ヘンリー除けが欲しいです
「……さすがに、限界だわ」
夜会の翌朝、イリスは大きなため息をついた。
ヘンリーの攻撃が衰えを知らないどころか、悪化の一途をたどっている。
もちろんリハビリをしているのだから、ある程度は理解できる。
だがそれにしたって、やっぱりちょっと酷いと思う。
このままではリハビリそのものを放棄したくなるのは目に見えている。
そして、それを提案したら更に面倒臭いことが起こりそうで怖い。
「どうにか、もう少し攻撃を弱められないかしら」
イリスはダリアの淹れる紅茶を眺めながら、腕を組んで考える。
「虫除けとか厄除けがあるんだから、ヘンリー除けがあってもいいんじゃないかしら」
思いつくままに口にすると、ダリアがため息をつきながら紅茶を差し出して来た。
「それは良くないものを近付けない、ということですよね? ヘンリー様には適用できないと思いますが」
「正確には、ヘンリーの無駄に困った攻撃除けよ。それに、ヘンリーごと除けられるなら、それが手っ取り早いわ」
「それを試みると、逆効果だと思いますよ」
「ダリアは攻撃されていないから平気なのよ。酷いのよ? リハビリを盾にしてくるのよ? まさに外道よ」
真剣に訴えているのに、ダリアは何故か目を細めながらうなずいている。
「そうですね。そうですね。ヘンリー様はお嬢様を大切になさっていますね」
「ちょっと、聞いていたの?」
「試しに聞いてみましょうか?」
「だから、簾ドレスでぐるぐる回転して、寄せ付けない予定だったの。ついでにビーズの鞭でびしばし連打するつもりで。それで、他の人で何度も練習してコツを掴んだんだけど、ヘンリーと踊る頃には体力が尽きちゃって、踊れなかったの」
「びしばし連打もどうかと思いますが……練習したのですか? 何度も?」
それまで真剣に聞いていなかったダリアの表情が、にわかに曇りだした。
「そうよ。何人もビーズの鞭の回転攻撃で、返り討ちにしてやったわ」
得意気に報告するが、ダリアは首を振る。
「いえ、鞭も返り討ちもどうでもいいのですが。……何人も他の男性と踊っていたのですね?」
「練習だもの。ヘンリー相手じゃおかしいでしょう?」
「それで、攻撃されたと仰るので?」
「帰りの馬車にふらついて上手くのぼれなかったら、勝手に抱き上げるし。回転のせいでビーズが当たった頬を撫でるのよ。早く良くなるおまじないとか言って……」
頬にキスされたと言いそうになって、慌てて止める。
さすがに、それを言うのは恥ずかしい。
「……ああ、頬やら額やら唇やらにキスでもされましたか」
「さ、されてない! 頬だけ!」
思わず反論して、言わなくてもいいことを口走ったことに後悔する。
だがダリアは恥ずかしがる様子など皆無で、何やらうなずいている。
「その状況で頬だけで済ませるとは。やはり、ヘンリー様はお嬢様を大切になさっていますね」
「何で? 何でそうなるの?」
恥ずかしいのを我慢して状況を理解してもらおうとしたのに、何故かダリアには上手く伝わっていない。
これも、イリスが残念なせいなのだろうか。
不満を抱えつつ、紅茶を飲む。
こうなったら、ダリアをあてにはできない。
自分でしっかりと対策を練らなければ。
「……ヘンリーが苦手なものを使って、適度な距離感でリハビリをするのはどうかしら」
「そうですね。そうですね」
完全に適当な返事のダリアが、紅茶のおかわりを注いでいる。
ダリアはヘンリーを買いかぶり過ぎだと思う。
この間だって、イリスに内緒でヘンリーからのドレスを用意していたし。
これでは、誰が主人なのかよくわからない。
「それで、ヘンリー様の苦手なものはご存知なのですか?」
「……わからないわ」
考えてはみるが、さっぱり思い当たらない。
となれば、調べるほかない。
「ヘンリーに聞くわけにはいかないし。一番近くで見ていて、色々知っていそうなのは、ビクトルかしら。……でも一人だけ呼び出すなんて、無理よね」
モレノ邸に張り込んでいれば、いずれチャンスがある気もするが、そんなことをしていたら先にヘンリーにばれてしまう。
考え込むイリスを見ていたダリアは、ティーポットをワゴンに置くと小さく息をついた。
「ビクトルとは、ヘンリー様の侍従のビクトル・ダビーノさんですよね?」
「うん。……あれ、知っているの? というか、ビクトルのフルネーム初めて聞いたわ」
直接会ったことはないような気もするが、イリスの知らぬ間に交流があったのだろうか。
よく考えれば双方の不在時の対応は彼等なのだから、意外と顔を合わせる機会はあったのかもしれない。
「ええ、少しばかり。……では、ビクトルさんを屋敷にお呼びすればよろしいのですね?」
「できるの? ヘンリーに見つからないように、よ?」
「それはあちらに頑張っていただくとして。他ならぬお嬢様のためです。私が、どうにか致します」
そう言うと、ダリアは何だか怖い笑顔を浮かべた。