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番外編 ヘンリーの決意

「――では、『解放者』イリス。前へ」


 ロベルトに促され、イリスが動く。

 白のシンプルなロングワンピースは上半身は体に沿った作りで、腰から下は豊かなドレープが波打つ。

 動くたびに紫色のマントから白い長手袋が覗いている。

 艶やかな黒髪には毒草の蔦が巻きつけられ、ほとんど化粧をしていないのにその唇は瑞々しく赤い。

 神々しいと言っても良いその姿に、ヘンリーも思わず見惚れてしまう。


 この儀式は、領民にとっては『短剣を地面に刺す』イベントであり、『解放者』はその主役だ。

 ドロレスが務めることが多いとはいえ、最近ではカロリーナや他のモレノの女性も務めている。

 血縁が必須というわけではないが、大抵は血縁者が選ばれる。

 何より、説明に手間がかかるからだ。



 何故、短剣に血をつけて地面に刺すのか。

 継承者の血が必要なのは何故か。

『解放者』は、何を解放しているのか。



 この祭りと儀式の根幹にかかわる部分は、モレノ家の人間しか知らない。

 こういうものだと適当に誤魔化すことはできるが、そこから変に探られても面倒だ。

 だから直接の血縁者か、その伴侶を選ぶことが多い。

 それでも、負担が大きいことに変わりはなく、ドロレスばかりが連続することで疲弊しているのは明らかだった。

 かといって血縁でもあまりにも適性のない者が務めれば、そもそもの儀式の意味がなくなってしまう。


 イリスは広場中央に立っているが、周囲の人間はその姿に酔うように熱心に見つめている。

『解放者』は白いロングワンピースに紫色のマントを着るのだが、その見た目と場の雰囲気もあり、魅力が倍増するらしい。

 おかげで、『解放者』を務めた女性は、その後男性女性問わず人気になる。

 カロリーナの時などは元の美貌も相まって、結構な騒ぎになった。


 となれば、イリスがどうなるかなど、目に見えている。

 衣装を着ていない昨日の時点で、既に大勢に囲まれているのを確認済だ。

 今日も馬車から出た瞬間、歓声どころか悲鳴まで上がっていた。


 あの時、イリスは何だか元気がない様子だった。

 やはり、疲労が出ているのかもしれない。

 ヘンリーは小さくため息をついた。



 盛り上がる領民は知らないだろうが、『解放者』は祭りのお飾りではない。

 過去に務めた女性の中には、剣を刺した瞬間に倒れてしまった者もいると聞いた。

 それでなくとも、大抵は数日寝込んでしまう。

 ただでさえイリスは体力がないのだから、心配で仕方がない。


 正式に『毒の鞘』になったのならともかく、イリスはまだ婚約者だ。

 今回は見送っても良いのではないかとロベルトとドロレスにも伝えたが、却下された。

 現在唯一の『毒の鞘』であるドロレスが、候補のイリスを指名したのだから、よほどの理由がなければ覆せない。


 いっそイリスに断ってもらえれば何とかなるのかもしれない。

 だが、事情を詳しく説明できない以上それも難しい。

 それに、ヘンリーが話すよりも先にイリスに手紙が届いていた。

 祭りに誘われたと楽しそうなイリスに、事情の説明もなしに「行くな」と言うわけにもいかない。

 もちろん、それを見越して連絡したのだろう。


 当主であるコンラドにも相談してはみたが、この祭りに関しては継承者と『毒の鞘』の意見が優先される。

 やはり、どうしようもなかった。


 再びため息をつくと、視線をイリスに戻す。

 程度の差はあれど、イリスが体調を崩すのは確定したようなものだ。

 あとは、儀式の最中に倒れないことを祈るばかりである。

 もしもの時には、すぐに駆け付けなければと思うと、自然と緊張した。

 この祭りで緊張するなど、いつぶりだろうか。



「――解放せよ」



 ロベルトの声に従い、イリスが短剣を鞘から取り出すと、大きな歓声があがる。

 イリスは一連の動作をそつなくこなしており、今のところは顔色も悪くない。

 紫色のモザイクタイルに囲まれた円の中央、むき出しの地面にイリスが短剣を突き立てる。

 その瞬間、どこからともなく冷たい風が吹き抜けた。


 圧倒的な勢いで、何かが押し寄せる。

 一気に肺に空気が流れ込んでくる。

 余すところなく隅々にまで、冷たく清涼な風が満ちていく。


 呼吸が楽になり、まるで冷水を浴びたかのように、目が冴えていく。

 それと同時に、担いだ荷をおろされ、ふわりと雲に乗ったかのような感覚が訪れる。

 急激な変化に、思わず自身の体を見てしまう。

 これほど体が軽くなったことなど、今までになかった。


「……どうかしたの?」

 いつの間にか隣に戻っていたイリスが、そっと小声で訊ねてくる。

「……体が軽い」

 一言で言えばそうなるが、とてもそれだけでは表せない変化が起きていた。


 何よりも、――『モレノの毒』が凪いでいる。


 それに気付いたヘンリーは、すぐにイリスに視線を戻した。

「イリス、大丈夫か?」

 まだ儀式の途中なので小声のせいか、イリスは気付かない。

「――おい、聞いているのか、イリス」


「え? 何?」

 ようやく気付いてくれたが、話を聞いていなかったらしい。

 あるいは、既に不調なのか。




 控室代わりの屋敷で話を聞いてわかったのだが、イリスは本当に何ともないらしい。

 ドロレス曰く、イリスの魔力が多いために儀式を終えても余力があるのだという。

 吹けば飛ぶような体力の持ち主だが、魔力の方は余人を凌ぐ量と言われ、イリス自身も驚いているようだった。

 何にしても、イリスが倒れるようなことにならなくて良かった。

 安心すると同時に、少しの罪悪感が芽生える。


 イリスの魔力量が知られ、彼女が『毒の鞘』となれば、当然のように『解放者』の役割が回ってくるようになるだろう。

 それは、『鞘』としては、当たり前のこと。

 だが、ヘンリーは『鞘』の役目を果たすためにイリスを選んだわけではない。

 都合よく利用するような形になるのは不本意だ。

 だが、ヘンリーと結婚すれば問答無用で『鞘』になるし、それを避けるために婚約解消など論外だ。


 ――ならばせめて、イリスを守ろう。

 外的な攻撃はもちろん、体力面も、精神的な負担もすべて。

 愛しい残念な人がいつでも笑っていられるように。

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