再検討を決意しました
「それにしても。俺がこの夜会に参加すると決めたのは昼頃だから、知っているのは限られた者だけのはずだけど。……何故、君は俺が来ると知って、好きだというケーキを用意できたのかな?」
アイナの肩がびくりと震える。
そう言えば、さっきそんなことを言っていたような気がする。
ヘンリーの好きなケーキって何だろう。
やはりロールケーキなのだろうか。
そもそも、ケーキが好きだとは知らなかった。
そんな自分に、ちょっと切なくなる。
アイナの様子を見ると、ヘンリーはにこりと微笑んだ。
「きみがしたことについては、それなりの対応を取らせてもらうよ。俺個人に対してなら目をつぶっても良かったが、俺の大切なものに手を出したからには、見逃すことはできない。トレント伯爵にも理解していただいたよ」
「り、理解って……?」
「今の季節は修道院も人手が足りないから、喜ばれるだろう。警備のしっかりした所だから、安心すると良い。五年後に戻れるかは君次第だから、頑張って」
「え? そ、それは」
「それから……お手伝いをしてくれた人に、よろしく」
アイナは驚愕の表情のまま、ヘンリーから視線を外さない。
いや、外せないというべきだろうか。
「――いずれ、相応の返礼をする。……そう、伝えておいてくれ」
この上なく美しい笑みを湛えたヘンリーに、アイナの相貌には怯えが宿る。
何度もうなずいたアイナは、逃げるように踵を返して立ち去った。
「さて。行こうか」
何が何だかわからないまま、手を引かれて馬車に乗り込む。
さっき到着したばかりだというのに、もう帰るのか。
「……一体、何をしに来たの?」
ドレスのボリュームがあるので、ヘンリーは隣ではなく正面に座った。
色々思うところはあるが、とりあえずはドレスに感謝したい。
リハビリしなければとは思うが、あれこれあって混乱しているのだ。
「見ての通り、ちょっとした釘を刺しにね」
「……そう」
聞きたいことも言いたいこともあった気がするのだが、何だか疲れてしまった。
窓の外はまだ薄暗い。
夜会に出掛けたにしては帰宅が早いが、何と説明すれば良いだろう。
いや、ダリアはドレスをヘンリーから受け取っているのだろうから、こうなると分かっていたのだろうか。
「……イリス、怒っているのか?」
「何が?」
窓から視線を戻すと、ヘンリーが不安そうにこちらを窺っている。
さっきの自信と圧力に溢れた笑顔の持ち主と同一人物だとは思えない。
「トレント伯爵令嬢と一緒だったり、急に夜会に連れ出したり、ドレスのことを言わなかったり」
「……別に、もう良いわ。私には言わない方が良いことが沢山ある、ってことでしょう?」
「イリス」
ヘンリーは隣に移動すると、イリスの手を包み込むように握った。
「説明が足りなくて嫌な思いをさせたのは、謝るよ。情報を絞って、伝達経路を探っていたんだ」
「だから、別に良いわ」
参加不明にしておきたいと言っていたから、イリスに事前に伝えることが不利益になると懸念したのだろう。
アイナのことは、あの時に話したし、別に蒸し返すつもりはない。
ただ、せっかくのお出かけがもう終わりだというのが、少しつまらなかった。
「以前に説明した、リリアナを唆した奴に関連して、トレント伯爵令嬢も調べていたんだ。イリスが見た時は、店に寄るトレント伯爵令嬢とその友人が送れとしつこくてな。二人きりじゃないのと、ちょうど必要な情報が聞けそうだから同行したんだが……軽率だった」
「誰か、一緒にいたの?」
イリスが見たのは、馬車から降りるヘンリーと、手を取って降りるアイナ。
ヘンリーの腕につかまるアイナと、店に入りそうな姿だ。
「馬車の中に一人な。他の調査の時間が迫っているのになかなか降りなくて邪魔だから、さっさと降ろそうとしたんだ。今思えば、わざとだったんだろうな。トレント伯爵令嬢を先に店に突っ込んで二人目を降ろそうとしているところを、イリスは見たんだ」
「そう、なの?」
「あの後二人目も店に押し込んだんだが、イリスの姿はもうなかったし、時間がなかった。それでも、やっぱりイリスの方に行けば良かったと後悔したよ」
ヘンリーは悔しそうに言うと、イリスを見つめて頭を下げた。
「誤解させるようなことをして、ごめん。今後は気を付ける」
「でも、ケーキの好みは共有したのよね?」
「それは、あちらの勘違いだ。そもそも俺はケーキが好きなわけじゃない」
「え?」
どういうことかわからず、イリスは首を傾げる。
「あの調子で寄ってくるから、イリスのことを言ってはいたんだが、どうにも伝わらなくてな。好みの話でもイリスのことを話したんだが、都合よく俺のことに変換されたらしい。店に同行した令嬢も、トレント伯爵令嬢とのことを嘘八百並べ立てて噂にしようとしていたから、潰し……いや、ちょっと説明しておいた」
何だか不穏な単語が聞こえたが、それよりも気になることが。
「待って、私のことって何?」
「俺には愛しい婚約者がいて、それは可愛らしくて困っている。どんぐりの形のチョコレートケーキが気に入っている。そういうところもまた、可愛い」
スラスラと何を言っているのだ、この男。
「そ、そんなこと、人前で言ったの?」
「ああ」
信じられない。
そんなことを言うのも信じられないが、それを普通に報告しているのも信じられない。
「……やだ、もう。離れて」
これ以上近くにいるのは危険と判断し、立ち上がると反対側に座る。
「それで、あんまりしつこいし、毎回イリスを侮辱するし、妙な噂を立てようとするし、イリスには見られてあんなことになるし、今回の襲撃はトレント伯爵令嬢が関係しているし。俺としても少し苛ついてな。――ドレスを被せてみた」
「……は?」
何を言われたかわからないイリスに、ヘンリーがにやりと笑みを返す。
「トレント伯爵令嬢のドレスの色やデザインをちょっと調べて、ほぼ同じものをイリス用に作らせた。奇抜なドレスのおかげで造作を誤魔化している、本当は不細工で、俺を騙しているとそこら中で吹聴していたからな。同じドレスを着て並んで、イリスの可愛らしさが身にしみてわかっただろうよ」
「な、何言っているの? 大体、ドレスはまだしも髪型や髪飾りなんて、当日変えるかもしれないのに」
「うん。だから、ちょっと調べた」
――怖い。
笑顔が怖い。
「それに、同じドレスなんて着たら、私が礼を欠いた振舞いをしたことになるわ。いくら残念な私でも、あえて評判を下げることはないじゃない」
「急遽参加するために婚約者のプレゼントを着せられた、というのは周知されるから大丈夫。おかげで申し訳ないからとさっさと帰る理由にもなるし。それに、まったく同じドレスじゃないぞ。トレント伯爵令嬢のドレスはいまいち重苦しかったから、イリスに似合うよう華やかにしてもらった。……まあ、今度は一から俺が選んだものを着てほしいけど」
「……どうしよう。何から突っ込めば良いのか、わからないわ」
「ビーズも使ったんだけど、気付いたか?」
「ええ、まあ。……ありがとう」
釈然としないまま礼を言うと、ヘンリーが隣に移動してきた。
「襲撃に関係しているというのは?」
「そのままだよ。今回の首謀者はアイナ・トレント伯爵令嬢だ」
あんなに上品な感じの女性と襲撃という言葉が結びつかない。
「でも、何で?」
「俺への勝手な懸想が拗れたらしい。イリスを盾に、何を要求するつもりだったのやら。……そもそも、イリスを盾にして俺が従うほど大切にしているとわかるなら、無駄だと気付きそうなものだが」
「でも、どうやって」
イリスだって伯爵令嬢だが、仮に襲撃を目論んだとしても、情報もなければ人を手配することもできない。
アイナだって同じようなものだと思うのだが。
「表向きはトレント伯爵令嬢の暴走だ。だが、裏にはリリアナを唆した奴がいると思っているし、いくつか証拠も掴んでいる」
「……また、私に悪意が向くように仕向けているってこと?」
「ああ」
肯定されて、イリスは不安と言うよりも不思議な気持ちだった。
そんなに恨まれるようなことをした覚えはないが、何なのだろう。
「俺が浮気していないし、イリス一筋だって、わかった?」
「調査だというのは、わかったわ」
「……不安だった?」
そういうことを優しく問いかけないでほしい。
「大丈夫よ。お仕事を探したから」
何だか恥ずかしくなり、視線を外しながら答える。
「……仕事?」
ヘンリーの声音の変化に失言を悟り、慌てて距離を取ろうとしたが、遅かった。
「それ、どういう意味だ?」
イリスの手を握ったヘンリーの顔が近付いて来る。
その眩い笑顔が怖い。
だが、正直に『婚約解消した時のために手に職をつける』と言ったら、たぶんもっと怖いことになる。
それは駄目だと本能が訴えていた。
「――な、何でもない!」
「へえ……そう」
ヘンリーの手が、イリスの顎をとらえる。
引き寄せられてしまえば、どう足掻いても目を逸らすことはできない。
紫色の瞳が、妖しく輝いている。
今は、それが怖くて仕方がない。
「仕事を探した理由。ゆっくりと、説明してもらおうかな。……俺の愛しい婚約者さん?」
ヘンリーが放つ妙な色気に、思わず肩が震える。
やっぱり、リハビリ目標は検討し直そう。
イリスは、心に固く誓った。
本編第六章はこれで完結です。
明日からは引き続き番外編を連載します。
その後は「残念の宝庫 〜残念令嬢短編集〜」の方で、リクエストのお話を連載予定です。
詳しくは活動報告をご覧ください。