『解放者』と短剣
「大した年齢じゃないだろう。……イリス、こいつが工房長だ。こっちはイリス・アラーナ伯爵令嬢。俺の『毒の鞘』になる予定だ」
「はじめまして。イリス・アラーナです」
紹介に合わせて礼をすると、工房長は笑顔で何度もうなずいている。
「はいはい。目の保養ですね。……ところで、今回の『解放者』は彼女なんですか?」
「ああ。ばあさんが指名した」
明らかに不服そうな様子を見て、工房長が苦笑する。
「そんなに心配せずとも、死にはしませんよ」
「おまえは、イリスの体力のなさを甘く見ている」
よくわからないが、どうやら令嬢ボディの貧弱な体力を気にしているらしい。
心配してくれているのだろうが、言い回しが何だか切ない。
「カロリーナ様の注文した短剣は、イリス様に贈ったと聞いています。短剣が軽すぎて吹っ飛んだ、とも」
「え? あ、はい。何だか軽くて滑って飛んでいくので、ほとんど使っていないです。すみません」
製作者を前にして、使えなかったというのは何だか心苦しい。
思わず謝罪すると、工房長はイリスを見て笑った。
「謝る必要はありませんよ。まあ、確かに驚きはしましたが。……それだけの魔力ならば、ドロレス様が『解放者』に指名するのもうなずけます。頑張ってくださいね。――ヘンリー様のためにも」
「え?」
ヘンリーのためとはどういう意味だろう。
だが、それを尋ねる前に、扉が開いて継承者と『鞘』が揃った。
『モレノの毒』の継承者であるロベルト、ニコラス、ヘンリー、オリビア。
『毒の鞘』のドロレスと、候補のイリス。
全員が揃うと、それぞれにソファーに腰かけた。
「イリスは初めてだから、今から祭りの説明をするよ」
そう言うと、ヘンリーは工房長から短剣を受け取る。
「『解放者』が魔力をため込む短剣を使い、継承者の血を捧げる。それを大地に返す。これが、儀式の内容だ。……今日は、明日の儀式のために血を捧げる」
そう言うと、イリスの手に短剣を乗せる。
刃の根元部分に灰色の石がはめ込まれており、それに合わせて抉れた形の鞘に収まっている。
金属製のはずなのに思ったよりも軽いのが、不思議だ。
「『解放者』が継承者の血を捧げるって、……刺すってこと?」
不穏な言葉に、少し心配になる。
まさかここで殺生沙汰は起きないだろうが、それにしたって表現が怖い。
怯えるイリスを見て苦笑すると、ヘンリーは短剣に手を添えた。
「指先をほんの少し切るだけで良いから、心配ない」
「少しって。だったら、私である必要はないわよね? 自分の方が力が加減できるし」
納得できずに質問すると、ロベルトがため息をついた。
「イリスの気持ちはわからないでもないが、『解放者』がその短剣を使うことに意味がある。まだ正式な『鞘』ではない以上詳しく説明できなくて申し訳ないが、これは継承者にとっても重要なもの。この儀式を行うことで継承者は……えー。体が……楽になる」
最後の方は、もの凄くわかりやすく誤魔化されている気がする。
だが、正式な『鞘』ではないと言われてしまえばその通りなので、どうしようもない。
「……楽って、どうなるんですか?」
それでも何とか質問してみると、ロベルト以外の継承者達も考え込み始めた。
「そよ風が吹いたような……」
「今日は晴れだなあ、という感じです」
「ないよりはましな程度で」
どの表現も要領を得ず、イリスは更に困惑する。
「ドロレスが『解放者』なら、肩こりがとれたくらいだな。だが、年齢もあるし、少し休ませたい」
「一言余計だよ」
ドロレスが笑いながら釘を刺す。
ということは、年齢以外は正しいということか。
「よくわかりませんが。肩こりを取るために、剣に血を付けて地面に刺すんですか?」
「確かに、まとめるとそうなるか」
皆が笑っているが、嘲笑というよりは苦笑といった感じだ。
やはり、間違ってはいないらしい。
それはそれで意味がわからないが。
「だが、たぶんイリスは魔力からしてもっとすごいと思うぞ」
ロベルトに謎の太鼓判を押された。
なるほど。
どうやらイリスは肩こり改善要員として呼ばれたらしい。
『モレノの毒』を食らったことがある身としても、あれは相当疲れそうだし、肩こりがとれるというのなら手伝おう。
随分と大仰な肩こり対策だが、民間療法というものは得てしてこういうものなのかもしれない。
「まずは、短剣に魔力を込めて」
「うん」
ヘンリーに言われた通り短剣を鞘から抜くと、集中する。
すると、短剣の根元にはめ込まれた石に変化が現れる。
灰色で濁っていた石が、どんどんと白くなり、同時に淡く光り始めた。
ヘンリーが手を差し出してきたので短剣を近付けるが、やはり何だか申し訳ない。
人に武器を向けるというのは、こちらの精神力も消耗する。
まして、傷つけたい人が相手ではないのだから、仕方がない。
短剣を握ったまま困っているイリスを見て苦笑すると、ヘンリーが手を添えてきた。
「先端を少しだけで良いから」
そう言って指先に刃を当てると、すっと血が滲んでくる。
だが、次の瞬間には血が消えている。
不思議に思いつつ次の継承者の指先に刃を当てていくと、白かった石の色がピンク色になり、更に赤くなってきた。
ほんの少しとはいえ血が付いたはずの刃先も、何故か汚れていない。
まるで剣が血を吸ったように見えて、何となく怖くなる。
全員が終わる頃には、石は既に真っ赤だ。
まるで血の塊だ、とイリスは思った。