残念なお仕事が見つかりました
「残念はブームとしては落ち着きましたが、すっかり定番になりまして。売り上げも安定しているんですよ。これもひとえに、残念の先駆者であるイリスお嬢様のおかげです」
残念が流行した時点でどうかと思っていたが、まさかの定番入り。
世の中も、残念なものだ。
だが、ありがたい。
残念に需要があるというのなら、何か仕事があるかもしれない。
「肉の女神、おはようございます。今日は随分早いですね」
店の奥からラウルがやってくると、紅茶を用意し始める。
考えてみれば、ラウルは裁縫以外にもお茶出しや交渉もするのだから、結構優秀なのではないだろうか。
じっと見ていると、ラウルの頬が赤く染まっていく。
紅茶を用意していたし、暑いのかもしれない。
「ねえ、ラウル。私にできる仕事って、あると思う?」
突然の質問に驚いた様子だったが、すぐにラウルは考え込んだ。
「……普通の仕事は無理でしょうね。肉の女神には、地味すぎます」
理由はともかく、確かにそうかもしれない。
「あなたには……肉の女神らしく、いつでも残念なドレスで肉を持って、笑っていてほしいです」
そう言うと、イリスの前に紅茶を差し出した。
肉の女神らしいって何だろうとは思ったが、要は無理せず自分のできることをしろと言っているのだろう。
そう、イリスにできることは、『残念』なのだ。
ちょっと恥ずかしいが、これも生きていくためなのだから仕方がない。
背に腹はかえられないというやつだ。
「……ドレス作りって、難しいわよね?」
「肉の女神なら、製作よりもデザインや宣伝の方が向いていますよ。何と言っても、麗しき肉の女神にして残念の先駆者ですからね」
「……イリスお嬢様。先程から仕事と言っていますが、侯爵令息と婚約なさったのでは?」
ミランダが首を傾げている。
それはそうだろう。
普通貴族令嬢は労働をするものではないし、まして侯爵家に嫁す身で仕事という言葉が出る方がおかしい。
「そうなんだけど」
まさか、『いつ婚約解消しても生きていけるように、手に職を持ちたい』なんて、正直には言えない。
説明に困っていると、ミランダとラウルが顔を見合わせ、次いではっとしたように目を見開いた。
「……そうか。そうだったんですね」
ラウルが神妙な顔つきで何かに同意している。
「え? 何?」
「いえ、言わなくても良いのですよ、お嬢様。上流貴族と言えど内情は様々だということは、私も存じています」
ミランダが労わるような視線を向けてくるが、理由がわからない。
「内情?」
「寧ろ、上流の家柄の方が必要な出費も多いですから、却って大変だと伺ったこともあります」
……これはもしや、モレノ侯爵家が財政難だと思われているのだろうか。
「ええと、そういうことじゃないんだけど」
「いえ。恥ずかしがることはありません。嫁ぐ家のために、少しでも力になろうというイリスお嬢様の心意気、大変に素晴らしいと思います」
「だから、そんな重い話じゃなくて」
これは完全にモレノ侯爵家の財政を支えるために、イリスが稼ぐことになっている。
さすがに侯爵家への風評被害が酷いので、誤解を解かなければ。
「お嬢様には今までもお世話になっておりますし、私も力になりたいと思います」
どうしよう。
何だか支援者ができてしまった。
「だから、本当にそういう事じゃなくて」
「……ミランダ伯母さん。それなら、例の件を肉の女神に手伝ってもらうというのはどうでしょう?」
「まあ! それは良いわね」
何やら、二人で盛り上がり始めてしまった。
基本的に悪い人ではないが、人の話を聞かない遺伝子を持つ二人だ。
こうなると、イリス一人で誤解を解くのは難しくなってくる。
どうしたものかと悩んでいると、机に何やら図面が広げられた。
「僭越ながら、当店は残念ラインが好調でして。おかげさまで、この度増員して店舗も拡張する予定です」
「へえ、凄いわね」
では、これは拡張工事の図面なのか。
詳しくはわからないが、売り場と共に商談スペースと思しき部分が増えていた。
「これは、残念専用のスペースです。残念な生地はこちらに集め、商談用のスペースも別に用意しました」
「だいぶ広いけれど。残念ラインって、そんなに凄いの?」
「ごく一部の流行に敏感な貴族から始まりましたが、今では平民にも名が知られるまでになりました」
「そうなの?」
貴族と平民では流行が異なると思っていたのだが、世の中は身分の差などなく、平等に残念ということだろうか。
「これも、イリスお嬢様のおかげです」
「え? 何で私?」
残念の先駆者などと呼ばれてはいるが、それはあくまでも貴族社会の話だ。
平民からすれば、イリスはどこの誰だかわからない、ただの貴族令嬢のはずなのだが。
「以前、お嬢様がモレノ侯爵令息と街へお出かけの際に、商家のお嬢様風のワンピースを着たのを覚えていますか?」
「ええ、まあ」
あれは、婚約披露パーティーの前くらいだったか。
街で人気のカフェに、ヘンリーと二人で変装して行ったことがある。
その時に着たのが、ミランダが用意したワンピースだった。
「あの時にお嬢様をご覧になった人達から、最新のワンピースとそれを着ていた美少女が話題になりまして。巡り巡って、イリスお嬢様と残念ドレスの知名度が上がり、平民の中でも残念ラインが知られるようになったのです」
「何それ。私、何もしていないんだけど」
「そうです。肉の女神は何をすることがなくとも、そこにいるだけで世の肉を惹き付けてしまうのです」
「世の肉を惹き付けるって、何? 私、肉まみれなの?」
理解不能な言葉に困惑するが、当のラウルは何やら満足気だ。
「大丈夫です。一般の肉に囲まれたとしても、肉の女神の輝きは褪せることはありません」
駄目だ。
話が通じない。
困っていると、ミランダが優しく微笑んだ。
「そういうことで、残念の需要が高まっているのです。イリスお嬢様にはデザインやアドバイス、たまに夜会で残念ドレスの宣伝をしていただければ、ありがたいのですが」
「……私、お仕事して良いの?」
「侯爵家を支えるには足りないでしょうが、お給金ももちろんお出しします」
「侯爵家は支えないけど。――ありがとう、嬉しいわ。私、頑張るわね」
思わぬところで仕事を見つけたイリスは、満たされた気持ちで紅茶を口にした。