靴が二足、残りました
美しい顔を歪ませて叫ばれる言葉は、この『碧眼の乙女』の世界の真理だ。
確かに、イリスの末路は死だった。
ファンディスクでさえも、結局は死ぬ。
知らず、イリスは微笑んだ。
「……だから、何? あなたの都合のために、死んでなんかあげない。戦って、絶対に生き延びてやるんだから」
『碧眼の乙女』との戦いを思い出して、涙が浮かびそうになる。
ヒロインであるクララには、絶対にわからない恐怖。
ヒロインは、どんな道をたどったとしても幸せになれる。
何を選んでも死ぬしかなかった悪役令嬢イリスとは、次元が違う存在なのだから。
同じヒロインでも、リリアナは自分で自分の幸せを勝ち取ろうと頑張っていた。
思考も方法も多少アレではあったが、努力はしていた。
でもクララは他人を使って陥れるばかりで、自分の力で相手に向かっていない。
そんなずるい人に、絶対に負けない。
いつの間にか隣に来ていたヘンリーに、そっと肩を抱かれる。
面倒見の鬼は、タイミングが悪い。
今そんなことをされたら、泣きそうになるではないか。
更にカロリーナが頭を撫でるものだから、ますます泣きそうだ。
モレノ姉弟の連携攻撃が強力すぎる。
負けるものかと涙を堪えていると、フィデルがため息をついた。
「そういうのは、世迷言と言うんだ。……マルセロ・アコスタ、クララ・アコスタ。今までの罪に加えて今回の騒動や、それまでのアラーナ伯爵令嬢への執拗な関与、更にアコスタ侯爵家の財を勝手に使用した罪も加わるぞ。下っ端とはいえ教会関係者にも手を出しているようだから、そちらも追加だな」
「それは」
マルセロの顔がさっと青くなっていく。
「アコスタ侯爵は君達を切り捨てることにしたようだ。まあ、跡継ぎでもない息子が再三の注意を無視し、横領の末に国王に逆らって義妹を連れ出し、義妹と共に他家の令嬢と令息を襲い、王弟である公爵の婚姻の邪魔をするとなれば、擁護する隙もない。賢明な判断だな」
「――そんな」
マルセロが呆然と口を開けているが、それはつまり、勘当ということだろうか。
「詳しくは、また後日ゆっくりと話そう。……連れていけ」
いつの間にかやって来た近衛騎士と思しき男性達が、転がる男を引きずって連れ出していく。
クララとマルセロの二人も腕を掴んで連行しようとするが、靴と床が凍結しているせいで動かすことができない。
騎士が懸命に二人を引っ張る様は、『大きなかぶ』の童話を想起させた。
イリスは心の中で『うんとこしょ、どっこいしょ』と掛け声をかけて応援した。
それでも靴は床から離れない。
どうにもならない様子を見かねたフィデルが、イリスに視線を向けた。
「イリス嬢。あれは、どうにかできるのか?」
「え、あの。……凍結の解除は、できないです」
何だか申し訳なくなり、後半は声が小さくなってしまう。
「それじゃ、仕方ないな」
フィデルに促され、近衛騎士は靴を脱いだ状態の二人を連行して行った。
後に残されているのは、溶けかけの氷柱と、並んで置いてある靴が二足。
……駄目だ、何だか絵面が酷いし滑稽だ。
やはり、凍結の解除を早く習得しなければいけない、とイリスは痛感した。
「シーロと花嫁は支度と打ち合わせがあるだろう。行きなさい」
「はい。ありがとうございます、陛下」
「じゃあ、先に行っているよ」
二人が教会を出ていくと、残されたのはイリスとヘンリー、ビクトルとフィデル、それから靴だ。
どうしても気になって靴を見ていると、自分の吐息がまだ白いことに気が付く。
それを見たことで寒さを感じてしまい、小さく身震いした。
「大丈夫か?」
ヘンリーが心配そうに覗きこんできたので、うなずき返す。
「寒いけど、上着を事前に着たから。だいぶいいわ」
何度か魔法を使っては寒気に悩まされ、熱を出している。
そこから学んで冷える前に温かくしたのだが、どうやら正解だったようだ。
だが、何故かヘンリーの表情は曇っている。
「……どうしたの? それに、ヘンリーの方が大丈夫なの?」
少なくとも縛られて、転がされて、蹴られて、殴られている。
イリスよりもよほどつらいのではないだろうか。
血のにじむ頬にそっと手を伸ばすと、イリスの手を包み込むようにヘンリーの手が重ねられた。
「こんなの、何でもない。それよりも、イリスに無理をさせたことの方がつらい」
どうやら、今日も無事に面倒見の鬼は面倒見をこじらせているようだ。
誰がどう見てもヘンリーの方が大変なのだから、イリスのことは心配しなくてもいいのだが。
「……少しは、役に立ったかしら?」
余計なことだっただろうかと気落ちしていると、ぽんぽんと頭を撫でられる。
「うん。イリスが出てくれたおかげで、あいつらも陛下の前で戯言を吐いてくれたから。話が早かった」
「本当?」
少しでも役に立てたのかと嬉しくなってヘンリーを見つめると、困ったように眉を下げた。
「うん。でも、危ないからもうしないでくれ」
「イリス嬢がステンドグラスを割ってくれたおかげで早々に見つけられたし、十分に役に立っているよ。だが、君に何かあれば面倒なことになる。ヘンリーの言う通り、自重してほしいね」
フィデルに褒められつつ、たしなめられたが、面倒なこととは何だろう。
「それにしても。おまえが下手を打つとは珍しいな、ヘンリー」
「お手数をおかけしました」
「まあ、私が来なくてもどうにかしたのだろうが。……わざと捕まったんだろう?」
「はい」
衝撃の言葉に、イリスは思わずヘンリーを見上げる。
「イリスのことで話があると誘われまして。せっかくなので、捕らわれたふりをして動向を探ろうかと。最近は特にイリスへの攻撃が増えたのと、何せ用心深かったので、手っ取り早く。……お騒がせ致しました」
頭を下げるヘンリーに、フィデルは肩を竦める。
「そうだろうとは思ったが、まあ万が一を考えて来てみたよ。それにしても、報告以上に妄想が酷い連中だな。あれは、更生は到底見込めないな」
「でしょうね」