就労許可を貰います
「それで、今日は朝早くからどこに行っていたんだ?」
一転して優しい表情に戻ると、ヘンリーはイリスを解放する。
そのままソファーに腰かけると、ヘンリーも隣に腰を下ろした。
「ミランダの仕立て屋よ。今度、店舗を拡張して増員するんだって」
「へえ」
大して興味もないだろうに、ヘンリーは相槌を打ちながら紅茶を淹れ始めた。
「残念ドレス専用のスペースも作るらしいの」
「そ、そうなのか。残念にも需要があるんだな……」
「それで。私、そこでお仕事しようと思って」
「――は?」
ヘンリーの紅茶を注ぐ手が止まる。
「残念ドレスのデザインやアドバイスと、宣伝なんだけど」
「今やっていることと、あんまり変わらないんじゃないか?」
確かに、イリスは残念なドレスをデザインして着ているし、夜会で宣伝しているようなものだ。
ヘンリーの言わんとすることは、わからなくもない。
「違うわよ。ちゃんと、お仕事として。……もちろん、毎日出勤は無理だけど」
「わざわざ働かなくても、たまに顔を出せば良いんじゃないのか?」
それだと、いざという時に手に職がないので困る。
「ちゃんと責任を持って残念に取り組みたいの。……駄目?」
嫁いでしまえば、イリスもモレノの一員だ。
次期侯爵夫人が働くのは外聞が悪いので駄目と言われてしまえば、どうしようもない。
その場合は、宣伝活動だけでもさせてもらえないだろうか。
ヘンリーを見上げる形でじっと返事を待っていると、何やら困ったような顔をしている。
やはり、難しいのだろうか。
貴族の夫人の役目と言えば、社交が主だ。
かなり高位の夫人であれば王室に仕えることもあると言うが、イリスには無関係。
社交のために夜会やらお茶会やらに出るのだから、宣伝には都合が良い。
ただ内容が残念なので、侯爵家としては微妙だろう。
そもそもモレノの家業と『毒の鞘』は狙われるのだということを鑑みれば、外出の機会が増えるのは良くないのかもしれない。
考えれば考えるほど、難しそうだ。
それでも一縷の望みをかけて見つめていると、ヘンリーが大きなため息をついた。
「……仕方ないな」
「良いの?」
思わず笑みがこぼれる。
「ただし、一人で外出しないこと。無理はしないこと」
「うん。ありがとう、ヘンリー。私、残念なお仕事、頑張るわ」
笑顔で頷くイリスを見ると、ヘンリーは苦笑しながら深紅の小箱を取り出した。
「それから、これを渡そうと思って」
「……これ、指輪?」
「そう。婚約指輪。……だいぶ遅れて、悪いけど」
箱を開けてみれば銀色の指輪が入っているが、何だか不思議な形だ。
「手を貸して」
そう言ってイリスの左手をとると、婚約指輪を薬指に通す。
今までの指輪に絡みつく蔦のようなデザインで、元々一つの指輪だったかのようにぴたりとはまった。
「最初の指輪を活かす作りにしたから、加工が複雑で手間取ったんだ」
「そうだったの」
ひとつになった婚約指輪は、紫の石の横に小さな透明の石が二つずつ並んでいて、綺麗だ。
「……この石も、特殊なの?」
「まあ、それなりに」
否定しないということは、結構な希少品ということか。
「……お値段が怖いわ」
正直な感想を述べると、ヘンリーが笑う。
「これでイリスの虫除けになるなら、安いものだよ」
にこりと微笑まれれば、何だか背中がぞわぞわしてきた。
これは、話題を変えなければ危険な気がする。
「これ、確か魔力の制御と増幅の効果だったわよね」
紫色の石は普通の宝石に見えるが、確かに学園では効果を確認している。
嘘みたいな内容だが、そもそもどこから入手するものなのだろう。
「その後もずっとつけているけど、効果は持続しているの?」
「どうかな。俺も詳しくはないけど、常に効いているわけではないし、永遠に効果があるわけでもない。いずれは効果も切れるだろう」
「そうなのね」
イリスとしては最初の指輪だけでも良かったのだが、ヘンリーは婚約指輪を贈ると言ってきかなかった。
婚約指輪が出来たら最初の指輪は右手にしようかなどと考えていたので、まとまってくれてありがたい限りだ。
「――イリス」
「何?」
ヘンリーは返事を待たない速さで、婚約指輪に唇を寄せた。
「な、何?」
突然のことに、声が上擦る。
これは攻撃か。
攻撃なのだろうか。
「モレノの事情で婚約も遅れたし、婚儀までも時間がかかる。……待たせて、ごめん」
「い、いいのよ、別に。遅れても全然気にならないから」
「そこは、気にしろよ。……俺は早く婚儀を済ませたいんだけど」
「何か急いでいるの? 正式に『毒の鞘』になるっていう話?」
ヘンリーの伴侶になれば、イリスは『毒の鞘』と呼ばれるようになる。
もしかして、それが関係しているのだろうか。
「まあ、それもあるけど」
「じゃあ、何?」
イリスが首を傾げるとヘンリーはため息をつき、次の瞬間イリスに覆いかぶさるように抱きしめた。
「な、何?」
混乱するイリスの耳元で、ヘンリーがそっと囁いた。
「イリスは俺のものだ、ってこと」
優しい吐息が耳をくすぐり、イリスの背中のぞわぞわが警報を鳴らした。
「――リハビリ中よ! リハビリさせてよ!」
必死にもがくが、ヘンリーの腕の中から出ることができない。
「リハビリなら、逃げていないで頑張れ。応戦するんだろう? 悪役令嬢さん」
ヘンリーはそう言って意地悪く笑うと、暴れるイリスを愛おし気に見つめた。