両手に肉は、残念です
シナリオでは、冬の夜会で一気に盛り上がるリリアナとレイナルドを発見して、イリスは卒業後すぐに結婚するように迫る頃だ。
何とかレイナルドとの婚約は避けているが、セシリアが転生者かもしれない以上、油断はできない。
「冬の夜会は、一人で参加しようと思うの」
「また、残念狙い?」
呆れたようにヘンリーが聞いてくる。
「それもあるけど。ちょっと状況が変わったかもしれないの。迷惑がかかるといけないから、一人で行くわ」
もし本当にセシリアが転生者で、リリアナのためにシナリオ通りに進めようと動いているとしたら。
一番の邪魔者は、間違いなくイリスだ。
あれからセシリアと話そうと機会を窺っているのだが、なかなか会えずに上手くいかない。
どんな方法で関わってくるかわからないし、そもそも本当に転生者なのか確認できていない以上、用心するに越したことはない。
「なら、俺も一緒に行くよ」
「ヘンリー、話を聞いてた?」
「ああ。状況が変わるなら、なおさら協力者が必要だろ」
結局、何度説得してもヘンリーは意見を変えなかったので、仕方なく一緒に会場入りすることになった。
つくづく、面倒見の鬼というのは恐ろしい生き物だと思う。
学園の夜会も三回目ともなると、参加者も準備する側もそれなりに慣れて要領が良くなる。
秋には肉の揚げ物にお世話になったが、掴みづらいし、手袋が油まみれになるので使い勝手はいまいちだった。
投擲武器と考えれば優秀かもしれないが、イリスの筋力とコントロールでは難しい。
節分の豆まきならぬ、肉まきになってしまう。
そこで、イリスは料理を準備する係に骨付き肉をお願いしておいたのだ。
会場にうず高く積まれた骨付き肉を見上げたイリスは、満足して微笑んだ。
「これで、残念な武器はバッチリぬかりないわ」
「……良かったな」
何かを諦めたようなヘンリーの横で、イリスは骨付き肉を手に取った。
「素手でお肉を掴むなんて、はしたないわ」
「本当。下品ですわね」
「大体、何でしょう、あのドレス。頭がおかしいのかしら」
どこからか、女性の声が聞こえる。
周囲を見てみれば、リリアナと数人の令嬢がこちらを見て笑っていた。
「……どうしよう、ヘンリー」
「どうした」
真剣な表情のイリスに、ヘンリーが心配そうに覗きこんでくる。
「こんなに肉を褒められたの初めてよ。やっぱり骨付き肉をお願いして良かったわ」
イリスは嬉しくなって、肉を掲げる。
自由の女神の松明を持っている気分だ。
「……良かったな」
「うん」
この調子で、残念ポイントを稼いでいきたいところだ。
それに、ドレスまで評価された。
今回のイメージは、『冬なのに、焦げたお肉でハロウィンパーティー』だ。
黒をベースにしてしまうと落ち着いてしまうので、橙色のマーブル模様をベースに選んだ。
そこに、紫色と黒の水玉を不規則に散りばめる。
更に、焦げた肉をイメージした、まだらな茶色のポンポンを大胆に配置。
焦げた煙をイメージした、くすんだ金色のレースが所狭しと縫い付けられた上に、ドレスからはみ出ている。
駄目押しで蛍光色の黄色のリボンも散らされているが、これは仕立て屋のアイデアだ。
ついでに、髪を飾るリボンもくれたが、そちらは蛍光色の緑色だった。
残念にだって統一感が欲しいので、そこは黄色に変更してもらった。
最近は仕立て屋が乗り気になってきて、イリスが望む残念ドレスをばっちり仕上げてくれている。
当初はこれで本当にいいのか、キャンセルしないか、と確認ばかりしてきてうっとうしかったのに。
よくぞここまで成長したものだ。
今後まったく役に立たないであろう技術でも、真摯に取り組んでいく職人魂は尊敬に値する。
色彩感覚とデザイン力が狂わないかだけは、少し心配だが。
渾身の残念なドレスを身にまとったイリスは、両手に肉を持って会場の奥へと進んでいった。
両手に肉を持つというのは、意外と筋力を使う。
段々と疲労が溜まって、腕が下がってくる。
それを防ぐために、イリスは肉に集中していた。
肉しか見ていなかったと言っていい。
なので、足元の障害物に気が付いた時には、既に体は宙に浮いていた。
転ぶ。
そう気付いた瞬間、肉を守るために腕を上げた。
すぐに体に着地の衝撃が来たが、ボリューム調整のためにあれこれ巻き付けていたためか、大して痛みはなかった。
くすくすと嘲笑うような女性達の声が、イリスの耳に届く。
うつ伏せで両手を上げた姿勢で床に転がる伯爵令嬢。
その手には、骨付き肉。
――やだ、最高に残念じゃない?
イリスは珍妙なポーズのまま、悦に入っていた。
「イリス! 大丈夫か?」
ヘンリーの声が聞こえたと思うと、浮遊感と共にイリスの視界が高くなる。
「怪我はないか?」
床に立たされると、ドレスについた埃を払われた。
どうやら、倒れているところをヘンリーに持ち上げられたらしい。
いい感じに残念だったのに、なんてことだ。
相変わらず、残念な乙女心のわからない男め。
「大丈夫よ。自分で立てるわ」
「動かなくなったから、どこか怪我したのかと思ったんだよ」
「それに、持ち上げるなら、もっと重そうにして。寧ろ、持ち上げるの失敗して。落として」
せっかくのボリューム調整なのだから、重量感も伴わないと。
やるなら、とことんこだわりたい。
「……何言ってるんだ、おまえ」
ヘンリーに、この上なく残念そうな目をされた。
これはこれで、良い残念ポイントが稼げたのかもしれない。
肉の無事を確認してから周囲を見てみるが、つまづくような段差も物もない。
おかしいなと思っていると、リリアナと目が合った。
あの憎悪の表情からすると、彼女が足をかけたのかもしれない。
残念なのは大変結構だが、本来は悪役令嬢イリスがリリアナに嫌がらせをする場面だ。
イリスに嫌がらせをしても、シナリオ通りになるとは思えない。
セシリアが転生者かどうかはまだハッキリしない。
だが、この意味のなさそうな行動からすると、リリアナは違うような気がした。
「イリスさん、放課後に実習室に来てください」
夜会も終わったある日、食堂で肉を並べているイリスの耳元に、女性が囁く。
セシリアだとわかった時には、既に踵を返して去ったところだった。
追いかけようか迷ったが、放課後に話ができるのなら、そちらの方がゆっくり話せそうだ。
それに転生者か確認するとしたら、人目のない教室の方が良いだろう。
そう判断すると、イリスは再び肉を並べ始めた。
放課後、セシリアの指定した教室に向かうと、まだ誰の姿もなかった。
緊張して扉を開けた分だけ、どっと疲労を感じる。
手近な椅子に腰かけたイリスは、小さく息を吐いた。
「イリス」
急に名前を呼ばれ、危うく悲鳴を上げるところだった。
乱れた鼓動のまま振り返ると、そこにいたのは赤髪と緑目の美少年。
「……レイナルド」
どうやら、はめられたらしい。
セシリアはここに来るつもりなんて、なかったのだろう。
「イリス。何で俺との婚約を拒んだ?」
レイナルドは扉を閉めるとイリスに歩み寄ってくる。
「夏の夜会のドレス。ちょっと眩しかったが、イリスの気持ちは伝わった。だから、婚約をすすめようとしたのに」
気持ちとは、何のことだ。
夏の夜会のドレスと言えば、目が痛いビビッドカラーのドレスだったはず。
ビビッドな赤のドレスに、目立つように反対色のビビッドな緑のフリルとレースをふんだんに使った。
そこまで思い出して、あることに気付く。
「……あ!」
とにかくパステルカラーの逆にしようとしたのと、クリスマスツリーの逆のカラーになったことに気を取られすぎていた。
赤と緑と言えば、『碧眼の乙女』のメイン攻略対象のカラー。
つまり、レイナルドの髪と瞳の色だ。
ビビッドカラーに気を取られて、なんたる凡ミス。
こんなところで残念を発揮してしまうとは。
これではまるで、レイナルドのために色を揃えたみたいではないか。
「――違う、誤解よ。あれは、目に痛い攻撃力を重視した結果で、レイナルドは関係ないわ」
イリスは椅子から立ち上がると、レイナルドとの間に机を挟む形で向かい合った。
「私は別に好きな人がいるわ。レイナルドにもリリアナさんがいるじゃない。婚約する方がおかしいでしょう」
「好きって、モレノ侯爵家のヘンリーか」
「そうよ」
美少年が抑揚なく喋ると、ちょっと怖い。
イリスはレイナルドから距離を取ろうと後退った。
「結局、侯爵家がいいのか。イリスも俺を捨てるのか」
レイナルドは吐き捨てるように言った。
「……侯爵家は関係ないわ。ヘンリーがいいの」
イリスの言葉に弾かれるようにレイナルドが動く。
あっという間に目の前に来ると、イリスの手首を掴んで引き寄せた。
手を振りほどこうにも、イリスの力ではびくともしない。
レイナルドの顔がイリスの頬に触れそうになった瞬間――イリスの膝が火を噴いた。
『男性に接近されたら、急所を狙うのも一つの方法だよ』
シルビオが教えてくれた、対男性の必殺技が炸裂する。
レイナルドが股間を抑えて蹲った隙に、イリスは教室を飛び出した。
鍛錬は無駄ではなかった。
ありがとう、師匠。