父の仕事
「アラーナ伯爵。私は初心者であるお嬢様の講義を、受け負ったはずですが」
「そうだよ」
「これを見ても、そう言えますか」
講師はテーブルに鎮座する氷の塊を指差すが、プラシドの表情は変わらず穏やかだ。
「綺麗に凍っているね。夏にこうして飾ったら、涼し気でいいかもしれないな」
「アラーナ伯爵。いえ、校長! ふざけないでください!」
校長とは何のことだろう。
よくわからずに見ていると、プラシドが小さなため息をついた。
「ふざけていないよ。イリスは学園で学んだだけで、あとは独学だ」
「校長が教育したのでは?」
「まず、イリスはそれを知らないから。無理だね」
「……あの、校長って何のことですか?」
講師はイリスとプラシドを交互に見比べると、がっくりと肩を落とす。
次いで紅茶をぐいぐいと飲むと、大きなため息をついた。
「……ともかく、お嬢様にここで教えるようなことはありません。初心者に教えるのは、魔力を感じること、発現させること、イメージを膨らませること、そしてコントロールの後、実際に魔法を使うこと。既にすべてできているどころか――かなり優秀です」
まさか、褒められるとは。
残念生活も長くなり、久しぶりの普通の褒め言葉に何だか居心地の悪さを感じる。
せめて『残念ながら』という枕詞でも付けてもらえれば、少しは落ち着くのだが。
意外な展開にイリスは驚くが、プラシドの表情は変わらない。
「しかも、独学でこれとは。……講師を招いて基本を学ぶ段階ではありません。宮廷学校への入学をお勧めします」
「宮廷学校?」
「それすら知らないのですか」
呆れたと言わんばかりに、講師はうなだれた。
「宮廷学校は名前の通り、国が管理する学校です。貴族が一年間通う学園と違って、限られた者しか入れません。騎士科と魔法科がありますが、九割の生徒は騎士科に所属していて、騎士となるべく学んでいます。魔法科は一割程度の人数で、魔法の才能がある者の教育と、研究のための機関です。というか、勝手に研究したり、勝手に学んだりしています」
勝手って何だろうとは思うが、とりあえずは黙って話を聞く。
「どちらも学園卒業後に試験を受けるのですが、騎士科は卒業後すぐに入るのがほとんどで、野郎の巣窟です。対して魔法科は、かなり年齢の幅が広いですね」
「へえ。そんなものがあったんですね」
感心していると、講師は再び肩を落とす。
「あったも何も。そこにいるプラシド・アラーナ伯爵こそが、魔法科の校長です」
講師が何を言ったのかすぐには理解できず、イリスは暫しぽかんと口を開けたままプラシドを見つめた。
「……ええ? だって、お父様は宮廷の閑職についているとか何とか」
「閑職だよ。魔法科の子達は勝手に学んで研究しているから、私がすることなんてないしね」
プラシドは紅茶のおかわりをのんびりと飲むが、それを見た講師は眉を顰めている。
「百歩譲って魔法科の校長が閑職だとしても、あなたは宮廷学校の学長も兼任しているでしょう。暇なわけもなく、重要極まりない役職ですよ」
「騎士科の校長が頑張っているから、学長なんていてもいなくても変わらないよ」
にこにこと微笑むプラシドを見て何か諦めたらしい講師は、首を振ると立ち上がった。
「ともかく、お嬢様に教えることはありません。失礼致します」
講師はそう言うと、さっさと庭から出て行ってしまった。
残されたのは紅茶を飲むプラシドと、呆然としているイリスだけだ。
「……あの、お父様。今の話は本当ですか?」
「本当だよ。騎士科はむさくるしい野郎どもの巣窟だ。一人で近付いてはいけないよ」
「そこじゃありません。お父様が校長とか学長とかいう話です」
「まあ、一応。本当だね」
宮廷学校の学長で、魔法科の校長ということは。
「お父様も魔法を使えるのですか?」
「まあ、一応。程々にね」
絶対、程々じゃない気がする。
……ということは、イリスが魔法の講師を呼びたいと言った時点で、プラシドには自身が教える選択肢だってあったはずだ。
宮廷学校の話だって、初めて聞いた。
それをしないのは、イリスには才能がないと思っていたからか、嫁ぐ娘に魔法は要らないと思ったからか。
「……お父様。私、宮廷学校に入学したいのですが。どうすればいいのですか?」
「ええ? 入学したいのかい?」
「はい」
隙間の凍結マスターになるためには、独学では限界がある。
講師を呼んでも駄目だというのなら、その先に進むしかない。
反対するのかと思いきや、プラシドは紅茶を飲みながら何やら思案している。
「……まあ、仕方ないかな。入学には試験があるから、まずはそれを受けてみるといいよ」
「いいのですか?」
「講師を呼んでできることはなさそうだしね。学園と違って毎日通うものではないから、負担にもならないだろうし。……それに、イリスが宮廷学校に通うというのも、ちょっと嬉しいかな」
「嬉しい、ですか?」
「私がイサベルと出会ったのも、宮廷学校なんだよ」
目を細めるプラシドからは、イサベルへの愛情が溢れていて、見ている方が恥ずかしい。
「イリスの将来のためにも、いい機会かもしれないね」
試験はあるものの、入学できれば隙間の凍結マスターに一歩近付く。
「ありがとうございます、お父様」
イリスは嬉しくなって、プラシドに抱きついた。