目の毒だそうです
「イ、イリス様、御無事ですか?」
『モレノの宿』に着くと、使用人からの第一声はそれだった。
それはそうだろう。
イリスは毛布でぐるぐる海苔巻き状態で、とれたてピチピチの魚のように横抱きで屋敷に入ったのだ。
もちろん、イリスもどうにかしたかったが、どうにもならなかった。
ヘンリーは何食わぬ顔でイリスを運ぶが、使用人達は狼狽を隠せない。
「……生きてるわよ。大丈夫よ。だから、誰かここから出して」
海苔巻きの具であるイリスが訴えると、皆一様に安堵の息をつき、次いで視線を逸らす。
ビクトルにも散々見て見ぬふりをされたが、ここでも同じらしい。
そのまま使用人達の前を通り過ぎると、イリスはため息をついた。
「……誰も助けてくれない。孤独だわ。これが嫁いびりってやつなのかしら」
海苔巻き状態で運ばれながら自嘲していると、後ろに誰かついてくる気配がする。
「申し訳ありません、イリス様。我々はモレノ侯爵家に仕える人間であり、ヘンリー様は次期当主であり、……命が惜しいのです」
年嵩の男性はそう言ってイリスに礼をすると、ヘンリーの前に出て部屋の扉を開ける。
「腕を負傷している。用意を」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げる男性の横を通過しながら、イリスは再びため息をついた。
「……孤独だわ」
ヘンリーはイリスの詰まった海苔巻きを立てて床におろすと、ぐるぐると毛布を剥ぎ取る。
もはやされるがままのイリスは、ヘンリーの上着を羽織った状態でソファーに座らされた。
「具合はどうだ?」
「おかげさまで寒気は引いたわ。上着も、もういらないんだけど」
イリスの額に手を当てると、渋面のヘンリーが首を振る。
「良いから着ていろ。……熱が出て来たな」
あれだけ冷えたのだから、体だって温めるために頑張るのは当然だ。
以前に『モレノの毒』を解除した時に比べれば、意識を失っていないぶん、軽症と言って良いだろう。
「寝れば治るわ」
「その前に、腕の手当てだ」
使用人の男性が薬を持ってきて、テーブルの上に並べる。
既にイリスの鼻には、嗅いだことのある薬草の臭いが届いている。
たぶん、前回も使用したモレノ印の軟膏なのだろう。
「誰か女手をよこしてくれ。腕は俺が手当てするから、肩の手当と着替えを頼む」
「かしこまりました」
男性が下がると、早速イリスの腕を取って軟膏を塗り始めた。
「ねえ、ヘンリー」
「何だ?」
「女の人が来るのなら、その人にやってもらうからいいわよ?」
冷たくてくすぐったいのを我慢して提案するが、ヘンリーは気にすることなく手当てを続ける。
「俺がやりたいから、いいんだよ」
「その割には、腕だけなのね?」
呼ばれる使用人も二度手間だろうと思って言ったのだが、ヘンリーに大袈裟にため息をつかれた。
「何?」
「おまえ、肩を手当てするにはどんな格好になると思っているんだ?」
「どうって……」
腕は袖をまくれば、そのままで問題ない。
だが、肩を出すとなると、ワンピースの上半身をはだけさせる必要がある。
あわや、背中や胸元も見えかねない。
それに気付くと、顔が赤くなっていくのがわかった。
「……な? 女手が必要だろう?」
無言でうなずくのを見て、ヘンリーは苦笑しながら包帯を巻いていく。
「……まあ、俺としては全部手当てしてもいいんだけど」
包帯を巻き終えると、イリスの手をすくい取り、手のひらに口を寄せる。
「――だ、駄目!」
イリスが慌てて手を引くと、面白そうに笑っている。
……からかっているのだ。
頬を膨らませるイリスの頭を撫でると、ヘンリーもソファーに腰かけた。
「……また、怪我をさせて、ごめん」
「ヘンリーのせいじゃないでしょう?」
「俺も一緒にいた。なのに、イリスに無理をさせた」
「だから、別にヘンリーが悪いわけじゃないわ」
びっくりしたし、腕は痛いけれど、ヘンリーに気に病んでほしくはない。
「……今のイリスは、婚約者だ。これが正式に『毒の鞘』になれば、更に狙われるようになる。モレノの……俺のせいで、イリスに迷惑をかけてしまう」
イリスの手に、そっとヘンリーの手が重なる。
「でも、俺にはイリスが必要だ。これからも、そばにいてほしい。必ず、俺が守るから」
紫色の瞳が真剣に訴えかけてくるのを見て、イリスはうなずいた。
「……迷惑かどうかは、私が決めるわ。それに、魔法の鍛錬も頑張るから。きっと、隙間の凍結マスターになるから、待っていてね」
「隙間の凍結、マスター?」
「そうよ。あらゆる隙間を凍らせてやるわ。そうしたら、ヘンリーのことも守れるもの」
意気込んで拳を握って見せると、呆気に取られていたヘンリーが、お腹を抱えて笑い出した。
「何? そんなにおかしい? 隙間を甘く見ちゃ駄目よ。世の中は隙間だらけなのよ?」
隙間の重要性を力説するが、いまいち伝わっていない気がする。
ひとしきり笑ったヘンリーは、水を一口飲んで、息をついた。
「……やっぱり、肩の手当てもすれば良かったかな」
「ええ? 嫌よ。駄目よ」
「そうだな。……目の毒だ」
そう言って立ち上がると、扉に向かって歩き出す。
扉を開けると、いつの間にか女性の姿があった。
「着替えたら、ゆっくり休んで。何かあれば、呼んでくれ」
「イリス様とヘンリー様は仲睦まじくて。私共も嬉しくなります」
「ええ?」
肩の手当をしながら、使用人の女性はそう言って微笑んでいる。
「……毛布で海苔巻きでとれたてピチピチだと、そういうことになるの?」
あれはどちらかというと、拉致していると言った方が正しい気がするのだが。
あるいは、鮮魚の水揚げか。
大体、誰か一人くらいは海苔巻きのイリスを助けてくれても良いと思う。
「ピチピチ?」
「いえ、何でもないわ。……な、仲睦まじく……見えるの?」
恐る恐る聞いてみると、女性はさも当然と言った様子でうなずいた。
「きっと、この手当てもご自分でなさりたかったでしょうね」
「でも、目の毒って言われたわ。毒物扱いよ?」
見たくないというだけならまだしも、害があると言われるのは、何だか納得がいかない。
「……なるほど。これでは、ヘンリー様も自重するしかありませんね」
「自重?」
肩の手当を終えて着替えを手伝うと、女性は荷物をまとめて扉に向かう。
「……イリス様。『目の毒』という言葉は、『見ると害になる』以外にも意味があります」
「そうなの?」
「はい。――『見ると欲しくなるもの』です」
「……え?」
「それでは、失礼いたします」
扉が閉められても、しばらくイリスは動けない。
「見ると、欲しくなる……?」
……何をだろう。
手当ての話をしていた気がするのだが、何が欲しいのだろうか。
肩の手当てもすればよかったと言っていたから、軟膏を塗ったり包帯を巻くのが好きなのかもしれない。
何でも一通りできるように仕込まれていると言っていたが、包帯巻き巻きはヘンリーの好みなのだろう。
そう言えば、毛布でもぐるぐる巻きにされた。
包帯というよりも、巻くことが好きなのかもしれない。
「……今度、ロールケーキをお土産にしよう」
婚約者の意外な嗜好を見つけたイリスは、ロールケーキを思い浮かべながらベッドに潜り込んだ。