪我することもあるしな。マルセロはろくに体を動かしていないんだろう。蹴り一つとっても、大したことがない。どうせ蹴るなら、効率の良い場所を蹴ればいいのに」
あれ。
何だか、怖いことを言い出した。
心が引けば体も引くらしく、イリスは少しヘンリーから体を離した。
「まだ、寒いか?」
「少しだけ」
寒くないと言えば嘘になるが、今までの震えがくる寒さに比べれば問題なく我慢できる。
やはり、上着を着ていたのは大きい。
……そう言えば、ビクトルは出て行ってしまったが、いつ上着を返せばいいのだろう。
でも、今これを脱いだら寒気が倍増しそうで、ちょっと怖い。
思わず自分を抱きしめる形で上着を握ってしまう。
ふと見てみると、何故かヘンリーの表情が曇っていた。
「何? どうかしたの?」
「……ビクトルの上着を大事そうに抱えているから」
ヘンリーの言葉がすぐには理解できず、イリスは目を瞬かせた。
「え? だって、魔法を使って氷を出すと毎回寒くなるから。事前に上着を着たらいいかと思っただけで」
「わかっている。でも、ビクトルの服を着ているのは、見ていて面白くない」
「じゃあ、シーロ様のならいいの? でも、花婿の衣装を剥ぎ取るわけにもいかないし。カロリーナは上着なんてないし。花嫁だし」
「だから、わかっている。……俺が勝手に嫉妬しているだけだ」
「嫉妬、って」
そんな風に言われてしまったら、何だか意識してしまう。
恥ずかしいから、やめてほしい。
「本当は俺の上着と交換したいくらいだけど、だいぶ汚れたからな」
確かに、地面に転がされでもしたのか、土埃のようなものが付着している。
「髪飾り、つけてくれたんだな。似合っている」
「うん。ありがとう。今度は壊さなかったわ!」
得意気に胸を張ると、ヘンリーが苦笑している。
「偉い偉い。……まあ、そうそう壊せないけどな」
「え?」
それはどういう意味だろう。
もの凄く頑丈にしてあるとか、宝石が落ちないようにガチガチに固めてあるのだろうか。
「何にしても、とりあえずは急いで支度をしないと。婚儀が始まる。……また後で、話をしよう」
ヘンリーはそう言って、イリスの頭を優しく撫でた。