イリスのお願い
「これで良い。それから、今日はこの短剣を身に着けていて欲しい」
ロベルトはそう言って短剣を工房長に渡す。
工房長によって鞘に紐が付けられ、斜めがけのバッグのようにされた。
商家のお嬢様風ワンピースに短剣という何ともおかしな取り合わせになったが、残念慣れしているイリスにとっては大した問題ではない。
可愛いワンピースに武器というのも良い残念具合だな、と今後の参考にするくらいだ。
「イリスはもう良いぞ。お疲れ様。継承者は、話があるから残ってくれ」
「それじゃあ、行こうか」
ドロレスに連れられて工房を出ると、頬を撫でる風が気持ちよかった。
「せっかくだし、街に行こうか。祭りのメインである儀式は明日だが、祭り自体はもう始まっているからね」
「はい!」
微笑むドロレスにイリスも笑顔を返した。
「ドロレス様は、とっても慕われているのね」
イリスは感嘆の声を上げた。
街の中心部へと移動すると、ドロレスを見つけた街の代表だという壮年の男性に挨拶をされた。
儀式の準備の話を始めたので、邪魔にならないようにイリスは少し離れてベンチに座って待つことにする。
既に街中には露店が立ち並び、建物にも飾り付けが施してある。
人も多く行き交って賑やかで、見ているだけで楽しい。
ただ、毒の祭りという名前のせいなのか、どれもこれも色合いが毒々しい。
どうやら紫色がテーマになっているらしく、そこら中に紫色が溢れている。
それだけなら高貴な色合いに見えなくもなかったのだが、赤や橙に緑に黒とどうにもならない原色のオンパレードだ。
装飾品やお土産はもちろん、食べ物に飲み物まですっかり妙な色使いだ。
これは、なかなかに残念な色合いではないか。
残念なドレスを持ってきていないことが悔やまれる。
せっかくだから毒の祭りに合わせて毒キノコや毒草、毒虫をモチーフにしたドレスを着たかった。
来年も来ることがあったら、絶対に用意しよう。
恥ずかしいけれど、この残念な波には乗ってみたい。
残念な決意を固めると、ドロレスに視線を戻す。
領民達は次々にドロレスのそばに行き、挨拶をしている。
先代領主の妻と領民が近しいというのは、なんだか微笑ましい。
何となく嬉しくてその様子を見ていると、数人の男性がイリスの方に視線を向けた。
ドロレスに何か声をかけたと思うと、すぐにイリスの前にやってくる。
最初は数人が挨拶に来てくれただけだったのだが、気が付くとイリスの周囲は沢山の人で溢れかえっていた。
「それ、『解放者』の剣ですよね? 明日の『解放者』は、あなたなんですか?」
「ドロレス様に同行しているということは、モレノ家の人間なの?」
「君、凄く可愛いね。このあたりに住んでいるの?」
「良かったら、祭りを案内してあげるよ」
矢継ぎ早に声をかけられ、返答が追い付かない。
一応イリスは領主の息子の婚約者ということになるが、どう返すべきなのだろう。
迷っていると、突然背後から腕が伸びてきて、イリスを抱きしめた。
「こいつは俺のだから。……駄目だよ?」
ヘンリーの声が真横から聞こえて、思わずイリスの肩が震える。
周囲を囲んでいた女性達からは悲鳴が上がり、男性達は何だか顔色を変えたり落胆するような様子が見られる。
これはやはり、ヘンリーの攻撃がいかに酷いかという証明だろう。
断固、改善とリハビリへの協力を要請しなければ。
「ヘンリー、離して」
「何で?」
あっさりと返されてしまうと、却って言葉が出ない。
逆に、何で離さないのだ。
公衆の面前でなんてことをするのだろう。
そう言おうとすると、笑いながらドロレスがやって来た。
「何だ。イリスが心配で来たのかい?」
「俺の『鞘』に手出しされると、困る」
ドロレスが目くばせをすると、周囲の人波がさっと引いていく。
「まあ、程々にね」
そのまま颯爽と去って行くドロレスに、イリスの目は釘付けだ。
「……格好良い……」
思わずイリスが呟くと、ヘンリーはようやく手を放してくれた。
「それで、体調はどうだ?」
「え? 私?」
ヘンリーはうなずくが、何故そんなことを聞かれているのかがわからない。
馬車で長距離移動したからだろうか。
確かに疲れはしたが、モレノの宿で一泊して昨夜もぐっすり眠っているので、特に問題はない。
「別に、平気よ?」
「そうか?」
肯定はしたものの、何だかまだ心配そうだ。
これは面倒見の鬼が本領を発揮しているのかもしれない。
仕方ないので、ちゃんと伝えた方が良いだろう。
「昨日もぐっすり寝たわ。心配されるようなことはないわよ?」
「……ああ」
「それよりも、あの。……ヘンリーにお願いがあるんだけど」
「何だ?」
突然のお願いに驚いた様子のヘンリーは、すぐに目を輝かせてイリスを見つめる。
これもやはり、面倒見の鬼の血が騒いでいるのだろう。
どうかとは思うが、今回はちょうど良いので利用させてもらおう。
「私、毒クッキーが食べたい」
ヘンリーの顔が一気に渋面に変わり、がっくりと肩を落としている。
「……誰だ、余計なことを教えたのは」
「ニコラスが、ヘンリーと一緒に食べなさいって。被害を最小限に食い止めるらしいけど。……ヘンリーは食べ慣れているってこと?」
「確かに食べたことはあるが、やめておけ。イリスは倒れかねない」
何だか物騒な言葉が出て来た。
「食べ物なのよね?」
「成分は、な」
「……どうしても、駄目?」
残念令嬢を目指し、今も残念ポイントを稼ぐイリスにとっては、今後の残念の参考になる気がする。
名物だと聞いたし試してみたいのだが、ヘンリーの反応はよろしくない。
「……駄目だと言ったら、一人で食べるだろう? 仕方ないな。でも、ほんの少しだけだぞ」
「ありがとう、ヘンリー」
「本当に、ほんの少しだけだからな」
「うん」
嬉しくなったイリスは微笑むと、軽い足取りで露店に向かった。