男の欲だそうです
――まさかの、全被り。
ここまでくると、主催もへったくれもない。
単純に気まずくて仕方がない。
日本でも同じブランドの服を着ていたら、何となく気まずい。
この場合の気まずさはその比ではない。
既製品ならいざ知らず、仕立てたドレスが丸被りって、どれだけ残念な奇跡なのだ。
相手も同じらしく一瞬青い顔になったが、次第に眉を顰め、明らかに不快な様子だ。
これはやはり、主催者側の人間なのだろう。
ここは、礼を欠いたイリスが謝罪するべきだ。
申し訳ないし恥ずかしいので、謝ったらすぐに帰ろう。
ヘンリーはそのまま残って、勝手に誰かと親睦を深めたり深めなかったりしていれば良い。
イリスの中で今後の方針が定まり、まずは謝罪するべく口を開こうとする。
「――やあ、アイナ・トレント伯爵令嬢。今宵はお招きありがとう」
爽やかな貴公子然とした態度で挨拶をするヘンリーにつられて、イリスも挨拶をしてしまった。
イリスは知らない名前だが、よく見ればこの亜麻色の髪には見覚えがある。
確か、ダニエラと参加した夜会で、ヘンリーに笑顔を向けて腕をかけていた令嬢だ。
そういえば宝飾品店の時の女性も、こんな色の髪だった気がする。
ということは、この女性がヘンリーが仕事で関わる相手。
あるいは、好意を持っている相手だ。
後者だとすると、あれだけ女性に囲まれていたのに彼女だけなのだから、ヘンリーは結構一途ということになる。
婚約者がいて他の女性に一途というのも、何だかおかしな表現ではあるが。
「ヘンリー様。都合がつかないと仰っていたのに、わたくしのために来てくださったのですね。ヘンリー様のお好きなケーキも用意しましたのよ」
アイナと呼ばれた女性は、先程の不快な表情などなかったかのような柔らかな笑みを浮かべている。
これは、なかなか上品な感じで可愛らしい。
なるほど、ヘンリーはこんな王道の上品で清楚な雰囲気の女性が好みだったのか。
何故、真逆とも言えるイリスと婚約したのか、謎でしかない。
あるいは婚約して残念に疲れ切り、癒しを求めたのかもしれない。
それは大変に申し訳ないところだ。
「愛しの婚約者と約束があったが、それでは失礼だろうと叱られたよ。だが、彼女を一人にはできないから、急遽一緒に参加することにしたんだ」
にこやかに返すヘンリーだが、何だか笑顔が怖いのは気のせいだろうか。
「そ、それでも、ヘンリー様にお会いできて嬉しいですわ。わたくしの初恋の方ですもの」
アイナはちらりとイリスに視線を向けると、そう言って微笑む。
「学園の卒業パーティーで暴漢が現れた時のヘンリー様の対応は、まさに紳士であり騎士のように凛々しくて。わたくし、あの時からずっとヘンリー様をお慕いしておりますの」
ちらちらとイリスを見て喋っているのだから、これは説明をしてくれているのだろう。
礼を欠いたドレスのイリスに対して、何て親切な人なのか。
……そう言えば、そんな感じのことを女性に言われているのを見たことがある。
あれは確か、ヘンリーは残念なドレスが好きだと勘違いするきっかけになった夜会だ。
顔も髪も覚えていないが、あの女性も上品な感じだったから、同一人物なのだろう。
「あなたはおかしなドレスを着て、ヘンリー様のそばにいましたわね。……いつまで奇抜な装いで騙すつもりか知りませんが、そろそろ現実をご覧になったらいかが?」
「現実?」
「わたくし、ヘンリー様と親しくさせていただいておりますの」
自信に満ちた微笑みを向けるアイナに、イリスはうなずいた。
「そうみたいですね」
確かに、夜会で一緒だったし、宝飾品店に一緒に行っている。
あれで憎みあっているという方がおかしい。
あっさりと肯定するイリスを見て、アイナの表情が曇る。
「嘘だと思っていらっしゃるの? その自信も、いつまでもちますかしら」
「いえ、別に疑っていないです」
アイナの間違いを訂正すると、何故か更に表情が曇っていく。
ついでにヘンリーの表情も曇っているが、どうしてだろう。
「本当に、失礼な方! ……今日だって、ドレスの色を被せてくるだなんて、品のないこと」
これは痛いところをつかれた。
この点は完全にイリスの落ち度なので、素直に謝ろう。
「それは……」
「――それは、俺のせいだ」
突然のヘンリーの参加に、アイナだけではなくイリスも驚く。
「ヘンリー様のせい、ですか?」
「ああ。さっき言ったように急遽参加を決めたから、イリスはドレスを用意していなくてね。だから、俺がプレゼントしたドレスを着て来ただけだ」
アイナが驚愕の表情を浮かべるが、それ以上に驚いているのはイリスだ。
何でこんな嘘をつくのか、まったくわからない。
「ヘ、ヘンリー様のプレゼント、ですか」
「ああ。愛しい婚約者を自分の好みに飾りたいと思うのは、男の欲だね」
『うん。今度は、俺が選んだものでイリスを飾らせて』
ふと、ビーズの髪飾りが壊れた時の会話を思い出す。
まさかと思ってヘンリーを見ると、それはそれは爽やかな笑顔を返された。
これはどうやら、本当らしい。
思い返せば、急に夜会に誘うこと自体がおかしかった。
ドレスをすぐに用意したところからすると、ダリアも共犯か。
慌ててドレスを見てみれば、スカート部分に散りばめられたビーズの花は透明で、花芯は黄色。
髪飾りの花芯は紫色のビーズだった。
それは、あの時のビーズの髪飾りとまったく同じ色使いだ。
……つまり、このドレスはあの髪飾りの代わりでもあり、ヘンリーがイリスのために選んだもの。
それを自覚した途端、何だか急に恥ずかしくなってきた。
頬を染めるイリスを見たアイナは、完全に顔が引きつっている。
「俺の選んだドレスでイリスを飾れて、嬉しい。似合っているよ、とても」
『似合っているよ、イリス』
それは、迎えに来た時に開口一番にヘンリーが口にした言葉だ。
つまり、馬車の中でやたらと御機嫌に微笑んだりうなずいたりしていたのは……こういうことか。
どこまでイリスに羞恥心攻撃をかければ気が済むのだ、この男。
リハビリでヘンリーに慣れると目標は立てたものの、相手が酷すぎる。
これは、目標の再検討が必要だ。
何なら、ヘンリーが言っていた『清く正しい遠距離文通交際』から始めるべきな気がしてきた。
赤い顔のままヘンリーを睨みつけるが、やはり良い笑顔を返される。
モレノの次期当主は、色々強すぎて困る。