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番外編 クレトの達観

「イリスさん、行っちゃうんですか?」


 イリスがヘンリーの祖父に挨拶に行くという。

 モレノ侯爵領のどのあたりなのかは知らないが、一日で帰ってくるようなものではないだろう。

 アラーナ邸に部屋まで持って滞在しているのは、イリスにいつでも会えるからだというのに。

 これでは、意味がないではないか。


「イリスさんがいないと寂しいです。俺、イリスさんに会いたいから、ここにいるのに」


 正直な感想を伝えるが、今日もイリスに笑顔で流されるのだろう。

 小さい頃からずっとそうだ。

 クレトがどれだけ本気で伝えても、イリスには届かない。

 これが、眼中にないというやつなのだろう。

 わかってはいても、やはり切ない。


 ところが、イリスの様子がいつもと違った。

 眩い笑顔で流すこともなく、はにかんでいるではないか。



「……どうしたんですか?」

「え? 何が?」

「だって。俺が会いたかったとか、幸せにするとか言っても、笑って流していたのに」

 クレトの言葉に目を瞠ると、イリスは困ったように微笑んだ。


「そうね。気付かなくて、ごめんね。……ありがとう」

「イリスさん……?」

 訝し気なクレトを残して、イリスは迎えの馬車に乗り込む。


 今のは、何だ。

 いつものイリスとは、何かが違った。

 照れたような、困ったような、あんな表情は今まで見たことがない。


「……もしかして。ようやく、少しは。伝わった……かな?」



 伝えたところで。

 伝わったところで。

 イリスが婚約していることに変わりはない。


 だが、クレトの長年の想いが、ようやく認識されたかもしれない。

 それだけで、心が浮き立つような幸福感に包まれた。



 ********



『イリス。――ファンディスクの話を聞きたくないか?』


 バルレート公爵家でエミリオという公爵令息にそう言われてから、イリスの様子が明らかにおかしい。

『ふぁんでぃすく』というのが何なのかはわからなかったが、きっと重要なことなのだろう。

 アラーナ邸に来ていたヘンリーにすら伝えなかったのには驚いたが、クレトも口止めされてしまったので言うわけにもいかない。


『これはちょっと、お、乙女の問題なの。……恥ずかしいから、聞かないで』


 伏し目がちにそう言うイリスは、控えめに言っても可愛らしさと色気が爆発していた。

 ラウルが日頃『肉の女神』と言っているが、女神と言うのもあながち間違いではないな、と納得してしまった。

 恋愛感情なんて微塵もないクレトに対してあの色香ならば、ヘンリーはどれだけの攻撃を食らっているのだろう。

 それであの平然とした対応なのだから、やはりヘンリーには憧れてしまう。



「いや、でも、ヘンリーさんは残念とかいうのが好みなんですよね」


 クレトが婿になるのに肯定的だと知った時には、努力が報われた気がして泣きそうだった。

 ただ、イリスのことは好きだが、ヘンリーのことも好きなので、現状に文句はない。

 それでも、ひとつだけ気になること言えば、この残念に関してだ。


 イリスの美貌を見事に損なう残念な恰好は、ヘンリーの指示だったはずだ。

 ということは、ヘンリーはイリスのあの色香も好みではないのかもしれない。

 やっぱり、残念好みは理解ができない。


「……もったいない人ですね」

 イリスの言葉と表情を思い返しながら、クレトは口元を綻ばせた。



 ********



 バルレート兄妹が来ていると聞いてクレトが向かってみると、既に二人は帰った後だった。

 応接室を覗けば、イリスが呆然とした様子でソファーに座っている。

 何かがあったのは明白だった。



「今、来ていたのって、この間の人達ですよね。バルレート公爵家の」

「うん。でも、大丈夫よ」

 隣に座ったクレトに、無理矢理絞り出したような笑顔を返す。


「……わかりました」

 そう言うと、ソファーから立ち上がる。


 あんな誰にでもわかる取り繕った笑顔をしてまで、隠したいのだ。

 それは、揉め事に巻き込みたくないという優しさかもしれない。

 だが、クレトには頼りないと言われているような悔しさがある。

 そして、それを覆せるほどのものを、持っていなかった。


「イリスさんは、この後どうするんですか?」

「……疲れたから、少し休むわ」

「なら、俺は出かけますから、イリスさんは一人で外出しないでくださいね」



 イリスを助けたい。

 でも、クレトでは無理だ。

 少なくとも、今のままのクレトでは。


 一握りの悔しさを噛みつぶして、馬車を走らせる。

 イリスが頼れるのは、――()だ。



 ********



「どうしたんだ、急に」

 モレノ侯爵邸に着くと、すぐにヘンリーが出てきてくれた。


「イリスに何かあったのか?」

 二言目にはイリスの名が飛び出している。


 遊びに来たわけではないことくらいわかるだろうから、当然かもしれない。

 そもそもヘンリーはイリスを注視している。

 面倒見が良いというか、気になって仕方がないという感じだ。


 イリスは可愛い上に無防備だから男性にちょっかいをかけられやすい。

 更に色々と突拍子もないことをするので、目が離せないのだろう。


「本当に、残念さえイリスさんに強いなければ、良い人なんですけど……」

「……何だ?」

「いえ、何でもありません」


 危ない。

 うっかり口に出してしまった。

 いくらクレトには理解できない悪趣味でも、イリスが承諾しているのだから口を挟むべきではないだろう。



「それで、どうしたんだ?」

 差し出された紅茶は、ヘンリーが淹れたものだ。

 もう見慣れたとはいえ、何故侯爵家の跡継ぎがこんなことをしているのかは、未だにわからない。

 そして、へたな使用人よりもよほど美味しく淹れるのだから、呆れてしまう。


「イリスさんが変なんです」

「変?」


「この間、バルレート公爵家に行ったのは知っていますよね。あの時、エミリオ様に何かの話を聞きたくないか、と言われて。それから、イリスさんの様子がおかしいんです」

「何かの話?」


「ふぁん、何とか……。すみません。聞き慣れない言葉だったので、忘れてしまったんですけど。……イリスさんに、内緒と言われていました」

 ヘンリーの眉がぴくりと動く。

 そりゃあ、婚約者の自分に内緒でクレトだけが知っているとなれば、気分は良くないだろう。



「今日、バルレート公爵家の兄妹が来ていたみたいなんです。俺が行った時にはもういなかったんですけど。……イリスさん、何だか呆然としていて。絶対に何かあったのに、俺には笑うんです。大丈夫、って」

 思い返しても、悔しくなる。

 イリスを守りたいのに、力不足でどうにもならない。


「俺じゃ、話を聞くことすらできません。だから、ヘンリーさんに会いに来ました」

「……そうか」


 これは、事実上の敗北宣言だ。

 悔しい気持ちはもちろんあるが、今はイリスが優先だから仕方がない。


「エミリオ様のイリスさんを見る目が、妹の友人を見るそれじゃないから……気に入らないんです」

 まるで、お気に入りの人形を眺めるような、執着はあっても情はないような、あの視線がクレトは嫌いだった。

「今のイリスさんはおかしいから、影響が出たら困ります」


「おかしい?」

「好意を伝えたら反応するんです。今まではどれだけストレートに伝えてもかすりもしなかったのに」

 イリスの異変を伝えようとしたのだが、ちょっとした愚痴のようになってしまう。


「イリスが? 好意に反応? ……本当か?」

 さすが身近でイリスの鈍感ぶりを見てきただけあって、困惑している。

 ということは、ヘンリーが原因ではないということか。


「何でそうなったのかはわかりませんが、本当です。イリスさんに会って、話を聞いてあげてください。絶対、何かあったはずなので」

「……わかった。わざわざ知らせてくれて、ありがとう」


「い、いえ。――それより、イリスさんに残念な恰好を強いるのはどうかと思います」

 憧れの存在に優しく微笑まれては、調子が狂ってしまう。

 慌てたクレトは、思わずずっと思っていた疑問を口にしていた。



「……は?」

 ヘンリーが思い切り眉を顰めている。


「す、すみません。……個人の嗜好に口を出すべきじゃないとわかっていたのですが。つい」

 これが、舞い上がるというやつなのだろう。

 言わなくても良いことを言ってしまった後悔で、クレトはうなだれた。


「待て。……誰が、残念な恰好を強いているって?」

「え? ヘンリーさんが好みだから、残念な恰好をさせているんですよね? なんてもったいなくて酷いことをするのか、と思っていたんですけど」

 ヘンリーは頭を抱えると、大きなため息をついた。


「――誰がそんなことをするんだ。普通のイリスを愛でたいに決まっているだろうが」

「じゃあ、残念なイリスさんは好みじゃないんですね」


「冗談じゃない。あれはあれで、味わいがある」

「……そうですか」



 ……何だろう。

 面倒臭くなってきた。


 もう、さっさと結婚してくれないかな。

 そうすれば、きっぱりさっぱり諦めがつく気がする。


 クレトは紅茶を飲むと、何かと葛藤するヘンリーを眺めた。

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