『解放者』の儀式
「賑わっているわね」
イリスは馬車の中から、窓を通して外を眺めていた。
街は既に人で溢れており、昨日とは比較にならないほどだ。
祭りのメインである儀式は、領民にとっても一大イベントらしい。
まさか自分達の領主一族による肩こり解消の祭りだとは知らないのだろうが、世の中には知らない方が良いこともある。
まさに、この祭りがそれなのだろう。
馬車の扉が開くと、待ち構えていた群衆から歓声が上がる。
領主のモレノ家が人気なのか、それとも祭りで興奮しているだけなのか。
叫び声や黄色い声も混じっていて、賑やかというか騒々しい。
「イリス、足元に気を付けて」
先に降りたヘンリーが手を差し出すと、一層高い声が上がった。
もう、悲鳴だとしか思えないが、何があったのだろう。
そのままヘンリーの手を取ろうとして、ふと以前見た光景が脳裏に蘇る。
宝飾品の店の前。
馬車から降りたヘンリーが手を差し伸べ、女性がその腕に手をかける。
とても自然で、お似合いの光景。
「……どうした?」
ヘンリーに声をかけられ、我に返る。
そうだ、今は儀式のことを考えなければ。
「何でもないの。ありがとう」
ヘンリーの手を取ると、馬車から降りる。
周囲の歓声は増すばかりで、何か叫んでいる人もいるが、よく聞き取れない。
楽しそうに盛り上がる周囲とは裏腹に、何となく気分が落ち込む。
これではいけない。
儀式に集中しなければ、周囲に迷惑をかけてしまう。
頭を振って、軽く深呼吸をすると、手を握ったままのヘンリーの顔が近付いてくる。
「体調が悪いのか? 無理なら……」
「大丈夫、何でもないの。賑わっているから、びっくりしただけ」
笑顔を浮かべてそう答えると、ヘンリーの手を離れて歩き出す。
一歩一歩、歩くたびに白いロングワンピースの裾が翻る。
これが、用意された祭りの衣装だった。
イリスは、シンプルな白のロングワンピース。
腰から下は豊かなドレープが波打っており、動くたびに聞こえる衣擦れの音も美しい。
よくはわからないが、上質な生地なのだろう。
その上に紫色のマントを羽織っているのだが、継承者達も同様のマントを身に着けている。
やはり、ここでも紫色がテーマカラーのようだ。
ロベルトを先頭にして歩いて行くと、街の中心の広場に到着する。
広場の真ん中に紫色のモザイクタイルに囲まれた円があり、その中は地面がそのまま出ている。
短剣を地面に刺すとは聞いていたが、本当に土だ、地面だ。
剣を土に刺すだなんて、いっそ農耕の祭礼の方が納得がいく。
どうしてこれで肩こりが解消するのだろう。
もしかするとパワースポットというやつだろうかと思い至るが、肩こり解消のパワースポットなんて聞いたことがない。
「――では、『解放者』イリス。前へ」
ロベルトに促され、件の地面の前に立つ。
イリスの手のひらがすっぽりと入るくらいの地面だ。
よく見ればモザイクタイルには何やら文字のようなものが書かれているが、全く読めない。
きっと、肩こり解消と書いてあるのだろう。
厳かな儀式とのギャップが酷い。
せめて、五穀豊穣とか付け加えておきたい。
周囲には思った以上の人が見物しているが、彼らはこの儀式をどのようにとらえているのだろう。
「――解放せよ」
ロベルトの声に従い、短剣を鞘から取り出すと、歓声があがる。
これは、意味が云々よりも、こういうパフォーマンスなのかもしれない。
顔の前で短剣を立て、次いで刃を下に向けて手を添えてそっとしゃがむ。
一連の動作は指示通りにしたつもりだが、なにぶん初めてなので上手くいっているのか自信がない。
だが、歓声から察するに、大きな間違いはなさそうだ。
あとは、この刃を地面に突き刺すだけ。
――肩こり解消。
心の中でそう呟きながら、すっと地面に突き立てた。
思いの外、抵抗もなく刺せたことに驚く。
――その瞬間、どこからともなく冷たい風が吹き抜ける。
不思議に思いながらも手順通り短剣を引き抜こうとして、はめ込まれていた赤い石が灰色に戻っていることに気付く。
首を傾げつつも短剣を手にしてみれば、刃にも大きなひびが入っていて今にも割れ落ちそうだ。
硬い土じゃなかったのだが、もしかすると石にでも当たったのか。
いや、そんな手応えはなかった。
どちらかというと、泥のように柔らかかったのだが。
疑問しか残らないが、ここで考えていても仕方がない。
壊れかけの短剣をどうにか鞘に詰め込むと、元の位置に戻っていく。
ところが、何だか継承者達の様子がおかしい。
何かに驚いたかのように落ち着かない様子で辺りを見回したり、自分の体を見ている。
「……どうかしたの?」
そっと小声で聞いてみると、隣のヘンリーが眉を顰めている。
「……体が軽い」
「腰が楽」
「嘘みたいに気分が良い」
次いで、ニコラスやオリビアも口を開くが、何だか言っていることが妙だ。
まるで通販番組のエキストラのようだ。
これは健康食品や幸運のなんちゃらなのだろうか。
モレノは領主の一族で有名なわけだから、有名人を使って販促しているのかもしれない。
いや、でも何を売るのだろう。
それとも、ここは万病に効きますよ的な、パワースポットですアピールか。
観光客が増えれば領地も栄えるだろうし、そういう意味も込めているのなら、肩こり解消祭りも意外と奥が深い。
「――おい、聞いているのか、イリス」
「え? 何?」
思考に耽っていたせいで、ヘンリーの小声の呼びかけに気付くのが遅れてしまった。
まだ儀式の途中なのだから、気を抜いてはいけなかった。
「だから、大丈夫か?」
「大丈夫って?」
この後の段取りの話だろうか。
一応覚えているので大丈夫と答えるが、ヘンリーの表情は曇ったままだ。
そんなに信用が無いのだろうか。
どちらにしろ、もうイリスがすることはない。
説明された通り、ロベルトが何やら地面に話しかけて儀式は終了し、イリス達は控室として使っている屋敷に戻った。
第五回アイリスNEOファンタジー大賞の銀賞を受賞しました。
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