短剣とお守りと指輪
「ねえ、シルビオ。学園にも持って行ける武器ってないかしら?」
いつも通りの剣の稽古を終えたシルビオは、冷たいお茶を飲む手を止めた。
「武器? 学園に? 何でそんな物が必要なんだい?」
シルビオの疑問はもっともだ。
今日も何故か参加しているヘンリーだって、訝し気な顔をしている。
「生きるための戦いです」
イリスは背筋を伸ばして、ハッキリと答える。
そうだ。
これは、戦いなのだ。
黙って死んでやるわけにはいかない。
そのために、ずっと準備をしてきたのだから。
「学園に、そんな危険があるの?」
「一番は春の舞踏会が危ないんだけど。万が一を考えて、持っておきたいの。ボリュームアップしたお腹周りになら隠せるし」
「でも、剣じゃ長さがあるしなあ」
「それ以前に、普通の武器じゃイリスはまだ扱えないだろう」
ヘンリーの正確な指摘に、イリスは言葉に詰まる。
「……だから、これにしておけ」
ヘンリーはそう言うと、小ぶりの短剣をイリスに手渡した。
「ヘンリー、これは?」
「カロリーナから届いたんだ。友人から連絡があって、急いで用意したって。魔法が込められていて、魔力のある人間なら軽くなるから扱いやすいらしい」
ダニエラの連絡が届いたのか。
わざわざそんなものを用意してくれるなんて、本当にありがたい。
友人の心遣いに、胸の奥がじんと熱くなる。
「カロリーナに、お礼の手紙を書かなきゃ」
「隣国から急いで武器を送るほど、危険があるってことか」
シルビオは眉間に皺を寄せる。
「詳しくは言えないけれど……命を狙われるかもしれないの」
正確に言えば、投獄の末に殺されることが決まっているのだが、さすがにそれは言えない。
「じゃあ、これを貸してあげるよ」
シルビオはそう言って、首にかけたネックレスを外す。
青い石のついた、綺麗なネックレスだ。
「これは何? お守りか何か?」
「そんなところ」
「シルビオ、それは……」
ヘンリーが何か言いかけるが、シルビオの視線で押し黙る。
「今の俺は使うこともないし、イリスの方が必要だろう」
「お守り、ありがとう。せっかくだから借りるわ」
この戦いを生き延びるためなら、神頼みでも、猫の手でも、何でも良い。
「剣はアレかもしれないけれど、鍛錬していないよりはマシだと思うし。魔法の方は何とかいけると思うから、頑張るわ」
こうして気にかけてもらえるだけでも、自分は幸せ者だ。
「なら、これも無駄にならないな」
そう言って、ヘンリーはイリスの手に何かを乗せる。
見れば、紫色の石がついた綺麗な指輪だった。
「おいおい、指輪とは気が早いな」
「い、急ぎで作ったから、指輪しかちょうど良い物がなかったんだ」
ニヤニヤと笑うシルビオに、ヘンリーが慌てて説明している。
「この石は魔力制御の手助けになる。多少、増幅する効果もあるからちょうど良いだろう」
魔力を制御して増幅するなど、イリスはそんな石を見たことも聞いたこともない。
「価値が凄そうで値段が怖いんだけど。……とりあえず、分割払いでお願い」
金策を検討し始めたイリスに、ヘンリーはため息をつく。
「金はとらない。……必ず身に着けてくれ」
「いいの? ありがとう」
カロリーナの友人というだけで、こんなにしてもらえるなんて、本当に幸せ者だ。
「右手は……剣を握るのにちょっと邪魔ね」
利き手には血豆が多く、手袋越しでも指輪に当たって痛い。
左手の指に一本ずつ合わせ、ちょうど良いサイズだった薬指にはめる。
「おまえ、それ……」
「何?」
ヘンリーが珍しく動揺しているようだが、何だろう。
そういえば、この世界も左手の薬指に指輪をすることには意味があった。
それを気にしているのだろうか。
「この指がぴったりなんだけど、駄目?」
姉の友人を案じて贈っただけの指輪。
それを勘違いされかねない指にはめられるのは、迷惑ということか。
「だ、駄目じゃないけど。イリスはいいのか、その」
「誰も残念な私の指なんて気にしないわ。それに、剣を持つのに邪魔なのも困るから、左手ならどの指でもいいの」
今は生き延びることが先決だ。
何だかヘンリーは肩を落としているし、シルビオは笑いを噛み殺している。
どうやら、いつのまにか残念ポイントを稼いだようだ。
残念は、奥が深い。
「お、お嬢様、その指輪はどうされたんですか!」
ヘンリーとシルビオが帰って、イリスはいつも通り汗を流そうとしていた。
ドレスならいざ知らず、ズボンとシャツなのだからダリアの助けがなくても着脱できる。
最初はブツブツ言っていたダリアもすっかり慣れて、入浴後のタオルの用意をするために浴室を離れていた。
ふわふわのタオルをイリスに手渡そうとして、ダリアの視線がイリスの指に釘付けになった。
「ヘンリーがくれたの」
「ま、まあ! そうですかそうですか。そうなんですね」
ダリアの過剰な反応に、どうやら何か勘違いしているらしいとイリスは気付く。
「お守りのようなものだから、深い意味はないわよ?」
「でも、左手の薬指にわざわざはめていらっしゃるではありませんか」
「右手じゃ邪魔だし、左手だとこの指がぴったりなのよ」
「……お嬢様、左手の薬指に指輪をする意味をご存知ないのですか?」
「婚約指輪や結婚指輪を、この指にするんでしょう? でも、それ以外は駄目なの?」
「左手の薬指は、昔から直接心臓につながっているとされています。命に一番近い指として清らかな誓いの意味があるんですよ」
「へえ、そうなの。じゃあ、外した方がいいのかしら? でも、他の指だとサイズが微妙なのよね」
「……お嬢様、ヘンリー様を好いていらっしゃるんですよね?」
悩むイリスを、ダリアが訝し気に窺う。
まずい。
そう言えば、イリスはヘンリーに夢中な設定だった。
「そ、そうそう! 嬉しいからつい、変なこと言っちゃったわ!」
取り繕った笑みを浮かべながら後退していくイリスに、ダリアがため息をつく。
「以前、お嬢様がジュースまみれでお帰りになった時にも、ヘンリー様は大層心配なさっていましたよ。
レイナルド様との無理な婚約も白紙にしてくださいましたし、お嬢様が珍妙なドレスを着ても気にしていない。頼りがいのある優しい方ではありませんか。もう少しお嬢様も素直にお話をしませんと」
「はあい」
浴室の扉を閉めると、イリスは大きく息を吐いた。
「…素直、と言われてもねえ。『碧眼の乙女』のことを相談するわけにはいかないし」
そもそも、十二分に迷惑をかけているのだから、これ以上は申し訳ない。
ただでさえ、面倒見の良いヘンリーのことだ。
相談したら最後、どこまでも世話を焼かれそうで怖い。
シナリオのイリスは、断罪の末に牢で謎の死を迎える。
戦いの結果がどうなるかわからない以上、できるだけ誰も巻き込みたくない。
指輪も、ネックレスも、短剣も、イリスのために用意してくれる心が嬉しい。
だからこそ、自分の力で切り抜けなければ。
イリスは小さく拳を握って自分を鼓舞した。