塩がたっぷり、です
「いよいよ明後日は、カロリーナの結婚式ね」
庭の椅子に座り、ダリアが紅茶を淹れるのを眺めながら、ぽつりと呟く。
大切な友人と、お世話になった恩人が結婚するなんて、こんなにおめでたいことはない。
容姿の整った二人なので、きっと輝くような花嫁と花婿になるのだろう。
結婚式が今から楽しみで仕方がなかった。
「お二人はお嬢様の、義理のお兄様とお姉様になるのですね」
「うん。何だか不思議ね」
そもそも、二人の出会い自体が偶然とも運命とも言えるものだ。
カロリーナが『碧眼の乙女』から逃避し、シーロが隣国に匿われていなければ、結ばれることはなかったのかもしれない。
『碧眼の乙女』が二人を巡り合わせた、と言ってもいいだろう。
その流れで言えば、イリスだって『碧眼の乙女』と戦うために協力を依頼したから、ヘンリーと出会っている。
カロリーナの弟である以上は、いずれ顔を合わせたのかもしれない。
でも、たぶん挨拶をするくらいで、親しくなることはなかったと思う。
イリスとヘンリーもまた『碧眼の乙女』によって巡り合ったと言えるのだ。
「……何でも、嫌なことだけではないのかもしれないわね」
「あら。どうかなさいましたか?」
「ヘンリーと会ったのも、ひとつの縁なのかしらと思って」
イリスが呟くとダリアの手が止まり、目を瞠っている。
「……お嬢様から、そんな言葉を聞ける日が来るとは」
「何? 大袈裟じゃない?」
「いいえ。すっかり残念に染まってしまったと思いましたが、なけなしの乙女心が生息しているとわかり、安心いたしました。……出会いが運命だった、なんて。ヘンリー様がお聞きになったら、さぞ喜ばれるでしょうね」
「――ちょっと待って。何かおかしいわ」
イリスは『縁』としか言っていない。
出会いは運命だなんて、恐ろしく乙女な変換をされているではないか。
「いえいえ。恥ずかしがらなくても、よろしいのですよ」
「違うわ。恥ずかしいわけじゃなくて、訂正したいだけよ」
「わかりました。お二人は運命の赤い糸で結ばれ、出会ったのですね」
「悪化しているわ。糖度がおかしいわ。大体、赤い糸って何よ。せめて残念な紐にしてよ」
「何を今さら。既に水飴を煮詰めた泥沼状態ではありませんか」
「酷いわ。勝手に人をべたついた沼に落とさないで。もっと水と塩を足してちょうだい」
「塩。……なるほど。塩を一つまみ入れることで甘みが引き立つという、あれですね?」
したり顔のダリアが、憎らしく見えてきた。
「引き立てないわ、引きずり下ろすの。死海の底に沈めるのよ」
「……死海とは、何でしょうか?」
そうか、この世界に死海はない。
どうにかダリアにも伝わるように説明しなくては。
「ええと、塩がたっぷりの湖で」
湖……だった、はずだ。
たぶん。
「塩がたっぷり、ですか」
「塩がたっぷり、よ」
「……何の話をしているんだ?」
「――きゃああ!」
突然声をかけられて、悲鳴と共に肩が震える。
声で誰なのかはわかったが、びっくりするのは仕方がない。
「ごめん。そんなに驚くとは」
「――わ、私だって一応女子よ。盗み聞ぎはどうかと思うわ」
「盗み聞きって……。何だか塩がどうこう言っていたが。また妙なクッキーでも作るのか?」
「違うわ。水飴の沼を死海の底に沈めようとしただけよ」
「……何を言っているのかわからないが、クッキーなら今度はチョコ入りにしてくれ」
ヘンリーはイリスの向かいに座ると、ダリアの淹れた紅茶を受け取る。
さらっとおねだりされたことに気付いたイリスの頬は、ゆっくりと熱を持ち始めた。
それはイリスはヘンリーのために作るという前提であり、それを食べたいという要望であり。
……クッキーとは、なんと恥ずかしい食べ物なのか。
イリスは愕然とした。
「作らないわよ。ヘンリーは毒クッキーでも食べていなさいよ」
「あれは祭りの時期だけのものだ。大体、普段からあんなものを食べていたら、舌がいかれる。……それとも、イリスが味をつけてくれるのか?」
「え?」
砂糖でも振りかけろという意味かと思ったのだが、ふとヘンリー除けクッキーを食べさせた時のことを思い出す。
あの時ヘンリーは、「味がない」というクッキーをイリスの唇に押し当てて、食べたのだ。
その上、「美味しい」などと言い放った。
つまり、イリスが味をつけるというのは……そういうことか。
イリスの顔が一気に赤く染まる。
「――し、しないわよ。絶対! 味が欲しいのなら、個人的に砂糖でも塩でも振りかけてよ」
「そんなものよりも、アレの方がいいんだけどな」
ヘンリーの笑顔からすると、これはわざとだ、確信犯だ。
相手の策に乗ってはいけない。
平常心で対応しなければ、勝ち目はない。
「そ、そんなことよりも。何の用?」
「用がないと会いに来たら駄目なのか?」
「駄目よ」
勢いでそう言うと、ヘンリーはふうん、と何やら考えている。
「じゃあ、愛しい婚約者に会いたいから来た。――これでいい?」