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世界の平和を守るため

 もの凄く生温かい視線を送りながらダリアが部屋を出ると、いつものようにヘンリーが紅茶を淹れ始めた。

 ……相も変わらず、タイミングが怖い。

 やっぱり何かセンサーのようなものでも付けられているのだろうか。

 ちょっとした疑心暗鬼状態のイリスの前に紅茶を置くと、ヘンリーもソファーに腰かけた。


 先日の夜会のことについて何か言われるのかと思ったのだが、特に何もない。

 イリスが同じ会場にいると知らなかったからかもしれない。

 つまり、イリスが知らないだけで色々なことがある、というわけだ。


 ……やっぱり、自立しておいて損はない気がする。

 仕事への決意を新たにしたイリスは、良い香りの紅茶に口をつけた。



「ばあさんから、連絡が来たんだ」

「私にも手紙が来たわ。領地の祭りにおいで、って。あと、頼みたいことがあるって」

 そう言えば、以前にも同じようなことをドロレスに言われた気がする。

 掃除ではないと言っていたが、何を頼むというのだろう。


「……やっぱり、こっちにも連絡していたか」

「何?」

「いや、何でもない。……イリスに、祭りの『解放者』になってほしいって」

「解放者? それ、何なの?」


 名前からして何かを解放するのだろうが、それ以上はわからない。

 鮭の稚魚を放流とか、牧草地に羊を放牧でもするのだろうか。

 だが、ヘンリーは何故か苦虫を噛みつぶすような顔だ。


「祭りで……短剣を、地面に刺す係」

「何それ?」

 まったく想像も理解もできない内容だが、ヘンリーの様子を見る限り、冗談というわけでもないらしい。


 古今東西、祭りとは意味不明なものも多い。

 日本でも丸太に乗ったり、チーズを転がしたり、妻を運んだりする祭りを聞いたことがある。

 つまりはモレノ侯爵領の祭りも、そういう系統なのかもしれない。



「よくわからないけど、私にできるのならやるわ」

 イリスが承諾すると、何故かヘンリーの表情は更に曇る。

 自分が打診してきたのに、どういうことだろうか。


「何? 残念な私じゃ失敗すると思っているの? そんなに難しいなら、やめておいた方が良いの?」

「いや、そういう事じゃなくて。……ばあさんが指名している以上、曖昧な理由では断れない。でも、無理だと思うなら、言ってくれ」


「そう言われても、何をするのかよくわからないわ」

 いや、地面に短剣を刺すのか。

 だが、それだけなら子供でもできそうなので、イリスである必要もない気がする。

「……もしかして、初めてお祭りを見るから記念に参加させてくれるのかしら? 邪魔にならなければ良いんだけど」


 ヘンリーは紅茶を飲んでいるが、表情は冴えないままだ。

 これは、参加させたくないということなのだろうか。

 やはり、残念なイリスでは祭りを失敗させると心配しているのかもしれない。



「三日後、ニコラスとオリビアが来るから、一緒にモレノ侯爵領に向かってくれ。俺は仕事があって遅れるけど、必ず行くから」

「ヘンリーは、一緒じゃないのね」

 また、あの女性と会うのだろうか。

 仕事だろうとは思っても何となくつまらない気持ちになり、うつむく。


「……俺が一緒じゃなくて、寂しい?」

「え?」

 顔を上げると、ヘンリーが妙に良い笑顔を浮かべている。


「――ち、違うわ。寂しいとかじゃないの」

 もっとモヤモヤとした、何とも言えないつまらなさなのだが、上手く表現できない。

「……即答で否定されるのも、傷つくんだけど」


 ヘンリーは苦笑しながら立ち上がり、イリスの隣に座る。

 イリスの頭を撫でると、そのまま髪を一房すくいとった。

「俺は、イリスと離れるのが寂しいんだけどな」


 そう言って、指に絡めた髪に口づけを落とす。

 イリスの中で羞恥心の警戒警報が鳴り響く。

 これは、避難指示レベルだ。

 慌てて立ち上がろうとするが、時すでに遅し。

 腕を引かれて、ヘンリーに真正面から抱きしめられる。



「――は、離して! 速やかに羞恥心(いのち)を守る行動を取らなければいけないのよ」

 ヘンリーの胸を一生懸命押すが、びくともしない。

 見た目には筋肉ムキムキというわけでもないのに、どこからこの力は出ているのだろう。

 それとも、イリスが非力すぎるだけなのだろうか。


「だから、いつまでも逃げていたってリハビリにならないぞ。応戦してごらん?」

「応戦って。……何をすれば良いの?」

 恐る恐る顔を上げてみれば、そこには優しい微笑みを湛えたヘンリーの顔が見える。


「そうだな。……まずは、イリスから抱きついてくれると嬉しい」

「――酷い! 私を殺す気なの?」

 ヘンリーからの不可抗力ですら、これだけ苦労しているのに。

 何てことを言うのだろう。


「死なないから大丈夫だよ。それに、これくらいで死ぬとか言っていたら、この先大変だぞ?」

「これくらい、じゃないわ。大体、この先って」

「うん? この先――知りたい?」


 ヘンリーはイリスの頬に手を添えて、にこりと微笑む。

 そのあまりの色っぽさに、座っているのに膝が崩れ落ちそうだ。

 許容範囲を軽く超えた攻撃に、イリスの羞恥心が大噴火を起こす寸前――。



「イリスさん、ちょっと良いですか?」


 ノックと共に救いの神の声が聞こえ、イリスは渾身の力でヘンリーから逃れると扉に駆け寄った。

「――クレト!」

 扉が開くのとイリスが到着するのは、ほぼ同時だった。

 姿を現したクレトに、倒れこむように縋りつく。


「――わ! イリスさん?」

「――クレト、助けて」

 そのままクレトを盾のようにして、後ろに回りこむ。


「ど、どうしたんですか?」

 事態を理解できていないクレトは、混乱した様子で背後のイリスを覗く。

「ヘンリーが攻撃的なのよ。避難指示が出たのよ」

「何だかよくわかりませんが。ヘンリーさんが来ているんですか……?」

 ヘンリーの方を向いたらしいクレトの体が、ぴくりと震える。


「このままじゃ、私、死んじゃうわ」

 クレトの服を握りしめ、背中に張り付く。

「……俺も、色んな意味で天に召されそうです」

「クレト……?」


 背後から伺うと、クレトの顔色があまり良くない。

 恐る恐るクレトの陰から様子を見てみると、ヘンリーが立ち上がるところだった。

 すると、あれよあれよという間に、クレトに前に押し出される。


「ちょっと、何するの。酷いわ、クレト」

「俺、イリスさんのこと好きですけど、ヘンリーさんも好きです。……それに、まだ死にたくないです」

「何の話?」

 気が付くと、目の前にヘンリーの笑顔がある。

 笑っているのに、笑っていない。


「それじゃ、三日後までに用意をしておいて」

「う、うん」

 妙な迫力の笑顔に、言われるがままにうなずく。

 すると、すれ違いざまにイリスの頬に顔を寄せてきた。


「――あんまり、俺以外にくっついたら、駄目だよ」


 耳元に唇が触れそうなほど近付き、吐息と共に呟かれ、イリスは思わず身震いした。

「……わかった?」

 絵に描いたような笑顔と攻撃に、うなずくことしかできない。

 ヘンリーは満足そうにそれを見ると、「じゃあね」と扉の向こうに消えて行った。



「……何なの。何なの、あれは」

 羞恥心と混乱と恐怖で、イリスはそれしか言えない。


「俺、()()()()()()をされたの、初めてですけど。……イリスさんは、ヘンリーさんといちゃいちゃしていてください」

「――何それ?」

 クレトの唐突な指示が、理解不能だ。


「……世界の平和のためです」

 クレトはそう言って、額の汗を拭った。

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