回復が遅いようです
このお話は「残念の宝庫〜残念令嬢短編集〜」の「ヘンリーの夢路 不憫じゃないヘンリー」を読んだ後だと、より楽しめると思います。
「それで? 急に集まれなんて、何かあったんでしょう?」
「イリスのことで、と言っていましたね?」
「え? 私?」
四人で久しぶりのお茶会をするものだとばかり思っていたのだが、どういうことだろう。
「『碧眼の乙女』の記憶を取り戻した代償の話は、もう知っているわね? それで、代償にしたものが回復したわけだけど。皆、おおよそシナリオの範囲内で回復しているわ」
「そうなの?」
それは衝撃だ。
イリスは四作目のシナリオどころか、ファンディスクの頃にやっと回復し始めたし、未だに完璧とは言えない気がする。
「私だけ、遅いの?」
「そう。それでも少しずつは回復して成長は見られるからいいか、と思っていたんだけど。……ちょっと聞いてくれる」
そう言うと、カロリーナは先日のヘンリー除けクッキーの件を説明し始めた。
始めは普通に聞いていたのだが、ベアトリスは段々と悲し気に目を伏せ、ダニエラは堪えきれないという様子で笑い始めた。
「……それは、困りましたね」
「だから。惚気話は、もう少しマイルドにお願いって、言っているのに!」
ダニエラはお腹を押さえながら、何かと必死に戦っている。
それを見たベアトリスが、ため息をついた。
「イリスの羞恥心の回復具合が思わしくなく、残念も交えて更にややこしいことになっているのですね」
「そういうこと。厄介なことにヘンリーも抑制しなくなってきているから、更にややこしくて」
「お腹、お腹痛い!」
「……何の話なの?」
ため息を交わす年長者二人とお腹を抱えてもがく友人に、イリスもどうしたらいいのかわからない。
とりあえずダニエラの背中をさすりつつ、二人の会話に耳を澄ませた。
「ヘンリー君との接触自体を、避けているわけではないのですね?」
「たぶん、会うこと自体は問題ないのよ。この間も私の所に遊びに来たついでに、ヘンリーの所にケーキをおすそ分けに行ってたし」
ケーキをおすそ分けというと、『解放者』の儀式の後に帰ってきてから、ロールケーキを届けた時のことだろう。
あの時は徹夜続きだとかで、ヘンリーは見たこともないような酷い顔でよれよれだった。
それでもお茶に誘われたので、カロリーナの所に置いていたロールケーキを持ってヘンリーの部屋に戻って……。
そこまで思い出して、頬が熱を持ち始める。
部屋に戻ると居眠りをしていたヘンリーは、声をかけたイリスに突然キスした上に、自分の膝を叩いて「おいで」と言ったのだ。
イリスを猫か何かと勘違いしたのだろうか。
確かにあの時はひよこを模したドレスだったけれど、そういう問題ではない。
寝ぼけるにしても酷いし、正気ならなお酷い。
思い出しても恥ずかしくて、ダニエラの背をさする手にも力がこもる。
「痛い痛い、背中が痛い。お腹も痛い。助けてカロリーナ、惚気られて笑い死にしちゃう!」
「はいはい」
言うが早いか、カロリーナの拳がダニエラのお腹に向かうと、「ぐふ」という呻きと共にダニエラの動きが止まった。
「だ、大丈夫? ダニエラ」
テーブルに突っ伏したダニエラは、ゆっくりと顔を上げると、イリスの頭を撫でた。
「大丈夫よ。ちょっと夢のようなお花畑が見えただけよ」
「それ、たぶん見たらいけないやつよね」
ダニエラに紅茶のカップを手渡すと、再び背中をさする。
よくわからないが、以前にもこんなことがあったし、ダニエラがこうなった原因はイリスなのかもしれない。
「イリスは、ヘンリー君にケーキをわけてあげたかったのですね」
「だって。ロールケーキだったから、好きかと思って」
「あいつ、ロールケーキが好きだったの?」
「……いえ。確か、特にケーキが好きなわけではないって、言っていたわ」
アイナ・トレント伯爵令嬢がケーキを用意したという話をした時に、特に好きなわけではないと言っていた。
ということは、あの時のロールケーキもイリスの独りよがりで、別にいらなかったのかもしれない。
そう考えると、何だか少し寂しくなった。
「じゃあ、何でロールケーキが好きだと思ったの?」
復活したらしいダニエラに問われて、経緯を遡って考えてみる。
「モレノの領地に行った時に……魔法を使って冷えたから毛布でぐるぐる巻きにされて」
襲撃、と言いそうになったが、ベアトリスとダニエラに言っていいのかわからないのでやめておく。
「ぐるぐる巻き」
ダニエラが早速何かに食いついているが、気にせず続ける。
「ちょっと怪我したのを手当てしてもらったんだけど、その時に目の毒だって言われて」
「目の毒」
今度はベアトリスが復唱し、次いでダニエラと顔を見合わせている。
「その後、使用人の女性が目の毒は『見ると害になる』以外にも『見ると欲しくなるもの』って意味があると教えてくれて。だから、ロールケーキが好きなのかなって」
「……『だから』という接続詞が前後を接続していないけれど。どういう意味?」
「包帯をぐるぐる巻きにして、毛布でもぐるぐる巻きにされたし。ヘンリーはぐるぐる巻いているのが好きなのかと思ったの」
実際はケーキが特に好きではないらしいから、イリスの勘違いだったわけだが。
となると、単純に巻くこと自体が好きなのだろう。
「……そう言えば、この間はイリスとヘンリーの誕生日だったでしょう? どう過ごしたの?」
難しい顔で見つめ合っているベアトリスとダニエラに構わず、カロリーナがお菓子を勧めてくる。
公爵家のクッキーも久しぶりだが、やはり甘さ控えめで美味しい。
「花束を貰ったわ。でも、ヘンリーの誕生日を知ったのが前日で、プレゼントの用意が間に合わなくて。……だから、お手伝い券にしたんだけど、それも結局色々で。紅茶を淹れるのと変な顔でいいって言われたわ」
「……何それ」
ついにカロリーナまでもが眉間に皺を寄せると、三人が同時にため息をついた。