敵を知るところから始めます
一か八かで訪ねてみると、運良くカロリーナはモレノ邸にいた。
もうすぐ婚儀という時期に突然訪問するなんて迷惑だとは思うが、もう頼れるのはカロリーナだけなのだ。
「突然ごめんね。少し、お話しできるかしら? もちろん、忙しかったらいいんだけど」
カロリーナの周囲では、侍女達がバタバタと準備をしていた。
イリスが来たので一度その手は止まったが、気にせず続けるように伝えると、今度は静かに何やら作業をしている。
「この後シーロ様の所に行く予定だから、そんなに時間はとれないけれど。どうしたの? 何の話?」
忙しいだろうに、帰れとは言わないカロリーナの優しさに、何だか嬉しくなる。
つい先ほどビクトルに一緒にいるのも嫌だと言われたので、ありがたみが増しているのもあった。
カロリーナの優しさに感謝しつつ、速やかに用事を済ませて邪魔しないようにしなければいけない。
「ヘンリーの事なんだけど」
「何?」
「ええと。好きなものとか、聞きたくて」
それまで静かではあるが常に動き続けていた侍女とカロリーナの動きが止まった。
「――シーロ様に遅れる、場合によっては今日はもう行かないと連絡して」
「はい、カロリーナ様!」
元気な返事と共に、侍女の一人が走り去って行く。
「な、何? どういうことなの?」
ついさっきまでシーロの所に行くから時間がないと言っていたのに、意味がわからない。
大体、侯爵家の侍女が客の前でスカートを捲り上げて走り出すなんて、おかしすぎる。
訝しむイリスの肩に手を置くと、カロリーナが優しい笑みを浮かべた。
「いいのよ、イリス。さあ、お話しましょう。――お茶の用意をして」
「はい、カロリーナ様!」
またまた元気な返事と共に、侍女が扉を出ていく。
何が何だかわからないが、残された侍女もカロリーナも皆笑顔だ。
「シーロ様の所に行かなくて、いいの?」
「シーロ様は今日も明日も変わらずに、シーロ様よ。でも、今日のイリスはレアよ。逃すわけにはいかないわ」
「……何の話?」
「気にしないで。さあ、お話しましょう。聞きたいのは、ヘンリーの好きなもの?」
ソファーに腰かけながら問われたが、妙な迫力に圧されて少し困ってしまう。
「あ……うん、せっかくだから教えて」
『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』という言葉もあるし、まずは敵を正しく知るところから始めよう。
「好きなもの、ねえ。食べ物は特に苦手なものもないと思うけれど、逆に特別好きなものも思い当たらないわね」
苦手情報まで教えてくれるとは、何とありがたい。
カロリーナによると、どうやら食べ物は除外した方が良さそうだ。
「かといって、動物や虫も特に好きでも嫌いでもないし。怖い話に怯えることもないし。勉強も苦手分野はないし。剣術も体術もいかれているし。……こうしてみると、可愛げのない子ね」
カロリーナが不服そうに眉を顰めながら、考え込んでいる。
実姉から見ても苦手情報が集まらないとは、敵はかなり手強い。
「ビクトルにも聞いてみたんだけど、全然駄目。真面目に答えてくれないの」
その上、一緒にいたくないとまで言われたのだから、怒っていいのか悲しんだらいいのかわからない。
戻ってきた侍女が紅茶の用意をするのを見ながら、カロリーナが首を傾げる。
「何て言われたの?」
「好きなもの、気に入っているもの、手放せないもの、大切にしているもの……色々聞いても、全部『イリス様ですね』って言うのよ?」
「……ああ、うん。そうね」
ティーカップを手にしたカロリーナが何やらうなずいているが、イリスの不満が伝わっていないのだろう。
「しかも、弱点を聞いたらそれも『イリス様ですね』って言うの。ビクトル、それしか言わないのよ。『どんぐりと殻斗が仲良しなのは誰のおかげ?』って聞いても、『鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?』って聞いても、きっと『イリス様ですね』って言うのよ。真面目に相手してくれないの。酷い話よね」
イリスは一気にまくしたてると、紅茶を口にしてのどを潤す。
「次に会ったら『イリス様ですね』以外の答えを言わせてみせるんだから!」
手始めに『ヘンリーの命を脅かす人』なんてどうだろう。
体力的にも技術的にも、イリスではかすり傷一つ負わせることはできなさそうだから、これなら大丈夫な気がする。
不満をぶちまけて少しスッキリしたのだが、周りを見てみるとカロリーナと侍女達に何やら生温かい視線を向けられている気がする。
何故だろう。
何となく居心地が悪いので、話を変えてみよう。
「……それで、何かないかしら。ヘンリーが苦手なもの」
「好きなものじゃなくて?」
そう言えば、そういうことにしていたのだった。
うっかり設定を忘れかけている。
「ど、どちらでもいいの。好きなものがないなら、せめて苦手なものがわかれば参考になるから」
残念は油断するとイリスの背後に忍び寄っている。
冷や汗をかきながらフォローしてみるが、カロリーナは特に気にする様子もない。
カロリーナ自身はイリスの情報を売ったりしないだろうが、ヘンリーが勝手に情報収集するのはどうしようもないだろう。
できることなら、内緒にしておきたい。